2009年12月24日木曜日

必読短歌17 (小中英之+荻原裕幸+大辻隆之)

 12月22日の授業で取り上げた歌人たちとその作品を載せておきます。ひとりひとり異なった背景を持ち、歌の発生においても同一ではないのですが、このあたりの歌人となると、文芸好きの人たちにとっても、実際は縁遠くなってしまっているのが現代短歌の現実。
 我々のささやかな授業時間は、こういった作品群に、突発的な事故のように遭遇してもらってしまう場です。 文芸の特徴は、さっきまで知らなかった作り手や作品にふいに触れることによって、自分たちの内的世界がガラッと変わってしまうということ。短歌を読むという行為も、控え目に言っても、目や耳を通して入ってくる一首一首によって、内的世界の様相を変容させ続けていくことだと言えるでしょう。
 他人の作ったものに触れることの喜び、救済。大袈裟ではなく、そう考えておくべき面が、文芸作品というものにはやはりあります。


◆小中英之(こなか ひでゆき) 一九三七~二〇〇一◆

昼顔のかなた炎えつつ神神の領たりし日といづれかぐはし

氷片にふるるがごとくめざめたり患むこと神にえらばれたるや

月射せばすすきみみづく薄光りほほゑみのみとなりゆく世界

遠景をしぐれいくたび明暗の創(きず)のごとくに水うごきたり

花びらはくれなゐうすく咲き満ちてこずゑの重さはかりがたしも

身辺をととのへゆかな春なれば手紙ひとたば草上に燃す

螢田てふ駅に降りたち一分の間(かん)にみたざる虹とあひたり

鶏ねむる村の東西南北にぼあーんぼあーんと桃の花見ゆ

死ぬる日をこばまずこはず桃の花咲く朝ひとりすすぐ口はも

つはぶきの花は日ざしをかうむりて至福のごとき黄の時間あり

六月はうすずみの界ひと籠に盛られたる枇杷運ばれて行く

無花果のしづまりふかく蜜ありてダージリンまでゆきたき日ぐれ

春をくる風の荒びやうつし身の原初(はじめ)は耳より成りたるならむ

今しばし死までの時間あるごとくこの世にあはれ花の咲く駅

芹つむを夢にとどめて黙ふかく疾みつつ春の過客なるべし

みづからをいきどほりつつなだめつつ花の終りをとほく眺めつ

花馬酔木いく夜か白しうらがなしふくろふ星雲うるむ夜あらむ

座につきてあはれ箸とる行為さへあと幾年のやさしさならむ


◆荻原裕幸(おぎわら ひろゆき) 一九六二~◆

政治がまた知らないうちにみづいろに傾いてぼくの世界を齧る

▼▼▼▼▼ココガ戦場?▼▼▼▼▼抗議シテヤル▼▼▼▼▼BOMB!

恋人と棲むよろこびもかなしみもぽぽぽぽぽぽとしか思はれず

春の日はぶたぶたこぶたわれは今ぶたぶたこぶた睡るしかない

天王星に買つた避暑地のあさがほに夏が来たのを報せておかう

ほらあれさ何て言ふのか晴朗なあれだよパイナップルの彼方の

はつなつのあをを含んで真夜中のすかいらーくにゐる生活を

三越のライオンに手を触れるひとりふたりさんにん、何の力だ

ぼくはいま、以下につらなる鮮明な述語なくしてたつ夜の虹

ぎんいろの缶からきんの水あふれ光くるくるまはる、以下略

戦争が(どの戦争が?)終つたら紫陽花を見にゆくつもりです

しみじみとわれの孤独を照らしをり札幌麦酒のこの一つ星

顎つよき愛犬を街にときはなつ銀色の秋くはえてかへれ

伝言板のこの寂しさはどんな奴「千年タツタラドコカデ逢ハウ」

母か堕胎か決めかねてゐる恋人の火星の雪のやうな顔つき

(結婚+ナルシシズム)の解答を出されて犀の一日である

月曜日の朝かへりきてノブのQOQOQQOQQOQ

間違へてみどりに塗つたしまうまが夏のすべてを支配してゐる


◆大辻隆弘(おおつじ たかひろ) 一九六〇~◆

指からめあふとき風の谿は見ゆ ひざのちからを抜いてごらんよ

疾風にみどりみだるれ若き日はやすらかに過ぐ思ひゐしより

十代の吾に見えざりしものなべて優しからむか 闇洗ふ雨

山羊小屋に山羊の瞳のひそけきを我に見せしめし若き父はや

青嵐ゆふあらし過ぎ街路樹にわが歌ひ得ぬものらはさやぐ

やがてわが街をぬらさむ夜の雨を受話器の底の声は告げゐる

あぢさゐにさびしき紺をそそぎゐる直立の雨、そのかぐはしさ

青春はたとへば流れ解散のごときわびしさ杯をかかげて

星合といふバス停にバスを待つぼくたち、夏の風をみつめて

朝庭に空き瓶を積むひびきして陽ざし触れあふごときその音

ほのしろき夜明けにとほき梨咲いてこのあかるさに世界は滅ぶ

あけがたは耳さむく聴く雨だれのポル・ポトといふ名を持つをとこ

つまりつらい旅の終りだ 西日さす部屋にほのかに浮ぶ夕椅子

子を乗せて木馬しづかに沈むときこの子さへ死ぬのかと思ひき

ああ父はまどかに老いて盗みたる梅の若枝(わくえ)を挿し木してゐる

縁さむくかがやく壺ゆひとすぢの乳(ち)はよぢれつつ注がれてゐつ

紐育空爆之図の壮快よ、われらかく長くながく待ちゐき

突つ込んでゆくとき声に神の名を呼びしか呼びて神は見えしか

2009年12月17日木曜日

必読短歌16(香川ヒサ+小池光)+投稿作品9


 どうやらここには写真も載せられるようなので、猫が危急の際にスーパーマンみたいに飛び出している面白い写真を載せてみようと思います。
 まったく短歌とも今週のなにかとも関係ないのですが、とにかく関係ないことをやったり見たりするのが好きなので、いったん思いつくと、こういうことには抗しがたいのですネ。
 ともかくも、この数週間、ちょっとこの写真の猫がお気に入り。非常に真剣に飛びあがっているところが、いかにも猫らしい。猫っていうのは、飼っていた時に観察し続けてわかりましたが、なにをやるにも超まじめなものです。もう少し余裕を持ったり、ふざけたりしたらいかが?と思わされたものでした。
 人間も、神様の視点からは、こう見られていたりして。

 

 
◆香川ヒサ(かがわ ひさ)  一九四七~◆


人あまた乗り合う夕べのエレヴェーター升目の中の鬱の字ほどに

かさはさか きゆはあはゆき くさはさく 循環バスは渋滞の中
白き雲鯨と思へば鯨にて鰐と思へば鰐なるが浮く

黄昏の道を急げる人の群その先端はいづくを行かむ

フセインを知らざるわれはフセインと呼ばるる画像をフセインと思ふ

タバスコを振り過ぎ「ありゃ・りゃ」と言ひたれど誰もをらねば「りゅ・りょ」と続ける

二つとも旨いそれとも一つだけまたは二つともまづい桃二個

その存在そのものがすでに悪なれば抹殺せねばならぬゴキブリ

(作品中の表記では「ゴキブリ」に××××がつけられている)

トーストが黒こげになるこのことはなかったといふことにしませう

語りえぬことを言葉が語らせる例えば神の計画などを

人あまた行く夕暮の地下街を無差別大量の精神過ぎる

ひとひらの雲が塔からはなれゆき世界がばらば らになり始む

わたしには世界の果ての私がコーヒーカップをテーブルに置く

洪水の以前も以後も世界には未来がありぬいたしかたなく

何時間ここにゐたのか見つめゐる石の白さを言葉にしたら

往還の道の辺にある丸き石 とてもこれには勝てそうにない

冬の雨遠き広場に水溜り作りてをらむ 見なくともわかる

〈はじめに言葉があつた〉 幼な児が眼みはつて嘘をついてる



◆ 小池光(こいけ ひかる)  一九四七~◆


雪に傘、あはれむやみにあかるくて生きて負ふ苦をわれはうたがふ

くらぐらと赤(せき)大輪の花火散り忘れむことをつよく忘れよ

とほき日のわが出来事や 紙の上にふとあたたかく鼻血咲(ひら)きぬ

いちまいのガーゼのごとき風たちてつつまれやすし傷待つ胸は

薄明のそこはかとなきあまき香は電気蚊取器はたまた妻子

ガス室の仕事の合ひ間公園のスワンを見せに行つたであらう

廃駅をくさあぢさゐの花占めてただ歳月はまぶしかりけり

佐野朋子のばかころしたろと思いつつ教室へ行きしが佐野朋子をらず

おそろしき速度をもちて蟻ひとつ灼けたる馬頭観音くだる

たましひのあかるくあれば象印魔法瓶こそ容るるによけれ

デパートにわれは迷ひぬ三匹の金魚のための沙(すな)を買はむとして

たはむれに懐中電灯呑まむとぞする父おやを子がみて泣きぬ

ふたふさの缶詰蜜柑のるゆゑに冷し中華をわがかなしまむ

そこに出てゐるごはんをたべよといふこゑすゆふべの闇のふかき奥より

日本語をあやつるときの天皇をつねにはらはらとわれらおもへりき

煙突に付帯せる鉄の梯子にてあるところより失はれたる

きんなんの異臭ただよふ境内にましろき犬をみちびく少女

外科医なるわが弟にしづかなるこどもひとりがありて悲しも

魔法瓶にいま蔵(しま)はれし熱湯は暗黒の中にありしとおもふ



◆投稿作品9(12月15日までの分)


大沼貴英さんのコメント...
 大沼です。初の一番乗りですかね? あの、一番乗りしておいてアレなんですけど、例のごとく俺は今週も遅刻して参上します。始業時間に間に合わせるのは物理的に不可能なので、これは確定事項です。なので、拙作の批評は、いちばん最後に回していただけないでしょうか。作者不在のまま批評をやるのは双方にとって不利益でしょうし、始業時間から参加されている方々の作品の批評時間を削ってしまうのも申し訳ないと思うのです。 ご検討のほどよろしくお願いします。 ちなみに、今週の短歌のうち、後半の二首はmixiボイスへの投稿が初出です。mixiボイスとは、まあ、ツイッターみたいな「呟き」垂れ流し機能です。出来たての短歌をそのまま「呟き」として投稿したというわけ。短歌でライブをやっているような感覚で、なかなか新鮮でした。これからは短歌もライブ化してみたらいいんじゃないでしょうか、なんて。   


  ゆりかもめに寄せるうた四首

求めたら頬をすり寄せ何もせず夜が明けていく基礎知識とす

ゆりかもめ/妙に姿勢の良いサボり/ビルに移り気/空中散歩

リクルートスイーツ君とゆりかもめ夢を語ったっけなあ螺旋で

エクレアのなつかしい歌詞おもいだし、メルシー僕。メルシー雨。
2009年12月14日2:37

青木さんのコメント...
これを投稿したら寝ます。おやすみ~。


もうすぐで夜が明けるから眠らずに朝焼けを見るために抜け出す

寂しいときみに向かってつぶやいたことを取り消すための電話

もう二度と会えない人を思い出す事ばかりしている訳じゃない

上がらない原稿ばかり増えてゆく 最後のプリンを食べたのは誰?

平気だよ達也がいなくても私ひとりで鐘をついてみるから

みんなみんな粉になってしまったね子供ごっこをしているうちに
2009年12月15日0:55

礒部さんのコメント...
いそべです。卒論に関する用事があるので、少し授業に遅れてしまうと思います。


冬の朝眠たい顔に吹きつける地下鉄の風ぬるく気だるく

図書館に下巻が残る文庫本 遠い手のなか始まる話

乗りこんだバスの座席は前向いて今夜最後の主人を探す

無機質な茶封筒の左上 真っ赤な色の花咲く切手

グーの手と同じぐらいの柚子の実も冬をめがけて黄色く染まる

音たてて閉じる聖書の右ページ 昔誰かが語った奇跡
2009年12月15日8:11

マルディさんのコメント...
おはようございまーす。今日の朝焼け、きれいでした。


リースないままクリスマス来ちゃうね笑う玄関の清清しさ

週末を迎えるために金曜の雨がしっとり街を緩める

グラビアで中谷美紀が眠ってる夜請け負うと言わんばかりの

思い出すことも忘れることもせずただきみ想う感情教育

息抜きの『正弦曲線』その紙に昇る朝陽で文字は揺らめく
2009年12月15日8:19

マナ子さんのコメント...
前回のアドバイスを受けて,ちょっとゆるめに作ってみたつもりです。難しいですね。


鶏肉を切り分ける時ほど指先がかじかむ時は無いと思うの

カミソリは安全でない方がいい氷雨の夜にわたし眉剃る

はためいた瑠璃色砂絵もとうに散り運ばれていく冬の蝶の死

口笛の反響が痛い耳の奥 青春ドラマじゃあるまいしねぇ

凹凸が抱きあう二人の邪魔をする これが今夜のテイク・ファイブ

(凹凸は「おうとつ」と「でこぼこ」とどっちがいいでしょうね。決めかねます)

2009年12月15日13:16

北寺瀬一さんのコメント...
北寺です。いつも駆け込みですみません。プラネタリウムをイメージした連作です。


暗闇を好いことに生まれては消えるシートの間に白色矮星

隣席の灯初心な君には眩し過ぎ瞑る目澄んだ耳に天声

天上の彼の人が説く夏物語いけない逢瀬とミルキーウヱイ
2009年12月15日14:55





2009年12月13日日曜日

必読短歌15(築地正子)+投稿作品9(12月8日までの分)

 ちょっとだけ忙しさが多めの週だったというだけで、UPするのが日曜日になってしまった!毎週、はじまると矢の如しで、いつのまにか週末になっている感じです。やるべきことが多過ぎるというわけですね。いろいろな機械が増えて便利に時間短縮になっているはずなのに、世間一般は、数十年前と比べると、細切れ時間で行動するように強いられ、どんどんコマネズミ化が進んでいる感じです。普通の人々を奴隷化しようとする産業界の計略は、じつに巧み。怠惰やうつ病や反抗癖などは、間違いなく人類の本然性を救わんとする本能的な反応ではないでしょうかネ。
 もう年の暮れだ…と思って、それなりの感慨を楽しめるならばそれもよし、所詮人間が勝手に決めた区切りに過ぎぬと意に介さないのもよし、でしょう。生まれてから死ぬまで、一切の区切りをつけずにダラダラと継続した意識で生きていくのもいいんじゃないかと思います。わたくし的には、とりわけ精神的には、この世の風習にあわせて生きるのをとっくにやめております。
 ところで、青木さんから教えを受けて、アップの際にちょっと工夫してみたんですが、どうもうまくいきませんネエ。HTMLの編集っていうのでやってみたら、コンピューター言語っていうのかな、いろんな文字列がだらだら出てきてしまって、いっそう楽しい字面になっちゃったんで、ま、現代詩するならそれでもいいんですが、ここはいちおう短歌するところなので、止めときました。まぁ、まだまだ工夫は考え続けますが…
 さて、今回は、授業で取り上げた築地正子の作品も17首紹介。手ごわい、したたかな精神に触れて、この混迷の世をさらに生き延びる参考としてください。こんな精神の人間が増えれば、ニッポンはふたたび強くなるでしょうね。


≪必読短歌15≫
◆築地正子(ついじまさこ)  一九二〇~二〇〇六◆

卓上の逆光線にころがして卵と遊ぶわれにふるるな

わたくしの絶対とするかなしみも素甕に満たす水のごときか

還るべき宇宙をもたずもだをるに枇杷食へといふあやなき声す

月明りさしそふ見ればうつし身は芦のごときにもつとも遠し

ちりぬるを書きすさぶ字も薄墨のかの白萩も散りつつあらむ

祖国この冥きひびきの染みつける老身いづくより朽ちゆかむ

選ばるる矜りと選ばれざる矜り胸に問ひゆく一生と知れよ

人間であること少しも疑わぬこの生を得て雨降れば傘

草の絮(わた)しきりに飛べる野のつかさ風の本音の見ゆるまで見む

蝶の眼に見えてわが瞳に見えぬものこの世に在りて闇に入る蝶

ありありて髪にやどれる月しろの死して会ふべき父ははあれば

麦の地平に立てばわれまた一本の麦にして何を何して老いたる

桃いくつ心に抱きて生き死にの外なる橋をわたりゆくなり

向日葵の面伏せてゐるかたはらを過ぎて文学のほとりにも出ず

村棲みに慣れて思へば農婦らに女言葉のなくて草刈る

背信の古傷なめて冬過ぎて春は桜とまた言ひてをり

森といふ植物界に負の生のこころあづけてみどりなりけり




◆投稿作品9(12月8日までの分)◆

青木さんのコメント...

突然の電話をずっと待っている誰も知らないブエノスアイレス
きみの手が素早く背骨をなでたとき時間は逆に流れ始めた
耳元で風が微かにゆれるたび後ろできみが話した気がする
つばを飲む音が聞こえてくるような台詞を言った三時間前
泣けばいい そのために皆屋根裏で生きのびてきたはずなのだから
2009/12/07 20:16

青木さんのコメント...

一首追加します。ねえ速くもっと激しく回してよ ぐちゃぐちゃになる私は綺麗
2009/12/08 9:24

澁谷美香さんのコメント...

おはようございますzzz惚れたゼアンタのキューティクル!一緒にパフューム踊らないかい
2009/12/08 10:29

耳野さんのコメント...
何やかやしているうちにギリギリになりました。おはようございます。

シベリヤを思わす耳帽顔埋め物思う東京はすべて吹雪く先
身にメスを入るる極寒哀惜にロマンチッカの焼き印捺して
紺制服纏う少年行進曲蜜脚でパチパチ空気を鳴らし
細密製巨大電波塔その許に磔刑となりし無数の冬よ

マナ子さんのコメント...
まだ大丈夫でしょうか?投稿します。

深夜二時、電話の向うで友が泣き半ば眠りつ相槌未練
名も知らぬ遠くの人が囁いている明けない夜を切り刻めツイート
(webサービス「twitter」で発言することをツイートと言います)
姫林檎赤みを帯びて日に日にと我の届かぬ枝先に揺れ
起こしても夜中甘えてもうんざりとした顔見せるだけ猫の忍耐
2009/12/08 12:53

礒部さんのコメント...
いそべです。遅くなってしまいすみません。抽象的な歌もすこし選んでみました。

花束を抱いた男の行く先にどんな笑顔が待つのだろうか
透明なビーズの粒が弾け飛ぶ雲ひとつない芝生の上で
急行の止まらぬ駅で待つ人の時刻表にはのらない電車
黒猫が良い夢見せてくださいと魔法使いにおねだりしてる
水彩の絵の具が並ぶ画材屋で水平線の色を見つける

2009年12月4日金曜日

投稿作品7(12月1日までの分)

 毎回の投稿作品のアップにしても、名作短歌のアップにしても、じつはけっこう手がかかります。授業で配っているものをそのままコピーして投稿用の欄に張り付けると、改行がぜんぶ消えてしまって、コメントから短歌に至るまでひと続きになってしまうのです。このブログのソフトの性質ということなのでしょうか。ともかく、そういう文字のかたまりになってしまったものを、各作品に再改行することから始めないといけません。短歌の場合は、どこで切ればいいのか、だいたいはわかるものですが、それでもはじめから終りまでのすべてを細かく見直さねばならないし、紙に印刷したものを見ながら確認もするので、最終的にはかなり読み直すということになります。
 こんなことを毎週するというのも、勉強のうち。他人のものを平気でどんどんと読めなくなったら、文芸に関わる人は終わりだと感じます。外部情報を絶えず内部へ通過させ続ける透過性の高い文芸細胞膜を維持している必要があると思います。
 疲れたり、悪い意味で歳をとったりすると、文芸細胞膜はこわばりがちになるようです。ある年代以上になると、自分や自分の世代、あるいは昔のものばかりが「よいもの」であって、最近のものなど見るに値しないと言う知人が増えてきて、なんだか寂しくなりますね。自分のかたちを作っていくということと、悪くかたまっていくということ、このふたつはまったく別のことです。


◆投稿作品7(12月1日までの分)◆

青木さんのコメント...
前回の授業で、関係性が感じられる歌にチャレンジしてみようと思いました。

静かなる呼吸を乗せたきみの手が僕を掴んだ夜明けのダンス
暗がりで蔑められた目を開く涙はかくも美しきかな
キラキラと視線Xかわしつつ背後でそっとささやくような
口をつく「変態だね」という言葉寂しき二人の合い言葉にする
繋ごうと差しだした手をはねのけて明るく笑うバイバイまたね
気がつけば返さずにまだ持っている『リルケ詩集』に挟まれたメモ
2009/11/27 8:05

北寺瀬一さんのコメント...
こんばんは、北寺瀬一です。短歌以外の形式でもOKとのことですので今回の作品は、詩の最後に短歌が付いた作品を投稿します。()の中の文が短歌です。

終わりに向かってさまよう船の中で
薄い酸素が見せたスローモーションの物語も
そろそろ燃え尽きようとしているのに
こんな穏やかな気持ちで小さな窓の外を眺めている

いつ訪れるとも知れぬ断罪の時を待つ中で
「真実が常に僕にとって正しいとは限らない」
と言う君が
昔旅したという遠い星の
砂漠にある澄んだ泉の話を
もう何度も思い出したことだろうか

『その泉では、コブを湧水で満たしたラクダと
嘴の折れたハゲタカが暮らしていました。
先に死んだのはラクダです。さて彼らは幸せだったでしょうか?』

こんな謎かけで一体何を伝えたかったのか
答えをひとつ生むたびに君に近づけるような気がしていたけど
ありもしない希望を求めることにも飽きてしまった
どこまでも尽きることのないはずだったエンジンの
断末魔みたいな揺れに身を委ねているうち
遠退く

(モノローグのない物語は最終章へ光の速さで駆け抜けてゆく)




蒸気で白く煙ったバスルーム
曇った鏡に写る悲しい顔の君
何かを言おうとしたところを
シャワーを向けて消したら
残像と自分の姿が重なって流されて
何も残らなかった

眠れない夜の
逃げ場のない密室で
僕を苦しめる鏡像
どこで間違ったかももう思い出せない

頬を温い水が伝って
排水口へ絡めとられていく
湿った空気で
やっと呼吸ができる
君をなくした夜の乾いた風を
忘れて僕は
訪れるはずのない朝を迎えるだろう

(誰もいないはずの深夜のバスルーム家主はバイクの二ケツで死んだ)
2009/11/27 17:52

礒部さんのコメント...
こんばんは。いそべです。自分の感情を歌に入れて無理に作りこむことよりも、目で見た風景を自然に歌にするほうが、私には向いているようです。

頭だけきょろきょろ動く警官が街を見渡す交番の前
布団からすこしはみ出た足の指 夢を集めるアンテナのよう
水銀の体温計を振りながら額にそっと置かれる右手
行列の一番後ろ知らせてた看板遠く離れて見えず
「愛」よりも「哀」の言葉が先にある国語辞典を眺める夜は
金髪の男子生徒が手に握るやさしい色したいちごポッキー
鍵盤にゆっくり触れる調律師 音の狂いを拾い上げてく
2009/11/28 23:09

耳野さんのコメント...
こんにちは。耳野です。今回は寓話的な要素を入れてみようと思ったのですが 実際はあまり変わってないかも知れません。

  別訳・幸福概論
靴屋とは哀しき生業なりと云い木型研きし口は薄笑
靴屋より誂え靴を貰い来て二、三歩の挨拶我が浮舟よ
覚束ぬ我が足向きに苦笑せし君との喫茶でツイ脚を組む
右足の片側減った革靴で三日月灯下を滑ってもみるのだ
野分渦き藍染む夜更けは軽薄に滑空せよ我が脚我が背徳よ
綻びし革靴治しに来た我と廻り唄歌う靴屋の横顔
宙を舞う羊革のうつくし残像よ哀し幸福は確かに在りし
誕生日靴屋へ連れ立ちぼくと君ステキをひとつ誂えお呉れと

休日の午後 嗚呼、あの日のようだと
ぼくは思いつ きみを迎えに
靴はまわる 生き死にまわる
例い廻っても 君と居たらば 
ぼくは概ね 幸せ、なのだ
2009/11/29 12:53

うぐいすさんのコメント...
うぐいすです。寒くなってきましたが、まだ秋かなと黄葉を見ながら思います。

手相には未だ知りえぬ相手との破局の相が色濃く映り
皆が皆オアシス探し彷徨えり東京砂漠に住む吾もまた
川の面に洗い出したる大根のしずくきらめく秋の夕暮れ
駅前の商店街はいつの日かさびれて露地に風吹き抜くる
捨てること出来ず片付け滞る幼きころの絵画数枚
故もなく心重たく疲れたり今日の終わりにメガネを外す
2009/11/29 15:55

マルディさんのコメント...
こんばんは。私は今たいへん混乱した状態なのですが、その様子が歌にも表れているように思います。
うぐいすさん、手相はいくらでも変えられるじゃないですか。

さかしま。水たまりも杏ジャムも鏡になった水曜の午後
秋色がひかりのなかで燃えている もうじききみの記念日がくる
女たちはそわそわしてるよその晩になにを飲もうかどう騒ごうか(きみとね)
開けるまえから香しい、セザンヌの林檎たちより…、重いダンボール
名前たち、こんなとこにも付いてたの。修繕屋さんの靴クリーム瓶
ちょっとプルーストに訊いてくる!駆け込んだオスマン通りはただただ黒い
2009/11/30 0:23

大沼貴英さんのコメント...
大沼です。 忙しさにかまけてなかなか作歌モードになれないのですが、苦しいながらも絞り出した三首をこっそり投稿します。   

  誰かがマスクの裏で落とした言葉に寄せるうた三首
花も実もしょうもないヒマ耳年増ひねもすはねトビひもねすハモネプ
呟く。インターネットはさまざまな可能性を言い訳にして。
冬物は柄があるけど絵はないと主張してみるセンスもないのに
2009/11/30 0:40

うぐいすさんのコメント...
>手相はいくらでも変えられるじゃないですか。マルディさん、確かに手相は毎日刻々と変わっていきますよね。見方も考え方も色々ありますし…なにごともポジティブに考えたいものです。マルディさんも混乱状態を抜けたらゆっくりお休みになってください。私の方もゆるゆるといけたらと思います。
2009/11/30 15:34

青木さんのコメント...
>女たちはそわそわしてるよその晩になにを飲もうかどう騒ごうか(きみとね)>名前たち、こんなとこにも付いてたの。修繕屋さんの靴クリーム瓶の二首が好きです。二番目の、「名前たち」という表現がかわいい。名前に向かって呼びかけるような姿がよいです。
2009/11/30 15:56

SAI さんのコメント...
こんにちは、SAIこと、高橋大悟です。今期初投稿です。まずは、軽めに三首どうぞよろしく。

小さいなそんな自分でいいからさ言ってごらんよ「えいままよって」
燃え尽きた灰をそっとねかき集め灯を灯すからもう一度だけ
天と地を貫いて立つ大樹のように育てよ若木強く優しく
2009/11/30 19:05

叉旅猫目さんのコメント...
こんにちわ。叉旅猫目です。

・酩酊しふと見る鏡の中の吾列車待つ家出少女の如き
・男の子女の子たちただ外に出よ街は今××だから
・怪獣のルーティンワークは食べること飲むこと寝ること涙すること
2首目の「××」は無音であるのが望ましいのですが、音読する場合は「ぺけぺけ」とでも読めばよいかと思います(でも、「ぺけぺけ」だとちょっと間抜けですね……)。
2009/12/01 13:30

2009年11月26日木曜日

投稿作品6(11月24日までの分)

 11月もそろそろ終わりですね。まだ作品を出していない人は、そろそろ出し始めてください。50首などというタイヘンな数は求めません。10でも20でも。短歌はうまくいかないという人は、散文でも他のかたちでもOK.

◆投稿作品6(11月24日までの分)◆

青木さんのコメント...
一番乗りの男、青木です。

「毎日が、自宅‐会社の往復で・・・」そんな彼らの妻たちに唄う
塾帰り森できのこを食べていた子どもらがまだ帰ってこない
探すのをやめてしまったオニの背を影からずっと見続けた冬
雪の降る聖夜新宿東口一人で食べるキムチリゾット
通勤のエスカレーター階段が希望者を乗せ空まで伸びる
六甲の『意外とおいしい天然水』飲んでけっきょく今日もがんばる
2009/11/21 0:19

匿名さんのコメント...
こんばんは。叉旅猫目です。授業にほとんど行けていなくてすみません。24日は行けることと思います。

・夏に日に置き去りにされたハブラシのふと見るとまるでひまわりのような
・「いっせーの」二人で乗った方舟にあるのはカラータイマーみたいな永遠
・12360402あなたがくれたまばたきの数
・電気式ギターを初めて弾いたときから毛穴が息を息をしている
・けどそれが?教室は今日も戦争ごっこわたしは見えない銃を手にして
2009/11/23 1:53

耳野さんのコメント...
こんばんは、耳野です。先ほどの記事は長々とすみません、普通に投稿します。どうぞよろしくおねがいします。

田子ノ浦臨む工業地帯にて伸びゆきしぼくの灰色気管
我が咽に白熱光の迸り 嗚呼、グシャリ歪みし紅白煙突
竪堀駅高架下二時のササメキは白柔き脚より垂るる透液
月見草ひとつポッケに突き刺して機械めく宵の本栖湖を往く
灰色の硝子管を舌裏よりソッと突き刺す我が夜癖なり
東海道線降りて雪染む富士を背に我が胸にも貼る遺失物番号
2009/11/23 3:20

マルディさんのコメント...
こんにちは。

駅前の書店2階のレジ裏にひっそりと在る“ニャンとかしよう会”
“バイアグラ”アーユルヴェーダの老医師の机の横にマグネット有り
冷蔵庫で干からびている切り抜きをつい諳んじる「自動エレベーターの…」
枝離れ土に転がるかりんの実 終の住処を定めるごとく
どうかしら?さしだす手の甲一瞬で愛の現場にかわるキッチン
2009/11/23 13:03

うぐいすさんのコメント...
うぐいすです。投稿します。

巡りゆく季節の中の一舞台 落ち葉の輪舞曲(ロンド)輪廻の催事
ゆるゆるとブランコ揺すれば軋む音ただ懐かしく園に響けり
門前で吾を見据える番犬の威嚇のかまへ微動だにせず
不思議にも帰宅がわかる飼い犬の喜び勇む影に和みぬ
仄かなる甘栗の香の誘惑に尻尾で応ふる犬の正直
怠惰なる生活リズムしみついて冬の多忙をおそれつつをり
2009/11/23 13:59

礒部さんのコメント...
こんばんは、いそべです。短歌も卒論も行き詰ってます・・・

足音が響く廊下をまっすぐにかかと踏んづけ駆け抜ける春
オレンジのお道具箱の底に住む羽をたたんだ折りかけの鶴
背もたれの上にはみ出る新聞の同じ文字追う朝の飛行機
図書館でひそひそ話す乙女らが両手広げて見せあう手相
私とは違うところでアクセント置く君が呼ぶ私の名前
「乾杯」と口にしてから近づけるグラスの先が触れるためらい
2009/11/23 20:41

爆裂カレーライスさんのコメント...

朝食べるおぼんのなかで揺れていたネギをめがけてみそしるすする
二次会をどこでやるのかわからなくなってわたしは船にのってる

今日は、爆裂カレーライスが、口を使って、耳野さんに話しをします。覚悟していて下さい。
2009/11/24 10:41

鈴木有さんのコメント...
耳野さん。ぼくも、自分の都合のいいように解釈する傾向があります。自分の都合のいいように解釈をする傾向のあるひとほど、作者の意図を知ろうと解釈をすることが必要といえます。いまのじぶんの傾向と反対のことを無理にすることによって、感動が生まれることがある、というのもその理由です。マルディさんは、教室での解釈を聞くかぎり、作者の気持ち、意図を考えた解釈をしようとしているように感じられます。それはあなたが、自分の都合のいいように解釈をする傾向があるからかもしれません。ぼくはぜんぜん読んでない本で「応答する力」、「他者という試練」という本があります。これだよ、この題名なんだ。常々思い返す題名です。
2009/11/24 10:42

2009年11月20日金曜日

投稿作品5(11月17日までの分)

 11月17日の授業で検討した作品群を掲載します。
 短歌は、考えられている以上に複雑な読解・創作を可能にする器です。
 読む際には、作者の実生活をじかに読み取ろうとしながら読解するのも自由ですし、実生活など無視するのも自由。両方を考え合わせながら読むのも、これまた自由。
 創作の際も、実生活上の経験を扱いながらもフィクションにしてしまうのも自由だし、 フィクションをでっち上げながらも実感や心の真相を表現するのも自由です。
 ですから、一首にひとつの解釈をつければそれでよい、とは思わないようにしましょう。作る場合も、多層的な読解を許す、あるいは読者に強いるようなものを作っていく気概は要るようです。そのようなものを作るのがじつに困難であるとはいえ。


◆投稿作品5(11月17日までの分)◆

マルディさんのコメント...
磯部さん、授業中7首目の「やさしく塗った」という表現についてこだわりすぎてしまって、ごめんなさい。あれからもリップクリームを塗るたびに、この歌のことを考えています。私は、自分がこの歌から感じた想いが「やさしく塗った」とすることで限定されてしまったように思えて、それがとてももどかしかったのです。でも、今日ヨガの瞑想中に鈴木さんのコメントにもあるように作者にとって「やさしく」が最も重要なポイントなのかも、と思い至りました。だとしたら、私の発言は少しこころなかったと、反省しています。爆裂カレーライスさん、「市川 という名字の人間は人を引っ張る力があるぜ」会話がぽんっと抜き出されると、不思議な感じがします。どういう状況だったんだろう?と色々考えると楽しい。さらに、対応に困ってしまうような内容だというところが魅力的だと思いました。吉田戦車の『伝染るんです。』に、先輩が後輩に「ベランダってイタリア人の胸がでかい女の名前みたいだな」と言う作品があるんですが、それを思い出しました。2009/11/13 13:25
2009/11/14 14:44

礒部さんのコメント...
マルディさん。コメントありがとうございます。私自身、そこまで深い意味をこめて作りこんだ歌ではなかったので、マルディさんの意見を聞いて考えさせられました。実は、「やさしくなぞる」と迷った上で、最終的に「やさしく塗った」を選択したのですが、「塗った」だと、確かに限定された意味のような気がします。でも、リップクリームを「なぞる」とは言わないですよね。だんだん私ももどかしくなってきました・・・。
2009/11/14 22:58

青木さんのコメント...
投稿しまーす。

冬凍る!きゅんきゅん甘い鉄橋で‘I love you’をネコたちが叫ぶ
恋の歌だって歌えない僕らでも百人そろえば奇跡は起こる?
情けない三桁台の死をぬけて恋の聖士(まだ生きている!)
虹色の鱗(うろこ)がキラキラ美しい君にあげたい恋スルチカラ
気がつけば濡れることなどへっちゃらで 夕立の中まりあを連れて
ほらaikoが歌っているよ木の上で(きっと僕のためなのだろう)
○今朝の君
・笑った数:5
・寝た数:2
・僕を見た数:2かたぶん3
一瞬でつめたい水を浴びきって君のほっぺをつねりに行こう
2009/11/14 23:05

青木さんのコメント...
今気づいたのですが、先週の磯部さんの歌は、7首中6首が体言止めって言うんでしたっけ、名詞で終わってるんですよね。体言止めの季節なのかもしれません。
2009/11/14 23:07

うぐいすさんのコメント...
うぐいすです。銀杏ももう落ちていないですね。ひどい歌ながら投稿いたします。

暖房のめっきり恋しき朝夕は冬の到来吾に知らしむ
銀杏の匂ひ好まぬ君なれど暮らしの糧と拾ひ歩けり
儚くも紅葉といふ退廃は朽ちてゆくたび艶めきを増す
色づいて妖しく踊るイチョウの葉 秋の遺言その身で奏で
「北風と太陽」寓話思ひ出す十一月の日陰と日向
2009/11/15 20:46

大沼貴英さんのコメント...
大沼です。青木さんの、
○今朝の君・笑った数:5・寝た数:2・僕を見た数:2かたぶん3
が個人的にとても好きです。じつは前期にも、2ちゃんねる風の書き込みをそのまま抜き出して短歌にするという試みをやった人がいたんですが、そういう型破りで自由な作品がもっとあってもいいんじゃないかと俺は思います。この箇条書きは、さらに「君」と「僕」との微妙な関係性を描いているという点で、単なる衒いに終わっていないのが面白い。正直「やられたなあ」という感じです。 
では、久しぶりの投稿を。拙詠ばっかで堪らん。 
  
   恋愛の「でも」に寄せるうた七首 
君からの一通目がきたら明日は俺から送っていい免罪符
「恋愛て変な字だよねでも読者(ひと)の目を引くんだよ」編集会議
昨年のイヴに当時の恋人と行った銭湯が理想体重 
どうせ湯は別々なんだし独りでも今年も行ってみようか銭湯 
アイポッド爆音で聴くと時々ねステレオがウザくなる時々ね 
草食系男子が好きと言う君は森ガールゆえ去勢された僕 
昨年のスキニー履いたら履けちゃってまだいけるでも去勢された僕
2009/11/15 21:33

耳野さんのコメント...
こんばんは。初めて投稿しますがこちらでよろしいでしょうか?耳野です。実は先週はじめて授業に出たのですが、面白い!ぜひ参加させてください。拙作ですがどうぞよろしくお願いします。今回はちょっとした自己体験的なものを連作にしてみましたので投稿します。 
  
  連作・アンダー・ザ・レッドライト
札二枚忍ばせ浮き足覚束ず向くは赤き灯照らす異番地
箔入りし朱塗りの箸もペン軸も暗燈下では濡羽烏なり
暗橙の灯下で煙草更かしたるあの子もその子も影は歪物
彩声に囃され捻り出す万札見栄切る我の擦り切れ財布
赤燈の許に握りし白柔きその手に黒き血透けて見えたり
二十二の赤貧の描く愛などは薄紅桜と老人が云う
歪影に追われつ赤燈商店街逃亡疾走走馬灯のごと

うつくしき魑魅の棲む赤燈商店街
硬貨ひとつをひしと握りて
ぼくはウットリと青冷めていた
凛と鳴る冬の夜だった
2009/11/16 1:53

マナ子さんのコメント...
季節柄か恋の歌が多いですね。それぞれ違った風情で面白いです。今回はできるだけきれいな言葉や楽しい気持ちを入れようと思いました…が、いまいち成らずでした。

野良猫とお好み焼きパンわけて食べ また明日も会えたらいいね
雨の夜は窓を開け寝る雨の音溺れる夢を見られるだろか
誘惑が色とりどりの図書館で今日出会ったはイッパイアッテナ
(そういう名前の絵本のキャラクターです)
五股かよ!変わらずクズだねと笑えたり 別れてよかった元彼今友
(むしろ仲良く)
カメレオンカツヲノエボシカナダガンくちに出したいカツヲブシムシ
(「ぶしむし」とか言いたいだけです)
新しい病名もらって強気なるいたわれいたわれ鬱病様だぞ
2009/11/16 11:40

マルディさんのコメント...
こんばんは。マナ子さん、とても楽しそうな感じ、伝わってきます。

Rのためにきみが喉鳴らすたびに齧りたくなるそこの林檎を
人知れず太宰の墓にくちづける乙女のすがた茉莉が見ている
熱帯びるポケットの中握る鍵(キー)集約される今日の出来事
ただきみに五感捧げて果つ日々はまひるまにみるゆめに似ている
結婚の終始綯い交ぜ神無月黒紅白のお式があった
夕方は家庭の匂い嫌だわと言うお姉さまの手がきれい
2009/11/16 18:08

青木さんのコメント...
マナ子さんとマルディさんのにコメントしようと思ったのですが、長くなりそうなので授業で口頭で言うことにします。>大沼くんそうそう!まさにその関係性が見えてるということろを読み取ってもらえて嬉しいです☆
2009/11/16 23:56

礒部さんのコメント...
こんばんは。青木さんからのご指摘があったので、今回は体言止めではない歌を選んでみました。テーマはまとまっていませんが、恋の歌が多いのかもしれません。

居酒屋の忘年会の旗揺れる忘れたくない年もあるのに
すこし前最年少と言われてた選手を今はベテランと呼び
手を振るといつも後ろを確かめる 探してたのは君のことです
私より高いところのつり革をつかむその手に触れてみたくて
地下鉄の窓を見つめる人々は黒い景色に何を見るのか
手を伸ばし耳からそっと取る眼鏡 触れないように起こさぬように
ぴかぴかと点滅してる信号は君といる日は「止まれ」に変わる
2009/11/17 2:14

爆裂カレーライスさんのコメント...
マルディさん。返事がおそくなりましたが、感想を書いてくれて、ありがとうございました。『伝染るんです。』これが、これが、いいです。嬉しいです。マルディさんが、このだいめいを書くことは、不思議な調和をつくりだすと思ったからです。あと、さいしょ「うつるんです。」って読んでいたんだけど、うつるんです、は、写真のCMだなとおもって、「でんせんするんです。」って読むのかなとおもったけど、そりゃあないだろうなあ、とおもって「うつるんです。」と読むことにきめました。
耳野さん。はじめ、忍者みたいなひとだとおもいました。でも、読んでると、
彩声に囃され捻り出す万札見栄切る我の擦り切れ財布
とあって、忍者はそんなことしないなと思いました。なんだろう、1首目で、飲みかいのために、居酒屋に向かって、最後の短歌で、居酒屋から逃げるんだとおもいました。
札二枚忍ばせ浮き足覚束ず向くは赤き灯照らす異番地札二枚
は、1000円札かとおもったけれど、2000円だけだと居酒屋ではお金をはらえなくなるとおもいます。だから、一万円札を2枚持っていったんだとおもいました。「浮き足覚束ず」ふわふわしながら、歩いてるんだとおもいました。それで、赤き灯だから、夜の新宿の歌舞伎町とかそのへんなのかなとおもいました。異番地というのは、じぶんが住んでいる家の番地とは異なるという意味だから、電車を使わずに、歩いていったんだとおもいました。ああ、なんとなく、浅草あたりかもしれないとおもいました。
箔入りし朱塗りの箸もペン軸も暗燈下では濡羽烏なり
暗い居酒屋っていう感じがします。濡羽烏って、そういう名前のカラスがいるのかな、とおもって調べたら、Wikipediaに「濡れ烏(ぬれからす)とは女性の髪の色彩を形容する言葉。」と出てきました。その後に、濡れ烏も、濡羽鳥も、カラスの黒と関係がある言葉だと知りました。とにかくぼくは、「濡羽烏なり」がひじょうに良い結句だと思ったのです。「朱塗りの箸」と「ペン軸」は、共に箔入りをされているんだとおもいました。(箔入りって、なんだっけっておもって、箔でしらべたら、gooの辞書で「金属をたたいて薄くのばしたもの。金箔・銀箔など。」と出てきた。)ペン軸は、ペンのすーって長くなっているところ、持つところをいうのかな、っておもいながら、また、調べたら、はてなキーワードに、「ペン軸 - コミック用画材のひとつ。つけペンの軸になる部品で、先端にペン先を差して用いる。 」と出てきました。ここまでやって、耳野さんの短歌は調べれば調べるほど、面白さが増す短歌だとおもいました。居酒屋にマンガ家がいたのか、とか、それとも、マンガ家志望のいるひとがいたのか、とか、箔入りだから、豪華な居酒屋だったのかなとかおもいました。濡羽烏のことだけど、こりゃあいいや。箸もペン軸に、容易な言葉ですが、美しさを感じたんだと思います。ふつうは、濡羽烏は、女性の黒髪にいう言葉みたいだけど、それを箸とペン軸にたいして言ったことに、嬉しさを感じてしまいました。暗橙の灯下で煙草更かしたるあの子もその子も影は歪物耳野さんの短歌は、ストーリを感じます。歪物、さいしょ、わいぶつって、読んでいて、なんだろう、なんて読むんだろうとおもって、またGoogleで検索をしていたら、ゆがみもの、と読むことがわかりました。それで、ゆがみものは、歪んでいる物体のことを言うのかとおもったけれど、歪んでいる音のことをいうのだとわかりました。「エルメイトギタークリニック by佐野先生」というへんなタイトルのブログから、歪み物についての引用をします。「歪み物と言いますと代表的な物でまずはディストーション、んでオーバードライブ、んでファズですね。どれもギターの音を無理やり歪ますという役割は同じなんですが、歪み方が中々に違ったりします。」ギターの音なんだって! でも、この短歌では、ギターの音だということまでは意味してないとおもいます。やっぱり、女性の影が、歪んでいる、影が歪んでいる、ということは、煙草更かしてる女性の顔は、ぎこちない感じというのか、なにか屈折がこめられている顔をしているんだとおもいました。
彩声に囃され捻り出す万札見栄切る我の擦り切れ財布
たぶん、あなたがお金を一番払ったんだとおもいます。見栄を切ったのは、耳野さんと擦り切れ財布の両方になるとおもいました。擦り切れ財布を天のほうに掲げながら、一万円札を風のように出す光景が眼に浮かびました。ちょっとかわいそうだけれど、堂々していて好感を持ちました。頑張り屋を感じ取りました。赤燈の許に握りし白柔きその手に黒き血透けて見えたり血管を見たということでしょう。しかし、この短歌には、「血管を見た」というだけでは済まされないものがあります。たぶん、女だ。女の血管をみたんだとおもいます。「白柔き」というのは、男性の手ではなく、女性の手を表すのにふさわしいとおもったからです。うん、でも、ちょっとこの短歌は、いまいちです。白、黒、という対比、黒、のあとに血が来るというのは、常套的なやり方だと思うからです。しかしながら「赤燈の許に」っていうのは、たいしたものです。耳野さんは、江戸時代を感じる色を上手に使えるところとかすごいです。忍者ってさいしょに書いたけれど、耳野という名前からも忍者を感じることができます。
二十二の赤貧の描く愛などは薄紅桜と老人が云う
色から触発されて、短歌をつくっているとおもいました。そういうことにさせてもらうと、赤貧→薄紅桜、は、面白い触発です。ぼくだったら、赤貧っていう言葉を使おうとしないし使おうとしても、薄紅桜が浮かんでくることはないからです。しかし、色から触発されて短歌をつくる方法があるのか、ということを耳野さんの連作から学ばせてもらいました。ぼくも、その方法を使うこと出来ると思うので、使ってみようとおもいます。それで、なんだろう、たぶん、老人は「作者が赤貧である」いうことを知らないんじゃないかとおもいました。「赤貧の」というのは、老人が言ったことではなくて、作者の自分に対する立場・評価だとおもいます。たぶん、実際は、「二十二歳のやつが描く愛なんて、弱いです」ということを、年上の人から、いわれたんだとおもいました。でも、赤貧、ということを、一番に訴えたかったのでしょう。この短歌のなかでも、年上の人にたいしても。
歪影に追われつ赤燈商店街逃亡疾走走馬灯のごと
歪影(いびつかげ)と読むということを、検索によって知りました。(なんで、検索ばかりしているのかというと、電子辞書がどこかに消えたからです。)これは、連作の流れから考えて、煙草更かしてる女性とか、老人とかの歪(いびつ)と思われるものから、逃走をしているんだとおもいました。また、忍者っていうんだけど、忍者のように赤燈商店街を素早く走っていく姿をイメージすることができました。塚本邦雄の短歌に、
忍法夙流変移抜刀霞斬(にんぱふしゆくりうへんいばつたうかすみぎ)り 眼疾のはてにわが死はあらむ
青嵐ばさと商店街地図に山川呉服店消し去らる
という短歌があって(ぜんぶ、新字体表記だけれど…。塚本邦雄の表記通りにブログに書くのが無理で、部分的に旧字体にしようと思ったけれど、それだと威力が弱まるとおもって、全部新字体にしました。)耳野さんの短歌からは、この二首の短歌を思い出すことができました。誤解しないでほしいんですが、嫌味じゃありません。耳野さんの短歌をみて、この二首の短歌が、さらに記憶にのこって、耳野さんの短歌とつながりを持って、読むことができるようになった、ということです。
うつくしき魑魅の棲む赤燈商店街硬貨ひとつをひしと握りて
ぼくはウットリと青冷めていた凛と鳴る冬の夜だった
この最後の詞書も実にたいしたもんだと思いました。硬貨ひとつ、は、ぼくは百円玉と思いたいです。一万円札を二枚もっていったのに、百円玉だけになってしまって、明日からどうやって暮らしていこう、寒いのに、という気持ちになりました。
2009/11/17 7:15

鈴木有さんのコメント...
先週の日曜日に書いたものを、いまさらだけど投稿します。耳野さんの短歌がなかったら、投稿をしなかったと思います。
2009/11/17 8:55

鈴木有さんのコメント...
今日、中学と高校のころの同窓会があって、ぼくは夜の12時30半に呼び出されて、あつまったひとに、じぶんの自信のある短歌を17首ぐらい、みせつけてやりました。ぜんぜんわからない、といわれました。9割ぐらいのひとに。でも、意図を汲み取ろうとしている気持ちは伝わってきて、ああたぶん、ほかのひとたちは、ぼくの意図を汲み取れる量が少ないんだなと思いました。ぼくの意図が10だとしたら、たぶん、0.1ぐらいしか、汲み取ってくれてないと思いました。もちろん、酔っ払っているひとたちに、みせたから、0.1になったというのもあります。しかし、じぶんが5年間かけてつくった短歌を17首ぐらいに厳選して、わからない、わからない、といわれまくるのは、やべえなあ、まいったなあ、と思うだけの理由になりました。それで、磯部さんの意図を汲み取れなかったマルディさんの苦しみを受けて、ぼくもね、ぼくもだ、磯辺さんの短歌の意図を汲み取ろうとする気持ちが、不十分であったということに気づかされました。ぼくはいまさらだけど、磯部さんの短歌の意図が10だとしたら、7ぐらい読みとることができる自信があります。それなのに、いままで3ぐらいしか読みとってなかった、とおもって、ひでえことをしちまってたと思いました。7、読みとったうえで、自分に都合のいい解釈をやるべきだったんです。
2009/11/17 8:57

2009年11月14日土曜日

投稿作品4(11月10日までの分)

 コンスタントに投稿してくれる人たちの作風がはっきりしてきて、読むほうも、よい意味で慣れ、落ち着いて読めるようになってきました。慣れ過ぎるのもいけないのですが、詩歌では、慣れが深い読みに導いてくれるというところも、やはりあります。読む側からすれば、馴染みの作風がいくつもあるというのは、やはり楽しみでもあり、日々の気持ちの豊かさに通じていくものでもあります。自分の心だけでは受容できない世界の味わいや様相を、他人の心と表現行為を通して受け止められるというところに、詩歌や他の芸術行為の価値があります(価値は、それらのみにはもちろん留まりませんが)。
 詩歌を読んだり、詩歌とつきあったりしていくには、人間関係に似て、こんな「慣れ」、「馴染み」、ときには「馴れあい」さえをも、よりよい読解環境を作っていくものとして受け入れる必要がありそうです。ひじょうに大きな意味で、詩歌とはけっきょく、人づきあいです。他人や自分の言葉づかいの癖や工夫を、単純に拒否したり褒めたりするのでなく、大きな態度で受け入れるところに、詩歌のもうひとつ深い味わいが出てくる契機がありそうです。


◆投稿作品4(11月10日までの分)◆

青木さんのコメント...
さりげなく投稿。。。
雨の音ひとつぶひとつぶ連なって減三和音がひびく午後の末
雨止んで雀がにわかに鳴くころに待ち人はふと来るのだろうか
夕焼けの色がそのたび違うこと誰にも言わずにひっそりと見る
雑踏のひときわ大きな声の主にも聞こえている日の暮れる音
外灯の明かりに吸いよせられて来た子どもたちの言う未来完了
ごめんねを言われてもごめん分からないそのときの気持ち忘れたから
2009/10/23 10:52

鈴木有さんのコメント...
図書館を出たら、台風で、家に帰れなくなりました。石焼きビビンバを食べ終わるころには、台風がしずまってると思いました。食べ終えたときには本当に静まっていて、びっくりしました。ぼくは、帰ろうとおもって、レジに向かってたら、サイフにお金がほぼ入っていないことに気づきました。気づいてすぐに「あ」と叫びごえを店内で上げました。この発声の結果、中国人の日本語がしゃべれる店員さんは、「イイヨイイヨ、ツギキタトキデ」と、僕が払わなければいけない850円の問題について話しました。ぼくはアッと思って、そういえば、このお店は、ぼくのアルバイト先の面接官だった神田(カンダ)さんが、お金がない状態でなにかを食べて、そのまま払わなかった、とぼくに伝えてきたお店であることを思い出しました。神田さん(カンダさん)は、今年の11月に横浜のコンチネンタルホテルで、(はじめ、名前を聞き間違えて、「センチメンタルホテルですか」と聞き返したら「センチメンタルじゃ、そんな、センチメンタルじゃ……」と言っていた)結っこん式を上げることになっていて、その式場で、ぼくは、祝祭の短歌を、2首読みあげることになっているのです。来週の短歌です。
図書館を出たらすんげえ台風で石焼きビビンバ食べに行くのだ
小野小町で浮かべるものはなんですか ぼくは「遣唐使」と答えけり
小・中・高・大 授業のときに立方体ばかり書いてたノートの余白に
2009/10/30 19:21

鈴木有さんのコメント...
>>自分にたいして。いちばん上の3行、削除したほうがよかったな、残念。
2009/10/30 22:54

うぐいすさんのコメント...
うぐいすです。新型インフルエンザに罹りましたが、タミフルのおかげで早く治りました。
風邪をひき分かる自分の脆弱さ元気のないのは心の方だ
誘われてまんまと罹るインフルの猛威をしばし抑えよタミフル
熱が引きふしぶし痛む関節も徐々にやわらぎ咳も落ち着く
木も草も生きる力に前向きで愚痴も言わずに育っていく
爽秋の胸張る空に白い雲銀杏並木ゆるりとすすむ
ラッシュアワー三ヶ国語が軋みあい談話が走り文化が揺れる
(西武線の混雑時、仏語に英語に韓国語が飛び交っていました)
2009/10/31 0:25

鈴木有さんのコメント...
ごめんなさい。3回も続けて投稿してしまって。ものすごくいけないことをしている気がします。3首目の短歌を、小・中・高と授業のときに立方体ばかり書いてたノートのすみに(小・中・高・大 授業のときに立方体ばかり書いてたノートの余白に)と変えたくて、今、書き込んでいます。ずるいけれども、自分のために、いままで書いた修正を当てはめて、もういちど最初から書かせてもらいます。(もう、いくらなんでも、来週の火曜日まで、書き込みません。)             
☆ぼくは、帰ろうとおもって、レジに向かってたら、サイフにお金がほぼ入っていないことに気づきました。気づいてすぐに「あ」と叫びごえを店内で上げました。この発声の結果、中国人の日本語がしゃべれる店員さんは、「イイヨイイヨ、ツギキタトキデ」と、僕が払わなければいけない850円の問題について話しました。ぼくはアッと思って、そういえば、このお店は、ぼくのアルバイト先の面接官だった神田(カンダ)さんが、お金がない状態でなにかを食べて、そのまま払わなかった、とぼくに伝えてきたお店であることを思い出しました。神田さん(カンダさん)は、今年の11月に横浜のコンチネンタルホテルで、(はじめ、名前を聞き間違えて、「センチメンタルホテルですか」と聞き返したら「センチメンタルじゃ、そんな、センチメンタルじゃ……」と言っていた)結っこん式を上げることになっていて、その式場で、ぼくは、祝祭の短歌を、2首読みあげることになっているのです。来週の短歌です。
図書館を出たらすんげえ台風で石焼きビビンバ食べに行くのだ
小野小町で浮かべるものはなんですか ぼくは「遣唐使」と答えけり
小・中・高 授業のときに立方体ばかり書いてたノートのすみに
(小・中・高・大 授業のときに立方体ばかり書いてたノートの余白に)
2009/10/31 12:40

マルディさんのコメント...
こんにちは。お久しぶりです。
ベランダにのびるその枝百日紅(さるすべり)哀れくすんだ花を残して
示された番地丸めてそのままの冬のコートを奥よりいだす
カンパーニュ・プルミエール通りうろつけばフジタ?マン・レイ?住みびとが問う
どのようにここに居たのか我がきみの代替にする堀江敏幸
抱えた本に胸痛くなる箇所あって気付けば部屋に闇が来ており
ひらひらと舞い散る木の葉記憶にも言葉にもなり吾を惑わす
2009/11/04 14:19

青木 さんのコメント...
>示された番地丸めてそのままの冬のコートを奥よりいだす
寒くなってきて、冬のコートを出したら、なにやら前の冬に入れたままになっていたらしい紙が入っていた、という歌ですよね?これがわりと良いかなと思いました。「わりと」良いと書いたのは、下の句の「冬のコートを奥よりいだす」がもう少し何かならないかな、と一瞬思ったからです。はじめの「示された番地丸めてそのままの」が結構おもしろいなと思って、下の句読んだら意外と普通だった、、、みたいな。。でもよく読んでみると、これはこのままシンプルで良いような気もしてきます。「示された番地」から喚起される想像をどこまで広げるのか、広げないのかですよね。
2009/11/05 15:12

青木さんのコメント...
>抱えた本に胸痛くなる箇所あって気付けば部屋に闇が来ており
逆に、これはあまり良くないと思います。まず、「抱えた本に胸痛くなる箇所あって」が説明的。そして、「部屋に闇が来て」という表現は、いかにも詩っぽい感じがしますが、あくまで「いかにも詩っぽい」だけで、実際はとても陳腐なような気がします。だから、この歌には、あまり「詩」を感じることができません。マルディさんは、言葉のチョイスになかなか他の人には持ってないおもしろさがあることが多いので、とてもおもしろい作品が作れそうな気がします。
2009/11/05 15:20

青木さんのコメント...
>小・中・高 授業のときに立方体ばかり書いてたノートのすみに
(小・中・高・大 授業のときに立方体ばかり書いてたノートの余白に)
僕は、これは「余白」の方が良いような気がします。すみと余白では意味が異なりますが、余白の方が読み手の想像力が広がるのでは?あとは、「ノートのすみ」という表現自体にあまりおもしろみがないというのもあるかもしれません。
2009/11/05 15:22

マルディさんのコメント...
青木さん、ありがとう。5首目(と6首目)は自分でもちょっと嫌でした。私は歌に固有名詞を使いすぎていることを気にしていて、それをどうにか回避してみたらこの有様です。5首目、がらっと変えました。
“『腕(ブラ)一本』1月2日の初夢”に吸われた午後の手写して遊ぶ
(藤田嗣治『腕一本・巴里の横顔』講談社文芸文庫、2005年、246p)
2009/11/07 21:36

青木さんのコメント...
>“『腕(ブラ)一本』1月2日の初夢”に吸われた午後の手写して遊ぶ
そうそう、こういう言葉の使い方がマルディさんらしい!でも、読むとまだ、日記的というか、本を読んで午後をつぶしましたというのをそれっぽく言い換えただけになってると思います。この言葉でおもしろい一首が作れそうなだけに非常に勿体ない。たとえば、こんな感じにしてみると、マルディさんの言いたいこととは違うかもしれませんが、少しだけ日記的な短歌から抜け出せると思いません?“『腕(ブラ)一本』1月2日の初夢”が醒めないわたし嵌(は)められている?ちなみに、「ブラ」って一体何か分からなかったんですが、おそらく"bras"のことですよね。。。
2009/11/07 22:30

青木さんのコメント...
昨日投稿した後に思ったのですが、
“『腕(ブラ)一本』1月2日の初夢”を見ているうちに夜となりぬ
このくらいシンプルでもいいかもしれません。こっちの方がはじめの言葉のおもしろさが生きるかも。
2009/11/08 8:05

マナ子さんのコメント...
こんにちは、投稿します。またどうも陰気になってしまいました。
痛いのか憎いか辛いか悲しいか七十回目の死を死ぬ勇者
暇潰し流れて生きれば幾年か(早く人間になりたい!!)
ほの暗き臭気冷気のみ覚えおり休み時間の便所太宰の
(小説の内容は忘れました)
おかあさん父祖母弟友あなた 喜ばせたし傷つけたくなし
くたびれて愛する人の多きことに 夜道呟く「誰がわかるものか」
ちぢこまる幼虫がいる冬の流し 湯気をそちらに扇いであげよう
網戸なし暖冷房なし風呂もなし“貧乏ごっこ”のつもりで住めばよし
2009/11/08 12:52

マルディさんのコメント...
マナ子さん、6首目素敵です。瞬間的母性を感じます。あと3首目は、そのマナ子さんの姿を太宰がどんな顔で天から見ていたかと想像すると第三者である私としては可笑しくなり、この歌も好きです。
青木さん、またまた鋭いご指摘です。まだ日記(記録)的なのは、写真に原因があるのかもしれません。ある写真から引き出された記憶をもとに作ったので。
“『腕(ブラ)一本』1月2日の初夢”を見ているうちに夜となりぬ
このシンプルさいいですね。私ももうひと頑張りしてみました。
“『腕(ブラ)一本』1月2日の初夢”で失くした午後フィルムに残れり
鈴木さんの3首目「すみ」か「余白」かですが、私は「すみ」派です。余白だと少々堂々としすぎかと。こっそり行われた行為に潜むエゴに重点を置いたのかと思いました。
2009/11/08 20:03

礒部さんのコメント...
お久しぶりです、いそべです。今週は「電車」をテーマに考えてみた歌のなかから、いくつか後半に選んでみました。毎回、どの歌を投稿すればよいかとても悩みます・・・。
日が暮れて窓の外には寒空に響く子どもの「バイバイ」の声
夕暮れの街をせわしく交差する散りばめられたマフラーの色
口開けた通学かばんからのぞくふくらみ過ぎた赤い筆箱
終点の駅で降りゆく乗客を幾度見送る置き去りの傘
帰り道電車のなかで分けあった白いイヤホン片耳の音
君のこと忘れたくない忘れたい 触れてはならぬかさぶたのよう
電車から降りるあなたの背を見つつやさしく塗ったリップクリーム
2009/11/08 21:45

爆裂カレーライスさんのコメント...
電鉄の中で開いた携帯の首がぽろんと落ちてしもうた
「市川 という名字の人間は人を引っ張る力があるぜ」
2009/11/09 21:16

鈴木有さんのコメント...
青木さん。まずはじめに、文体にまた変化を感じました。気のせいかな、どんどん女の子っぽくなっているような、青木さんの中で女性化が進んでいるのかもしれません。短歌をつくるひとは、女性的な男性が多いということを、『現代詩としての短歌 (石井辰彦さん)』という本で読みました。それで、納得しました。だから、いい傾向なのかな、でも青木さんのばあいは、うーん、どうなんだろ、青木さんは、男っぽさの割合が、大きいほうがいいとおもいます。ぼくもそうです。それで、今回の短歌は「折衷主義」を感じすぎてしまったのです。批判されにくいけど目立たない短歌といえます。もうちょっと崩している、ぼくは青木さんの踊りを感じる短歌をみてみたいです。それから、青木さん。マルディさんは、興味深いことに興味があるんです。マルディさんの短歌をみて、なんなんだろうこれは、と思うのは、ぼくとか青木さんとか駿河せんせいとかが、興味深いと思うことに興味を持っているからです。偉そうに言うけど、やっぱり、現在の自分が興味深くなっていることを短歌にすると強いです。興味深いひとのことを短歌にすると、相聞歌になります。相聞歌の達人は、だいたいが、片思いの達人なんです。僕は今、大学の非常勤教師に明らかな片思いをしていて、気がついたときには、一首できていました。
マルディさん。4首目。きみの顔が、堀江敏幸に似ているのだとおもいました。10月11日の短歌の「岸辺四郎」といい、今回の堀江敏幸といい、マルディさんは、テレビにでてる有名人を短歌のなかに、うまく入れられる人だということが分かりました。“『腕(ブラ)一本』1月2日の初夢”で失くした午後フィルムに残れりあと、これいいね。この不気味さは快感になります。夢でなくした腕が、フィルムに残ってるっていうのが、すごい夢だなあ。ブラっていうのもいい。腕ってぶらぶらしているし、腕を一本だけぶらぶらさせている夢なのかなとおもいました。夢かあ、ぼくはきょうは、どこかを歩いていて、会うひとすべてにいじめられるという、いやな夢をみました。ぜんいん、じぶんの知っているひとで、恐ろしかったです。青木さん、メルディさん。3つめの短歌の感想、青木さんのはひじょうに的を射ていて、心を射られたとおもいました。射られました。マルディさんのは、エゴか、「こっそり行われた行為にひそむエゴ」かすごい考えかただなとおもいました。新しい発見です。ただ、この短歌、じつは、小・中・高と授業のときに立方体ばかり書いてたノートのすみに(小・中・高・大 授業のときに立方体ばかり書いてたノートの余白に)の書き写し間違えでした。ぼくの3つめの書きこみの2行目では、「と」が入っているのに、最後から2行前では「と」が抜けているんです。小・中・高 授業のときに立方体ばかり書いてたノートのすみに(小・中・高・大 授業のときに立方体ばかり書いてたノートの余白に)でも、マルディさんのコメントを読んで、「と」がないほうがいいかも、とおもいました。「と」があると焦点がぼやけてしまうことも、その理由です。だけれども、「と」がないのは、閉じられてしまっている感じがします。ぼくは、社会的な短歌をつくりたいとおもっています。ぼくの実際の自分の動きは、社会的でないことが多いからです。(社会的でないから、いま留年をしてて、6年生になってる)社会的な短歌とは、究極は、自殺を食い止めることが出来る短歌のことです。あと、短歌という木のためになる短歌も、社会的な短歌になります。開かれている短歌が、すべて社会的な短歌になってるとはいえません。でも、閉じられている短歌は、社会的でないほうが実感として多い気がしています。
「と」がないほうが焦点がぼやけません。結果、推測と想像がしやすくなります。しかし、読むひとは、一瞬、落ち込むひとが多いだろうなとおもいます。一瞬、落ち込んだあとに、あとで元気になれればいいんだけど、そういう短歌に、はたしてなっているのか。なってない気がしますね。だから、この短歌は、「と」が、あったほうが良いとおもいます。でも、これはあくまでもぼくの基準です。
礒部さん。3首目、ふくらみすぎた筆箱が破裂するのが、脳裏に浮かびました。5首目、だれと分けあったのだろうと思ったけれど、冷静に考えて、同い年くらいの男性だと思いました。7首目、これはつまり、電車のなかでリップクリームをぬったということです。ぼくの関心は、なぜ「あなた」が降りたあとに、リップクリームをぬったのかということです。リップクリームはくちびるがかわいたときにぬります。おそらく、同い年くらいの男性と話しているときには、失礼だとおもって、リップクリームをぬらなかったのだとおもいます。あ、やさしく塗ったのか、そうか「やさしく塗った」という情報は、重要です。重要でかつ魅力的です。

2009年10月22日木曜日

投稿作品3

 20日の授業で言い忘れましたが、27日は用事があって休講にします。
 20日に配布した投稿作品3のうち、コメントなどを省いた作品部分だけを下に載せておきます。「爆裂カレーライス」さんの分のみ、コメントを載せておきました。
 これらを印刷したプリントは、次回にも持ってきてください。もう少し検討しようと思います。11月3日も文化の日で休みですから、11月10日が次回ということになりますね。


◆投稿作品3 (10月20日までの分)◆

青木佑太
ふわり軽くキャッチコピーのように空一つ、飛行機がすべって消えた
空(くう)を見て天とは何か考えて吸い込んだ息は僕だけのもの
秋風にひと筆書きで書いた夢散るも散らぬもとるに足らない
寂しさや右も左も人だらけ浮世の友を今日も忘れる
疑えば疑うごとに深くなるホワイトシチューの味を夢見る
究極のカレーのレシピを裏返しねつ造する夜はウピピピ

マナ子
年老いた女というわけでいじめられる会社の中の憎悪と白髪
「頭おかしいよな」男二人の陰口は喉をえがらせ足でにじって
透風に金木犀の甘香乗る花房探して振り仰ぐと空
蜜柑あげは蝶幼虫緑やわさに並ぶ棘があやうい
夏トカゲゴキブリわたしムカデクモ皆雄がおりまぐわう四畳
我知らずウッチャンナンチャン好きな友をセンスの無い奴と見下してゐる
「電車の中では話しかけないで」制服少女と「はいはい」と母

礒部真実子
沸き上がるやかんの湯気が白くなる ひと足早く知る冬の色
温かいスープの缶を包み込むその指先が触れる北風
眠くても眠くなくても寄りかかる人が隣にいる冬の夜
サボテンを枯らしてしまう私でもできるのかしら 恋というのは
近寄って初めて気づく先生の黒い眼鏡のレンズの厚み
背中から少しはみ出たランドセル背負う子どもの振り向く笑顔

うぐいす
ダイエットさらさらする気はないけれど今日も今日とてバナナ一本
太極拳無駄な動きを省きをりリラックスして呼吸をつなぐ
軽妙にうつす重心運ぶ足慣れとは言うがたやすくはなく

クロ
だれもいない私の人生生きた人できるできないやるのは私

マルディ
アスファルト埋まるオレンジの粒を見る 俯いている自分に気づく
カミーユが得意気に聞く教室で愛人の名は?「Elle s'appelle Camille(エルサペルカミーユ)」
美しき「受胎告知」が現前し 名前を、と男はつぶやいた
おめでとう、自分の声が耳に入って 受胎はやはり祝福と知る
哲人の墓地巡り楽し秋の夜『哲学者たちの死に方』今日はニーチェ

爆裂カレーライス(コメントのみ)
ある理由から4日間、パソコンが家からなくなってしまって、書き込むことをしませんでした。
ああ、一週間まえのことを、書かせてもらいます。
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授業中に鈴木さんが言ってた「短歌では自意識が武器になる」という言葉が、印象にのこりました。しかし、ぼくからいわせてもらえば、自意識は毒にもなります。ピカソはこんな言葉をのこしています。「最後は、愛しかない。だが、それはどのようにして可能であろう。鶸(ヒハ)がもっとも美しい声でさえずるためにそうするように画家の目もつぶされるべきなのだ」(訳者不明、「絵画の見方」という授業で知った言葉、、、)短歌の場合、「画家の目」というのは、作者の自意識になります。(自意識というのは、短歌をつくるまえの自分の中の意識のことです。それから、短歌を通して、じぶんが人からどのようにみられたいのか、というのも自意識になります。)ぼくは、短歌で愛で実現するためには、自意識を抑制することが不可欠であると考えています。国の法律によって、個人の自意識の抑制がされているように、短歌をつくるひとは、定型によって自意識を抑制することができます。定型によって、言葉を選ばされたり、内容を変えさせられたりするからです。(倫理的なものも、定型にはある気がします。)あと、古語を使うことによっても、自意識を抑制することができます。なにが言いたいのかというと、自意識が強烈なひとほど、自意識を抑えることが必要だ、ということです。定型と自意識の葛藤の間で、良い短歌は生まれるからです。だから、短歌をつくるひとは、抑制が必要になるほどの自意識を持っていることは得なのではないか、とおもいます。

北寺瀬一
カッターシャツ開いた襟ぐり伝う汗項鎖骨肋骨その先
君からは聞きたくなかったそんな告白「明日の学祭までに俺は忘れる」
後悔は今更だって身に染みる十月の夜は思いの外冷える
火曜五限倫理のテーマは「愛について」ねぇ先生なら答えくれるの?
屋上給水タンクの影に隠されたい君と誰かが永遠の十七才

2009年10月18日日曜日

投稿作品1・投稿作品2

 10月13日は参加者たちの作品を読み、検討しました。過去の秀作短歌は読みませんでした。そこで、この欄には、一週目の投稿作品と二週目の投稿作品をまとめて載せておきます。


◆投稿作品1 (十月六日までの分)◆

うぐいす
朝一にパソコンつけてテレビつけ機械に追われ時間に追われ
暇見つけメールの返信いそしむも打てば友から暇人だねと
食欲なく虚脱感あり暮れてゆく今日も一日無為に過ごせリ

青木佑太
イパネマで CIDADE DE DEUS のバス見たり オレンジの文字がくっきり光って
イパネマの娘よりもアルゼンチンの娘の方が可愛いと云い
たまごごはん食べたい食べたい食べたいたまごを買いに行く夜の二時

マルディ
骨壷に愛おしい骨溢れ出てトントンされておかしくもなり
可憐なる味トマトカレー興に乗ってモロヘイヤ入れおどろおどろし
このカフェは9:00amを過ぎるともうだめなの園ママたちが占拠するから
股ぐらに足下の犬来て丸まれば朝も来たこと思い出す
朝妊娠すカヒミカリィの憧れの華奢な身体が拡がっている

大沼貴英
 大学最後の夏休みに寄せるうた十三首
起き抜けのラブホの部屋のカラオケで歌う自分の下手なこと下手なこと
俺はキス君はちゅーという認識が違っていたんだね甘かったね
二十二の命からがら誕生日どこへ行ったか知れぬ性欲
からだからだ愛せ愛せよ傷つけることしかできないどの道だから
窓枠をゴールポストに見立てては見はるかす過去のベランダから
ふるさとの訛なつかし駿河湾地震を指して「いーかん揺れた」
「驚ぇて卓袱台に潜っただけぇが、頭だけしかへぇらなかったや」
裏庭に灯籠の倒れたるを見て女系家族の男の肩身
就職を間近に控えた金曜日わりとマジ「あと二日の命」
世捨て人でもワーカホリックでも何でも。我らサーカス一座なり
右手をあげて左手をあげて万歳のかたちになりぬ死んでしまいぬ\(^o^)/
両手あげプロペラのごと回りつつ先輩「おまえ歯車になるのか」
「仕事は恋人」とか言ってるけど実際そうだけど、なぜ、いま恋なんか

礒部真実子
公園のベンチに座り手をつけばこの町は今朝雨降りと知る
靴投げて占う天気予報では晴れの確率九割七分
あくびして瞳を閉じている間にも伸びる飛行機雲の白線
窓際の席だけ埋まるファミレスで深夜零時の人影を見る

ほたるいか
台風の過ぎ去るのを待ち 麦茶から ミルクティでも沸かして飲もうか
口紅も マスカラさえも 面倒だ 女の特権 面倒くさいだけ
キャラバンの らくだのような人生だ 休みたくても 荷物は重い


◆投稿作品2 (10月13日までの分)◆

シュクレ
「ほら ぴったり。あたしたち いっこだ。」 嘘ばっかり。ごめんね 私、君をだましてる。
通過する「特別快速 地獄行き」 乗らずに済んだ 武蔵小金井
強引にくちびる奪うウルトラCやっぱり君は魔法使いだ
「ここはどこ? あしたはどっち? 見えないの」「渋谷区松濤、世界の果てさ。」
小雨降るトビリシ国際空港でトランジットの未だ見ぬ君よ
わかってる。きっとあなたはサイコパス。瞳がガラスで。映してあたしを。

六等星
学校の感想文には載せられない彼女の尖った感性が好き
屋上に一番近い階段でスカートがあばくスカートの秘密
白髪もハゲも出っ歯も既婚者も校舎の中では花泥棒なの
放課後の渡り廊下に細長くスタッカートの異端の聖歌が
先生の気持ち悪さを笑う時、分け隔てなく皆豊かな少女
えっちゃんが日誌に引いた蛍光ペン今日の保体はセックスでした
英語科の二年のバド部のジャーマネがバド部の主将とデキてる速報
英語科のバド部の主将の本命はカナダに留学している続報
ソプラノのCからDが狂うのは朝練に来ない田村の所為でしょ
プリントを折る指の幹がまるで違う先生とずっと地図を折ってた
貝の端みたいな爪がチカチカと光ればあなたも不良のようです
先生が好きなあの子が昨夜未明、塾の男子と、ざわざわしました
シーユーと発音するK先生が勧める語学テキストのプリント
スカートの襞が散らばる春だから陰口もまるで木々のさわめき 
足音であなたが判ったあの子も主婦に、こめかみがきつく鳴るのね先生

青木佑太
燃えるトマトラーメンのスープをもってここから始まる、今日、不死の歌
嵐吹く東京の空に訪れる一つや二つの命など知らぬ
左耳耳鳴りのする母親の右耳に告ぐ最終告知
真夜中のローソクをすべて切り捨てて、サンバを踊れば見える見える
北東の土より来たれカリオカのリズムに揺れる第八ポスト
冬夜から帰った部屋でいつ聞きし雨粒の音は今でも響くか?
塩を入れパスタをゆでる境地からダンスが生まれる私の秘密
しっとりと石のくぼみに耳つけて反対側で鳴るカバキーニョ
新宿のすきま風を聞いているコンクリートの秘め事を見たり
Liberdade 隠された記憶の如く地球の反対で食うたこ焼き

うぐいす
人恋し秋のしづけき夜長にはメールのやりとり尽きることなく
定刻の来ぬバスを待つ十月の陽射し厳しき駅前のバス停
青き空広がる秋のさやけさを仰ぎて歩む夕暮れの道

マルディ
今宵またホロスコープに身投げして手繰る運命前世とか天職とか
数独を日がな一日窓辺にて解きたる君は鬱の最中に
三越のラデュレ窓際通されて眼下往く人/フレンチトースト
悪くなってカメラ重くて嫌になるよ“岸部四郎はウドンが重い”
来る来ない来る来ない来る今日は来ぬ、恋人は野良、来る来ない来る、
車窓映る酔狂の吾どうしても撮りたい首だケータイを出す

爆裂カレーライス
じゅぎょうちゅうせんせいにさされドストエフスキー流暢に言えなかったよ

澁谷美香
つくるだけ なれはしないと知ってるよ、カレーライスのようなひと
大学なんて行かないで叶わない夢追っている 君のほうがすごいよ
すてちゃえよ、童貞なんか 誰か言ってやってください

礒部真実子
秋深し今年初めて耳にする西高東低冬型配置
足揃え爪切る母は丸くなる まるでサナギの抜け殻のよう
気の抜けたぬるいコーラの温度より生温かく頬伝う汗
マニキュアが乾くあいだに眺めてた地図の上から探す町の名
ふわふわの耳当てつけた少女らは雪降る国へゆくのだろうか

大沼貴英
 金木犀の季節に寄せるうた五首
知らぬ間に俺たち誰に負けたんだ? のぶれすおぶりじゅ五百万くれ
木犀の馥郁たるを聴きながら大宅壮一文庫への道
「この匂い、でんぷんのりに似てるね」「え?」平成生まれには通じぬか
「忘れ物ない?」って訊いたのに忘れた君の髪どめゴムの色気なさ
ラーメン屋のカウンターの隅に置かれた髪どめゴムの重なりつやめき

ほたるいか
ぬくくって 満腹だって  さみしいの ぱんをほおばる ほほにも涙
クマの顔 鞄につけて 笑い合う 女子高生を 遠い目で見たどうしてよ 
死人に口なし 泣き言を おねえの墓前で 吐き出す自分
束縛と いう名の 入口 結婚に あこがれ夢見る 一人の女
パリのカフェ シトロン水で 長居して フランスの風 髪をなびかす
見つからぬ 青い鳥を探すのも 気づけば幻 25の秋

北寺瀬一
始めまして 季節外れの転校生です 残り短いですがよろしく
我先に 群がるクラスメイトの山の 隙間に見えたメタルフレーム
まさか君が 眼鏡でハイジャン?陸上部なんて 見下ろす放課後の教室ひとり
ごめん男とか女とかそういうの抜きにしたって きもちわるい
「かわいいと好きをごっちゃにしちゃダメですよ、先輩」そうかお前は
彼の言う「優しくしないで」は理解不能。無理矢理奪えば違うと言うし!
蝉の死体見つけて埋める背中に告げる「明日、かえるよ」 ジーツクツクホーシ

2009年10月7日水曜日

必読短歌14(釈迢空・佐々木信綱・佐々木幸綱)

 10月6日の授業でとりあげた三歌人の歌を載せておきます。
 国文学・民俗学の泰斗である折口信夫は釈迢空の名で作歌しました。句読点を付し、孤心の深みにひとり降りていくような作風の前では、急いで読み飛ばすような接し方は慎まなければならないでしょう。
 やはり国文学の泰斗である佐々木信綱の歌は、わかりやすい作品ながらも、学ぶべき基本的技法が所々に見られ、大きな歌いっぷりの中に懐かしさと癒しとがあります。
 その孫にあたる佐々木信綱は早稲田大学の大先輩。男歌をひとりで背負って来たかのような雄々しく爽快な作品には、はにかみと優しさがいつも同居してます。生活の中での心の持ち方をそれとなく教えられるような味わい深さが特徴といえそうです。

◆釈迢空 (しゃく ちょうくう) → 折口信夫 一八八七~一九五三◆

葛の花 踏みしだかれて、 色あたらし。この山道を行きし人あり

山岸に、昼を 地虫の鳴き満ちて、このしづけさに 身はつかれたり

この島に、われを見知れる人はあらず。やすしと思ふあゆみの さびしさ

邑(ムラ)山の松の木むらに、日はあたり ひそけきかもよ。旅びとの墓

山ぐちの桜昏れつゝ ほの白き道の空には、鳴く鳥も棲(ヰ)ず

山深く われは来にけり。山深き木々のとよみは、音やみにけり

ながき夜の ねむりの後も、なほ夜なる 月おし照れり。河原菅原

光る瑞の 其処につどはす三世の仏 まじらひがたき現身(ウツソミ)。われは

水底に、うつそみの面わ 沈透(シヅ)き見ゆ。来む世も、我の 寂しくあらむ

竹山に 古葉おちつくおと聞ゆ。霜夜のふけに、覚めつゝ居れば

わがせどに 立ち繁(シ)む竹の梢(ウレ)冷ゆる 天の霜夜と 目を瞑りをり

秋たけぬ。荒涼(スゞロサム)さを 戸によれば、枯れ野におつる 鶸(ヒワ)のひとむれ

目の下に 飛鳥の村の暮るゝ靄――。 ますぐにさがる 宮の石段(イシキダ)

野も 山も 秋さび果てゝ 草高し―。 人の出で入る声も 聞えず

我よりも残りがひなき 人ばかりなる世に生きて 人を怒れり

あはれ何ごとも 過ぎにしかなと言ふ人の たゞ静かなる眉に 向へり

ほのぼのと 炎の中に女居て、しづけき笑(エマ)ひ消えゆかむとす

いまははた 老いかゞまりて、誰よりもかれよりも 低き しはぶきをする


◆佐々木信綱 (ささき のぶつな) 一八七二~一九六三◆

ゆきゆけば朧月夜となりにけり城のひむがし菜の花の村

幼きは幼きどちのものがたり葡萄のかげに月かたぶきぬ

わた中のかゝる島にも人すみて家もありけり墓もありけり

よき事に終りのありといふやうにたいさん木の花がくづるる

ちらばれる耳成山や香具山や菜の花黄なる春の大和に

ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲

狂ひたる時計がなほも動きやまでたがへる時刻(とき)をさせるさびしさ

道の上に残らむ跡はありもあらずわれ虔(つつし)みてわが道ゆかむ

人とほくゆきて帰らず秋の日の光しみ入る石だたみ道

春ここに生るる朝の日をうけて山河草木みな光あり

鳥の声水のひゞきに夜はあけて神代に似たり山中の村

人の世はめでたし朝の日をうけてすきとほる葉の青きかがやき

いつまでか此のたそがれの鐘はひびく物皆うつりくだかるる世に

波きるやおとのさやさや月白き津軽の迫門(せと)をわが船わたる

大き海に月おし照れり船艫(ふなとも)を滝つ瀬なして流れ散る波

山の上にたてりて久し吾もまた一本の木の心地するかも

たでの花ゆふべの風にゆられをり人の憂は人のものなる

ありがたし今日の一日もわが命めぐみたまへり天と地と人と


◆佐々木幸綱 (ささき ゆきつな) 一九三八~◆

サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝を愛する理由はいらず

イルカ飛ぶジャックナイフの瞬間もあっけなし吾は吾に永遠(とわ)に遠きや

ゆく秋の川びんびんと冷え緊まる夕岸を行き鎮めがたきぞ

夏の女のそりと坂に立っていて肉透けるまで人恋うらしき

ジャージーの汗滲むボール横抱きに吾駆けぬけよ吾の男よ

なめらかな肌だったっけ若草の妻ときめてたかもしれぬ掌は

三十一拍のスローガンを書け なあ俺たちも言霊を信じようよ

直立せよ一行の詩 陽炎(かげろう)に揺れつつまさに大地さわげる         

君は信じるぎんぎんぎらぎら人間の原点はかがやくという嘘を

わが夏の髪に鋼の香が立つと指からめつつ女は言うなり

詩歌とは真夏の鏡、火の額を押し当てて立つ暮るる世界に

竹は内部に純白の闇育て来ていま鳴れりその一つ一つの闇が

書にむかう父の猫背の峠にて霧巻くとそを眺めてありき

父として幼き者は見上げ居りねがわくは金色の獅子とうつれよ

あばれ独楽ぐいぐいと立ち澄み行けり聖なる時と子は見つめ居り

男とはなどと言いつつ逆様に幼なぶらさげ楽しんでいる

暗き時代を恋うごとく学生にしゃべりゆく暗さゆえ輝くくさぐさあるを

竹に降る雨むらぎもの心冴えてながく勇気を思いいしなり

2009年10月4日日曜日

必読短歌13(高野公彦・石田比呂志・奥村晃作)

 9月29日の授業では、高野公彦、石田比呂志、奥村晃作の作品を鑑賞しました。時間の都合で、わずかの作品にしか触れられませんでしたが、選んだ作品はどれも必ず読んでおくべきものです。以下に掲げておきます。
 なお、作品投稿などはこの欄の下方にあるコメント欄から行ってください。

◆高野公彦 (たかの きみひこ) 一九四一~◆

青春はみづきの下をかよふ風あるいは遠い線路のかがやき

悲しみを書きてくるめし紙きれが夜ふけの花のごと開きをるなり

白き霧ながるる夜の草の園に自転車はほそきつばさ濡れたり       

水底に肌擦る緋鯉の身の反りを冬の夜ふかく憶ひてゐたり

風いでて波止の自転車倒れゆけりかなたまばゆき速吸(はやすひ)の海

エレベーターひらく即ち足もとにしづかに光る廊下来てをり

わが生と幾つかの死のあはひにて日あたる塀は長くつづけり

みどりごは泣きつつ目ざむひえびえと北半球にあさがほひらき

灯を消して寝ねんとするにはるかなる母を思へと暗黒はあり

乾坤(けんこん)の坤(こん)の寂けさ 母入る前のひつぎの底をのぞけば

滝、三日月、吊橋、女体うばたまの闇にしづかに身をそらすもの

飛込台はなれて空(くう)にうかびたるそのたまゆらを暗し裸体は

夜ざくらを見つつ思ほゆ人の世に暗くただ一つある〈非常口〉

ぶだう呑む口ひらくときこの家の過去世の人ら我を見つむる

なきがらのほとりに重きわがからだ置きどころなく歩くなりけり

弘法寺の桜ちるなか吊鐘は音をたくはへしんかんとあり

方位なき暗闇のなか寝返ればうゐのおくやまゆめ揺れにけり

新宿の地下広場ふかく夕日さし破船を洗ふごとき水音



◆石田比呂志 (いしだ ひろし) 一九三十年~◆

<職業に貴賎あらず>と嘘を言うな耐え苦しみて吾は働く

おのれより少し賤しとすれ違うときに相手も然(しか)思いいむ

身を絞る如く回りている独楽の濁り払いて澄む時のあり

われの腕離れし時計休みなさい夜もふけたればもう休みなさい

酒飲みのかつ人生の先輩として先に酔う ちょっと失礼

酒のみてひとりしがなく食うししゃも尻から食われて痛いかししゃも

春宵(しゆんしよう)の酒場にひとり酒啜(すす)る誰か来んかなあ誰(だ)あれも来るな

蟹の脚せせりながらに飲むお酒われは困った男かな

肌青きからに下賤の魚にてわれに食われて満足をせよ

五十歳過ぎて結語を持たざれば夜の酒場に来たりて唄う

ゆうぐれの新幹線に忘れ来し万年筆はいずこゆくらむ

心臓のようにぽつんと暗闇にご飯たく灯が点っている

清らなる処女の乳房に接吻す夢許されよ六十一歳

大寒の空ゆく鳥の群見れば鳥さえ時に道過たむ

家出せし父も幸せ薄かりし母も綺麗に消滅したり

仰臥より側臥し仰臥し側臥して仰臥し側臥して仰臥せり

今日もまた来ておるわいと思いながら酒飲む男の横に坐る

水割りの氷鳴らして西部劇見おり英雄(ヒーロー)なども平凡にして

酔を吐く女の背中撫でているわれの右手に感傷のなし

赤提灯昼を点せる小路(こうじ)ゆくかの酔漢(よいどれ)も母父(おもちち)もてり

おつまみはそなたの乳首でよいなどと言いてつまみぬひょいとばかりに

われははや酩酊したり肘枕ごろり天下を盗りそこなって


◆奥村晃作(おくむら こうさく) 一九三六年~◆

ボールペンはミツビシがよくミツビシのボールペン買ひに文具店に行く

もし豚をかくの如くに詰め込みて電車走らば非難起こるべし

これ以上平たくなれぬ吸殻が駅の階段になほ踏まれをり

わたくしはここにゐますと叫ばねばずるずるずるずるおち行くおもひ

一日中時間を持つになほ忙しわれはどこかがまちがつてゐる

然ういへば今年はぶだう食はなんだくだものを食ふひまはなかつた

次々に走り過ぎ行く自動車の運転をする人みな前を向く

ぐらぐらと揺れて頭蓋がはづれたりわれの内側ばかり見てゐて

洗濯もの幾さを干して掃除してごみ捨てて来て怒りたり妻が

歩かうとわが言ひ妻はバスと言ひ子が歩こうと言ひて歩き出す

ラーメンを食ひたい時に食ふ如くしたい時せよマスターベーション

巨きなる帚の先で自動車を掃き集め海に捨てて来しゆめ

あの鶏はなぜいつ来ても公園を庭の如くに歩いてゐるか

舟虫の無数の足が一斉にうごきて舟虫のからだを運ぶ

ラッシュアワー終りし駅のホームにて黄なる丸薬踏まれずにある

イヌネコと蔑(なみ)して言ふがイヌネコは一切無所有の生を完(まつた)うす

不思議なり千の音符のただ一つ弾きちがへてもへんな音がす

犬はいつもはつらつとしてよろこびにからだふるはす凄き生きもの

梅の木を梅と名付けし人ありて疑はず誰も梅の木と見る

絹薄き片を透かしてホトの毛の一つ一つがくつきりと見ゆ

海に来てわれは驚くなぜかくも大量の水ここにあるのかと

母は昔よい顔してたが現在はよい顔でないことの悲しさ

百人の九十九人が効かないと言ったって駄目 オレには効いた

2009年7月30日木曜日

◆Mixiに詩歌クラブを立ち上げました◆

 演習34に参加した人たち数名を核にして、Mixiに詩歌クラブを立ち上げることになりました。名づけて、KUREMUTSU CLUB@mixi支部。
 詩歌+その他もろもろを含めたサークルのようなもの、とでも説明しておくと、わかりがいいかもしれませんね。

 命名は空目(うつめ)さんこと渡邊玲さん。彼女に、急遽、事務的なお仕事をしてもらい、準備完了してもらっちゃいました。仕事のはやさ、的確さ。まったくもって、見事なものです。そこいらのセンセたちに爪の垢を煎じて飲ませたいぐらい。

 藤原夏家としては、短歌の創作作品を数か月見続けながら、今後も継続して作っていってもらいたい人たちが多いなぁと思っていたので、続けて作っていったり、思い思いの感想を交換できたり、ついでにおしゃべりもできたり、ときには愚痴ったり、SOSを発信したり…という場所があったらいいだろうな、と考えていたのですが、だいたいの枠組みについて賛同してくれる人たちが集まったので、7月28日の授業後、一気に立ち上げ決定!となった次第。
 
 いちおう、短歌発表と感想書きつけの場、ということで始めようと思います。自由詩などや短文なども含めていいのではないかとは思いますが、これは今後のなりゆき次第。参加者たちでなんとなくコンセンサスをとりながら決めていくべきことでしょう。

 このクラブは授業の一環ではありませんし、大学ともなんの関係もないもので、もちろん、先生も学生もナシです。わたくしの場合、多少歳が勝っていますから、ときどき指導らしきことを漏らしがちになるかもしれませんが、まぁ、言わしておけば結構。従う必要なんてありません。事務上、運営係や取りまとめなどをする人は必要とされるかもしれませんが、それはそれで便宜上の役柄ですから、協力していくことにしたいものです。

 参加不参加は、完全に自由。演習34に出ていた人ならば、誰でも参加できます。それ以外の人たちでも、参加してみるかな?という人たちならOK。タリバンの方々も、CIAの方々も、公安の方々もどうぞ。

 Mixiに登録する際の事務的な面については、渡邊玲さんの以下の記述を参考にしてください。

《 ひとまず、mixi上にKUREMUTSU CLUBを立てました!http://mixi.jp/view_community.pl?id=4451937です。
 この授業に参加されていた方なら誰でも参加できるようにしたいです。昨日7限があって…とか、昨日授業行ってないよ!という人でもこの書き込みを見て参加されても構いません。(よね?)
 ただ著作権とか色々あるので、参加するにはいったん私にメッセージを送らないといけない仕様になってます。(参加するボタン押すとメッセージ画面になります)ペンネーム(もしくは本名)を書き添えていただければ「あー」でも「いー」でも承認しますので、よろしくお願いします。
 また、昨日の飲みメンバーにはいなかったのですが「mixiやってないよー」という人がいましたら、メールアドレスを教えてもらえれば、mixiに招待します。》

 さあ、この先どうなっていくか―――
 まったくわかりませんけれども、少なくとも50年ほどは続くクラブにしたいものだと思っています。本音をいえば、…そうですねぇ、2000年程度はかるく続けたいところ。4009年頃までは、ね。


      2009年7月30日          
                                             藤原夏家

2009年7月27日月曜日

必読短歌12(馬場あき子・高瀬一誌・加藤治郎・穂村弘)

 必読短歌12のアップをすっかり忘れていました!先回の授業に出てこなかった人は、ぜひ読んでおいてください。
 さて、7月28日で最後の授業となり、前期も終わります。21日は補講期間ということでお休みでした。「28日はナシでもいいのではないかと思うけれど、どうしましょうか」と、いちおう授業の際に聞いておきましたが、格別に積極的なナシ論もなかったので、アリで行きます。ワレワレの授業の後に他の授業がなければ、そのまま飲みにでもいこうかと思ったのですが、けっこう多くの人が授業アリのようなので、流れ解散にならざるをえないのかな、やっぱり???次の時間、授業入ってないよ、という人がいたら、ちょっと飲んでいきましょうか?
 さてさて、必読名歌であります。
 古典短歌によく通じ、現代短歌のなかでも風格ある作風の馬場あき子。弱い者や虐げられた者、滅びゆく者への視線がつねに熱い歌人です。
 諧謔に満ち、禅味もある高瀬一誌の見事な破調短歌は、自由ということのひとつの探究のかたちでしょう。
 なにひとつ大事な(と従来は見なされてきた)事柄を歌わずに、わざと逸らしたところでヤケに執念深く、しかし軽く軽く歌う加藤治郎。ライトバースの旗手と呼ばれました。しかし、そういう歌い方であえて回避しているのは、じつはどれも重要な重いテーマ。彼が表現しないものを見ようとすれば、なにに捉われているのか、なにを苛立たしく思っているのかがわかってきます。
 穂村弘も、加藤治郎と同じ方向を辿ったところがありますが、もっと幼児的、少年的な表現をあえて多く取り入れて作歌しました。授業では、「中2的」という評が出て、すさまじい批評になっていました。中2的、高2的、大2的…ねェ。とはいえ、時代や社会の要求してくる「個人」のあり方に対して、すっかり閉じこもってしまっていたり、まったく無関心していたりする(かのような)彼の歌を見ると、なんだかキリキリと侘しく、悲しく、やるせなくなってくるところがあり、「現代の新たな悲哀を表現した」とでも評しておくべきなのかな、やっぱり、と思ってしまう。


◆ 馬場あき子(ばばあきこ) 一九二八~ ◆

ヘラ鮒の子を持つ胸はうすらかに脂しみ来る生きのあはれさ       

死にたえぬ六寸鮒の瞳の青き澄みは哀しも命にしみて

つぎつぎと魚裂きゆけばかなしさの極まりて立つ血潮のにほひ

一尺の雷魚を裂きて冷(れい)冷(れい)と夜のくりやに水流すなり

杳き日のいぢめられつ子木枯の吹けば走れり木枯の世を

頼朝はどこにもをりてひたすらに蹶起せざれば木を植ゑてゐる

父病めば人遠きかな夏深く終るもの一つ一つたしかむ

生き得じと折ふしに思ひ看取りたるわが眼しづかに父が見てゐし

母の齢はるかに越えて結う髪や流離に向かう朝のごときか

植えざれば耕さざれば生まざれば見つくすのみの命もつなり

花散りて実をもつ前の木は暗し目つぶれば天にとどく闇ある

わが生(しよう)やこのほかに道なかりしか なかりけんされどふいの虹たつ

こはいつの放浪無惨老耄の母がみている海の夜の砂

生き急ぐほどの世ならじ茶の花のおくれ咲きなる白きほろほろ

迷いなき生などはなしわがまなこ衰うる日の声凛とせよ

冬の井戸のぞく恐さに見んとするそこにしかない深さのひかり

冬野ゆく閑吟集こそかなしけれ声にうたえどわれは狂わぬ



◆ 高瀬一誌(たかせかずし) 一九二九~二〇〇一◆

うどん屋の饂飩の文字が混沌の文字になるまでを酔う

カメを買うカメを歩かすカメを殺す早くひとつのこと終らせよ

ワープロからアアアの文字つづけばふたりして森閑とせり

百ワットをこうこうとつけて眠れるわれは愉快犯に近づく

塩からき顔をしていん 相手の思う壺に入らんと思いつつ

眼鏡の男ばかりがあつまりてわれら何をなすべきか何をなしたる

どうもどうもしばらくしばらくとくり返すうち死んでしまいぬ

ホトケの高瀬さんと言われしがよくみればざらざらでござる

鐘をつく人がいるから鐘がきこえるこの単純も単純ならず

男(お)の子女(め)の子むきあうあそび何回もなすスミレ幼稚園

歯車でも螺子でもいいがオスメスのちがいはかんたんならず

頓死その字のごとし大馬鹿その字のごとし蟷螂その字のごとし

何かせねばおさまらぬ手がこうして石をにぎりしめたり

ガンと言えば人は黙りぬだまらせるために言いしにあらず

右手をあげて左手をあげて万歳のかたちになりぬ死んでしまいぬ

中将湯はのみしことなしバスクリンは少しなめしことあり あはは

全身をふるわせながら抗議するこのハエは死ぬ覚悟ではないか


◆ 加藤治郎(かとうじろう) 一九五九~ ◆

だしぬけにぼくが抱いても雨が降りはじめたときの顔をしている

荷車に春のたまねぎ弾みつつ アメリカを見たいって感じの目だね

鋭い声にすこし驚く きみが上になるとき風にもまれゆく楡

もうゆりの花びんをもとにもどしてるあんな表情を見せたくせに

ぼくたちは勝手に育ったさ 制服にセメントの粉すりつけながら

ひとしきりノルウェーの樹の香りあれベッドに足を垂れて ぼくたち

とけかけの氷を右にまわしたりしずめたりまた夏が来ている

にぎやかに釜飯の鶏ゑゑゑゑゑゑゑゑゑひどい戦争だった

ぼくんちに言語警察がやってくるポンポンダリアって言ったばっかりに

定型は手のつけられぬ幼帝だ擬似男根をこすりつけてる

ぼくたちの詩にふさわしい嘔吐あれ指でおさえる闇のみつばち

だからもしどこにもどれば こんなにも氷をとおりぬけた月光

まりあまりあ明日あめがふるどんなあめでも 窓に額をあてていようよ

黒パンをへこませているゆびさきの静かな午後よ さいごのちゅうちょ

れれ ろろろ れれ ろろろ 魂なんか鳩にくれちゃえ れれ ろろろ

歯にあたるペコちゃんキャンデーからころとピアノの上でしようじゃないか

海から風が吹いてこないかどこからかふいてこないかメールを待ってる

抽斗だけがやさしい夜明け十年もまえってうすい手紙のようさ



◆穂村弘(ほむらひろし) 一九六二~ ◆

体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ

「キバ」「キバ」とふたり八重歯をむき出せば花降りかかる髪に背中に

「酔ってるの?あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」

ねむりながら笑うおまえの好物は天使のちんこみたいなマカロニ

ハーブティーにハーブ煮えつつ春の夜の嘘つきはドラえもんのはじまり

サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい

歯を磨きながら死にたい 真冬ガソリンスタンドの床に降る星

終バスにふたりは眠る紫の<降りますランプ>に取り囲まれて

はんだごてまにあとなった恋人のくちにおしこむ春の野いちご

杵のひかり臼のひかり餅のひかり湯気のひかり兎のひかり

目覚めたら息まっしろで、これはもう、ほんかくてきよ、ほんかくてき

恋人の恋人の恋人の恋人の恋人の恋人の死

このばかのかわりにあたしがあやまりますって叫んだ森の動物会議

ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち。

おやすみ、ほむほむ。LOVE(いままみの中にあるそういう優しいちからの全て)。

めずらしい血液型の恋人が戦場に行っ。て。し。ま。っ。た。悪。夢。

窓のひとつにまたがればきらきらとすべてをゆるす手紙になった

夢の中では、光ることと喋ることはおなじこと。お会いしましょう

2009年7月6日月曜日

必読短歌11(吉井勇・安永蕗子・井辻朱美)

 吉井勇は古い歌人ですが、湘南の若者を思わせるモダンな感性の表出からはじまり、心に煩悶を持ちながら芸者遊びに耽ろうとする実験的擬似遊び人の抒情をあえて演じて見せたところに特色があります。美から遠いものの多い世間や時代を、本音に生真面目な優しさを持つ人がどのように生きていこうとしたかを、よく見せてくれる歌です。
 安永蕗子は、熊本の大歌人。押しも押されぬ風格と繊細で厳しい叙情は、一首ごとに自他への批評ともなる歌風を作り上げました。たんなる新しがりや常套遵守だけでは短歌はいけないだろうと思う時、まず学ぶべき歌人のひとり。
 井辻朱美は、この浮き世の実生活をまったく歌わず、つねに宇宙の旅人のような視点で作歌していきます。この人の歌の味わいの位相は一般のそれとは大きく異なっており、宇宙船のアンテナの支柱を滑らかに走っていく太陽の光の輝きのメタリックに孤立した美しさに震えるような思いを持てるような人でなければ、十分には味読できないかもしれません。人生の外のものを日本語で把握しようとすること。短歌の形式をあくまで使い続けつつ、和歌に密着しながらも、和歌の外部であろうとすること、これがこの人の詩学です。


◆ 吉井勇(よしいいさむ) 一八八六~一九六〇◆

夏はきぬ相模の海の南風にわが瞳燃ゆわがこころ燃ゆ

夏の帯砂(いさご)のうへにながながと解きてかこちぬ身さへ細ると

海風(かいふう)は君がからだに吹き入りぬこの夜抱かばいかに涼しき

あだ名して孔雀と呼べるたをやめのきらびやかなる手に巻かれける

砂山に来よと書きこす君が文数かさなりて夏もをはりぬ

なでしこや大仏道の道ばたに君が捨てたる貝がらの咲く

或る朝のそぞろありきに拾ひたる櫛ゆゑ心みだれけるかな

百年(ももとせ)も覚めざるごとくよそほふかおのが若さにまこと酔へるか

かにかくに祇園はこひし寝るときも枕の下を水のながるる

つと入れば胸おしろいに肌ぬぎし君ありわれに往ねと云ひける

白き手ががつと現はれて蝋燭の芯を切るこそ艶めかしけれ

君とゆく河原づたひぞおもしろき都ほてるの灯ともし頃を

香煎のにほひしづかにただよへる祇園はかなし一人歩めば

舞ごろもMONTMARTREの夜の色をおもへとばかり袖ひるがへる

たはれをとそしらばそしれ美しきことのみわれは思へるものを

紅燈のちまたにゆきてかへらざる人をまことのわれと思ふや

宵闇はふたりをつつみ灯をつつみしづかに街のなかをながるる

柳橋から河見ればしょんがいな鷗が一羽飛んでゐるよの



◆ 安永蕗子(やすながふきこ) 一九二〇~◆

何ものの声到るとも思はぬに星に向き北に向き耳冴ゆる

つきぬけて虚しき空と思ふとき燃え殻のごとき雪が落ちくる

飲食(おんじき)のいとまほのかに開く唇(くち)よ我が深渕も知らるる莫けむ

紫の葡萄を運ぶ舟にして夜を風説のごとく発ちゆく

麦秋の村すぎしかばほのかなる火の匂ひする旅のはじめに

谺して一打の斧も熄むゆふべあな寂しもよ詩歌のゆくへ

ひとの世に混り来てなほうつくしき無紋の蝶が路次に入りゆく

かへり来てたたみに坐る一塊の無明にとどく夜の光あり

されば世に声鳴くものとさらぬものありてぞ草のほととぎす咲く

朝に麻夕には木綿(ゆふ)を逆らはず生きて夜ごとの湯浴み寂しゑ

到りつくいづこも闇と知るわれのまたうば玉の墨磨りはじむ

雪積みてふかく撓みしリラの枝ああ祖国とふ遠国ありし

落ちてゆく陽のしづかなるくれなゐを女(をみな)と思ひ男(をのこ)とも思ふ

喪乱ことのほかなる白蛾ゐて白蛾ならざるもの見えてをり

文芸は書きてぞ卑し書かずして思ふ百語に揺れ立つ黄菅(きすげ)

盛衰のなかなる衰のうつくしく岸に枯れゆくくれなゐぞ葭

以後のことみな乱世にて侍ればと言ひつつつひに愉しき日暮れ

朝霧の中ゆくことも只今の一存にして髪濡るるなり


◆ 井辻朱美(いつじあけみ) 一九五五~◆

海よりも湧く雲よりもはるかなる男声合唱夏の陽に死す

海に湧く風みなわれを思へとぞ宇宙飛行士の夜毎のララバイ

宇宙船に裂かるる風のくらき色しづかに機械(メカ)はうたひつつあり

光年のしずかな時間草はらにならびて立てる馬と青年

竜骨という名なつかしいずれの世に船と呼ばれて海にかえらむ

海という藍に揺らるる長大な椎骨のさき進化の星くず

ゆめに散る花ことごとく蒼くしてこの世かの世にことば伝えよ

純白の毛皮ふぶけるその胸の傷跡あまた星よりきたる

死にいたるまでの愛とふ言葉もて北半球に生(あ)れたる甲冑

水球にただよう小エビも水草もわたくしにいたるみちすじであった

楽しかったね 春のけはいの風がきて千年も前のたれかの結語

杳い世のイクチオステガからわれにきらめきて来るDNAの破片

雪の降る惑星ひとつめぐらせてすきとほりゆく宇宙のみぞおち

空港に腰かけてゐる 生まれる前にすべてが始まるのを待つてゐた席

しんじつにおもたきものは宙に浮かぶ 惑星・虹・陽を浴びた塵

青空に芯などあらぬかなしみにミケランジェロはダヴィデを彫りぬ

どんなにかあの紺青の天にある機体の翼の痛いつめたさ

かずかずのはるかさに生きるものたちよ 椰子の木 雨 そして飛行船

2009年6月24日水曜日

必読短歌10(春日井建・土屋文明)

  一首一首が鋭い遺書のような春日井建の歌は清々しさと潔さに満ち、一言一言に気品が漂います。ダンディズムと呼びたいようなこうした歌風は、意外と現代短歌には少ないものです。日本のふつうの世間の価値観や倫理を静かに完璧に拒み、たんなる歌人ではなく、まさに全霊の詩人として生涯を全うした人、という気がします。
  近代短歌のど真ん中に居た最後の本格派の大物、土屋文明。堅苦しいつまらない短歌ばかりかと思いきや、とんでもない、近代でも滅多に出なかったような破壊僧ふうの歌風でした。ちょっと多めに選んでおきましたが(それでも少なすぎる!)、必要とあれば韻律も歌の固定概念も平然と吹っ飛ばす天衣無縫の作り方をとくとご覧あれ。短歌を破壊してやるとか、新たな歌風を打ち立ててやるとか、気炎を吐く前に、短歌そのものを演じ切って100歳まで生きたこの怪物の歌をよくよく読み込んでおきましょう。


◆ 春日井建 (かすがい けん) 一九三八~二〇〇四年◆

大空の斬首ののちの静もりか没(お)ちし日輪がのこすむらさき

童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり

太陽が欲しくて父を怒らせし日よりむなしきものばかり恋ふ

弟に奪はれまいと母の乳房をふたつ持ちしとき自我は生れき

いらいらとふる雪かぶり白髪となれば久遠(くおん)に子を生むなかれ

青嵐過ぎたり誰も知るなけむひとりの維新といふもあるべく       

爾後父は雪嶺の雪つひにして語りあふべき時を失ふ

男とや沈めとや水圏に棲むものの冷たかりける皮膚の誘へる
 
仰向けの額に晩夏の陽は注ぎ微笑まむ若年といふは過ぎきと 

死ぬために命は生るる大洋の古代微笑のごときさざなみ

今に今を重ぬるほかの生を知らず今わが視野の潮しろがね
 
死などなにほどのこともなし新秋の正装をして夕餐につく

いづこにて死すとも客死カプチーノとシャンパンの日々過ぎて帰らな

今年また見しといふ程の花ならずさるすべりの白群がりて咲く

椅子に凭(よ)る老人が父たりしこと思ひ出づかの夜の地下鉄

てのひらに常に握りてゐし雪が溶け去りしごと母を失ふ
 
打ち寄せる波の白扇見てあれば礼節を知れといふ声はして
 


◆土屋文明 (つちや ぶんめい) 一八九〇~一九九一◆

細(ほそ)より尾根を横行き冬野の道教へし娘を上村老人覚えてゐる       
  
知事筆を揮ひて家持の歌碑を立てり泥を飛ばしてトラック往反す

富の小川佐保川に合ふところみゆ二川(ふたかは)静かに霧の中に合ふ

立ちかへり立ちかへりつつ恋ふれども見はてぬ大和大和しこほし     
  
老あはれ若きもあはれあはれあはれ言葉のみこそ残りたりけれ
  
年々に若葉にあそぶ日のありてその年々の藤なみの花

望(もち)の夜(よ)の月はいでむと水の音の静けき山の下をてらしぬ          

ゆふがほの葉下(はした)にのびて覚束(おぼつか)な豆の花には露のしたたる

貧と窮と分ち読むべく悟り得しも乏(とも)しき我が一生(ひとよ)なりしため        

消極に消極になるを貧の慣(なら)はしと卑(いや)しみながら命すぎむとす         

人を悪(にく)み人をしりぞけし来し方(こしかた)もおぼろになればまぬがるるらむ

ふらふらと出でて来りし一生(ひとよ)にてふらふらと帰りたくなることあり

生みし母もはぐくみし伯母も賢からず我が一生(ひとよ)恋ふる愚かな二人

母に打たるる幼き我を抱へ逃げし祖母も賢きにはあらざりき

乳足らぬ母に生れて祖母の作る糊に育ちき乏しおろかし

寺を出でて冬の日しづかに歩みゆく妬(ねた)みも無けむ生きてゐることは 
 
テグスに代るナイロンも上等は惜しむといふ茜(あかね)さす夕凪(ゆふなぎ)の海に向ひて

葵藿(きかく)の葵(あふひ)ははたしてフユアフヒなりや否や苗を収めて来む春に見む  

葵藿の葵をヒマハリとする博士等がまだ絶えないのも仕方がない

船ゆかずなりたる水は竪川(たてかは)も横川もなべて浮く木の溜め場

この河岸(かし)に力つくしてあげし飼料或る時は藁(わら)在る時は甘藷澱粉糟(かんしよでんぷんかす)

木綿(もめん)織らずなりし真岡の町出でて田圃(たんぼ)道には箕直(みなほ)しが歩いてゐる

過ぎし人々いかにか山の湖(うみ)に上り来し別して明治四十二年左千夫先生 

下り立ちて川見る時に嫗(おうな)来て橋の上よりごみを投げ込む

時雨来む七尾(ななを)の海に能登島に乗らむ船待つ牛乳を飲みて

原爆をまぬがれし与茂平亡きことも赤電話して知る関係なき菓子店に

敷物も代へたのにゴキブリは不思議不思議子等は言へどもまこと出ありく 

背のはげし本の膠(にかは)はゴキブリの好(よ)き餌(ゑさ)といへど防ぐ術(すべ)なし

寝台古(ふ)りわらやはらかに馴(な)れたればここを城とし籠るゴキブリ

置く毒に中(あた)り死にたるゴキブリか後を頼むとわが枕がみ

眠る前の面に来りて散歩するゴキブリを憎む無告の被害者

何の為にゴキブリ我がまはりにはびこるか背のはげ並ぶ本を見るかな

本郷新花町(しんはなちやう)七十年前貸二階(かしにかい)に我を攻めしは小形のゴキブリ

食をつめる如き明け暮れの幾月か我とゴキブリ残し世帯主は夜逃(よにげ)

蚊が来なくなりしと思へばゴキブリか吝(をし)みつづける暖房のため          

2009年6月20日土曜日

前期評価方法・第8週目制作・必読短歌9(富小路禎子・松平盟子・大滝和子)

1)前期の評価方法について

 前期の授業も残すところ4回ほどです。そこで前期評価方法の確認を。シラバスには、50首以上創作すること、と書いておきました。それに近づいている猛者たちもいますが、なかなか50首はきついという人も多いようです。当然。長く作っている人たちでも、4か月ほどで50首は作れないという人もたくさんいるのですから。自分の作品に厳しい人は、なおさらのこと。
 というわけで、ここらあたりで変更しておきましょう。とりあえず、10首以上作れば合格。あとは出来ぐあいで判定を上げていくということにします。いままで作っていない人も、これから頑張って投稿してください。また、どうしても短歌のかたちでは作れないという人は、内容自由のエッセーでも自由詩でもOKです。それらもここに投稿してください。他の人にも読めるというのが大事なところ。他人の文章などを見るのはけっこう楽しいものです。どうせなら、楽しましてくれるような詩文を載せてください。

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2)第8週制作作品(6月9日から6月16日までの提出作品)

 6月16日には第8週目の制作作品の読み合いをしました。6月16日2時頃までの投稿分を扱っています。先週に続き、これも横書きで試してみました。内容は以下の通り。
 もっとも、16日はこの途中までしか読めませんでしたので、次回はこれを継続して読み、検討していきます。


澁谷美香さんのコメント...
ぎりぎりですが投稿します。
今週はなんか色々あってストレスが溜まっていたのでそのイライラを短歌で吐き出してみました。でも短歌というよりほとんど日記になってしまいました。日記だけどフィクションもアリです。勢いで書きなぐった感じです。

六月二日 「みにきてよ」もらったライブのチケットは鞄の底でくしゃくしゃにする
六月三日 オツカレサマ 形式だけの言葉しか言えない私はファービー以下
六月四日 相手の立場考えないで行動する17才など卒業しました
六月五日 カレーがね、作りすぎててあまってて…ハートを盗む泥棒のはじまり
六月六日 弾くたび埃舞い散るレスポール 削れてくプレゼントだったピック
六月七日 添削済みおたおめメール 先生いわく1日遅れがミソらしい
六月八日 本当はお金も時間もあったのに チキンは当分肉食になれず
2009/06/09 15:11

炬燵さんのコメント...
こんばんは、炬燵です。前回の授業では自分の歌が色々と取り上げられて、たいへん楽しかったです。では今週も五首読みます。

君の横顔が見られるポジションをすぐに見つける習性みたい
いつからか君に貸すこと考えてから本を選ぶようになってた
そこ俺も一緒に行きたいって言えなくてまたその話題に戻りたいんだ
君が来る日覚えてから最近は曜日感覚はっきりしてる
「この恋がいいね」と君がいったからその漫画みて努力はじめた
2009/06/11 0:12

叉旅猫目さんのコメント...
叉旅猫目です。わわ、気づけば私めなんぞのうたにみなさんからのコメントが!ありがたやありあがたや(お返事遅れてすみません)。
>大沼さんご指摘の通り「1995年」は阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件を意識しています。9/11があの事件を想起させてしまうように、1995という数字の並びには単なるそれ以上の意味が望む、望まないは関係なく付与されてしまうと思うんですね。1999=ノストラダムス、みたいに。そういった記号が反射のように人に意味を伝達してしまうっていうのが面白いなーというか好きなので、このうたを作りました。で、そういった大きな事件からまだ立ち直れていない、そこから進んでいない何かもあるのでは、という想いから、その得体の知れない感じを「取り残された幼女の尿意」にこめてみました。
>炬燵さんお褒めの言葉ありがとうございます。ご指摘の通り「1995年」のフレーズとリズムで「勝った」と(何にだよ)思いました(笑)。私も時代性を感じる作品が好きですね。炬燵さんが好きかどうかはわかりませんが、私は穂村弘さんがとても好きです。サバンナの像のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしいとか涙が出るほど素晴らしいなぁと個人的に思います。それと(つけ足しみたいな言い方ですみません)、炬燵さんの「Re:Re:メール末尾の―END―が君からの本文よりも切なく光る」は傑作だと思います。少なくとも私はどんぴしゃでした。このうた3000円くらいで買いたいくらい(笑)で、以下、今週の作品です。巧くいかなかったので、一首のみです。

順番を間違えたまま朝がきて僕らの正しき愛が始まる
2009/06/15 21:34

ゆるりさんのコメント...
ゆるりです。先週の授業は色んな方の意見が飛び交ってすごかったですね。楽しませていただきました。搾り出した3首。

秘密など窓が曇れば覆われる今夜は星がやたら多くて
にじりよる醤油ラーメンの香りと指がさまよう衣擦れの海
食われるか撃たれるかする猪の首は短く太く短い

コメント今回もしたいんですけど、今日は寝落ちしそうです、またの機会に。
2009/06/15 23:07

SAI さんのコメント...
しばらくご無沙汰していました。SAIです。

蜜のように甘い微笑みこぼすだけ心を溶かす優しい調べ
木の精がニコリと笑った雨の日の静けさのなか小さな出会い
最近流行不満体質改善方季節限定感謝体質
シラサギさん今日の成果はどうですか?まだまだですよと長伸びる影
雨の日に「にゃお」と鳴かないで夜知らぬ自販機住まう傷ついた猫
眺めやる瞳はいつの日の光正午の日陰老人は待つ
缶蹴りのどこかに忘れていた缶のふた開けるって約束したね
離れてもいつでも共にあるのだと何かのはずみあのふたが開く
耳奥にかすかに残るざわめきを閉じ込め眠る落日の鐘
雨音に負けじと鳴いてる君思い六月雨の街をスキップ
朝もやの薄霧のたつ芝原は雫の奏でる目覚めの歌ね
2009/06/15 23:10

大沼貴英さんのコメント...
大沼です。
>叉旅猫目さん「取り残された幼女の尿意」の表現意図、なるほどと思いました。不可解だった部分が少し、すとんと納得できたというか。「幼女がそのまま大人になった」ことへの虚しさや悲しみが「取り残された幼女の尿意」という表現に、絶妙な具合に込められていると思います。論理的な言葉では表わしがたいけれど、たしかに「取り残された幼女の尿意」とせざるをえないような気分です、不思議なことに。 
それでは、今週の投稿です。   

あの音楽に寄せるうた七首
朝の駅ふいに和音を知った君アカペラでもおじけず歌えよ
十六分音符の裏の抜け穴に乳首の位置を透かし見る梅雨
俺たちのロックスターが愛を説き顰蹙を買うのもまたロック
冷え性の君が重ねた手の甲のうわべ掠めるポップンポップ
酸欠の渋谷クアトロ耳鳴りという免罪符もちかえる夜
臆病な友の後ろで発射台、モッシュにダイブさす仲直り
濡れ枕ふいに聞こえる弦楽を知ってしまった知ってしまったね
2009/06/16 0:26

渋谷 彰広さんのコメント...

水差しの湛える青に映る盆運ぶ思いはわだつみに注ぐ

まあるさんのコメント...
まあるです。コメントに参加したいところですが、眠くてしかたがないのでまた後日・・。
5首投稿します。

三年忌祖父の戒名、耕雲院 梅雨空に鍬を握る手を見る
明鏡たる皐月の稲田あぜみちに佇めば平行世界の誘い
彼方より、うすみどりの水面溶けいる死をまつ 
透きとおるようなAM7時またたきの後16時 汚れたリネン 
痛む脳髄恋人に歌ったフォーレなぞる夜 ふ、と愛されていたことに気づく
2009/06/16 2:03

渋谷 彰広さんのコメント...
すみません、2009年06月16日1時39分に提出したものを訂正します。

水差しの湛える青に映る盆運んでゆけばわだつみにつぐ
2009/06/16 2:11

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

3)必読短歌9 ~富小路禎子・松平盟子・大滝和子

 今回は世代の違う女性歌人3名の歌を並べました。それぞれテーマも違うので、安易な比較はできませんが、どれも見事なものです。

◆ 富小路禎子(とみのこうじよしこ) 一九二六~二〇〇二◆


女にて生まざることも罪の如し秘かにものの種乾く季(とき)


ほのぼのと愛もつ時に驚きて別れきつ何も絆となるな

殻うすき卵かかへてゆく巷秋晴れなれば心うづけり

処女(をとめ)にて身に深く持つ浄き卵(らん)秋の日吾の心熱くす

急ぎ嫁(ゆ)くなと臨終(いまは)に吾に言ひましき如何にかなしき母なりしかも

白き砂漠の中に建てたき父母の墓長き家系の末に苦しむ

未婚の吾の夫にあらずや海に向き白き墓碑ありて薄日あたれる

自動エレベーターのボタン押す手がふと迷ふ真実ゆきたき階などあらず

ある暁(あけ)に胸の玻璃戸のひびわれて少しよごれし塩こぼれきぬ

母胎より彼岸に到るここの道いましばらくの緋なる夕映

抱擁をしらざる胸の深碧ただ一連に雁(かりがね)わたる

しばしの間地上をはしる電車より見し曼珠沙華 一生(ひとよ)のごとし

吾の後生(あ)れしものなきこの家にまた紫陽花は喪の色に咲く

八月の炎暑に吾を生まんとし母は一片の氷(ひ)を噛みしとぞ

共に餓ゑ耐へし昭和を送る夜半椿凛と咲き満つ

わがかつて生みしは木枯童子にて病み臥す窓を二夜さ敲く

核を持つ地球のどこかに咲き闌くる芥子畑不穏なれど麗し

焼跡に杙のごと立つ少女吾敗戦の日の白黒写真

◆ 松平盟子(まつだいらめいこ) 一九四九~◆

今日にして白金のいのちすててゆくさくらさくらの夕べの深さ


父と娘(こ)と待ち合はせゆうべ帰るさまウィンドの続くかぎり映れる

泳ぎ来てプールサイドをつかまへたる輝く胸に思想などいらぬ

宙(そら)へ地へ還るブランコこのゆふべ街は衛星のごとく寂しき

口うつされしぬるきワインがひたひたとわれを隈なく発光させゐる

未来とはまづ明日のこと珈琲を冥府のごとき胃に堕しつつ

梨をむくペティ・ナイフしろし沈黙のちがひたのしく夫とわれゐる

三十代日々熟れてあれこの夜のロゼワインわれを小花詰めにす

萩ほろほろ薄紅のちりわかれ恋は畢竟はがれゆく箔

やうやくに飼ひならしたる〝非と哀〟が〝火と愛〟に音(おん)かよふことあはれ

クレヨンに「肌色」という不可思議の色あり誰の肌とも違う

くちびるは柔らかきゆえ罪深し針魚(さより)の銀の細身を好む

人に言うべきことならねど床下に大槿(おおあさがお)が口を開けおり

ファスナーは銀の直線、みずからを断つ涼しさに引き下げており

ディスプレイの中には桜ふりつづき徒にながめせしまの四十歳(しじゅう)

遠くから飛び来て遠く去るものの一つか恋も首細き鶴も

垂れこむる冬雲のその乳房(ちちふさ)を神が両手でまさぐれば雪

馬の肌ゆびさきに辿るしずけさに秋は終わりぬ尾花ゆれおり

◆ 大滝和子(おおたきかずこ) 一九五八~◆

サンダルの青踏みしめて立つわたし銀河を産んだように涼しい


眠らむとしてひとすじの涙落つ きょうという無名交響曲

あおあおと躰を分解する風よ千年前わたしはライ麦だった

プラトンはいかなる奴隷使いしやいかなる声で彼を呼びしや

さみどりのペデイキュアをもて飾りつつ足というは異郷のはじめ

めざめれば又もや大滝和子にてハーブの鉢に水ふかくやる

うれしいときなぜ手を叩く祈るときなぜ手を合わす内野席にて

反意語を持たないもののあかるさに満ちて時計は音たてており

あじさいにバイロン卿の目の色の宿りはじめる季節と呼ばむ

猫の目にむかいてそっと聞いてみる「宇宙はなんがつなんにち生まれ?」

二千個の人形かざる博物館どの表情もみなわが心理

はるかなる湖(うみ)すこしずつ誘(おび)きよせ蛇口は銀の秘密とも見ゆ

スカートの影のなかなる階段をひそやかな音たてて降りゆく

ほの光るDNAをたずさえてわたしは恋をするわたしもり

ベッドからまた降りたちぬ八時間われなる海をさすらいてのち

12歳、夏、殴られる、人類の歴史のように生理はじまる

地球儀に唇あてているこのあたり白鯨はひと知れず死にしか

はてしない宇宙と向かいあいながら空瓶ひとつ窓ぎわに立つ

2009年6月9日火曜日

第7週目制作 (6月2日から6月9日までの提出作品)-今回は実況風、しかも横書きで― +石川啄木の短歌43首と歌論抄

 6月9日の授業では、ここに投稿された作品やコメントを時系列のままに並べて印刷し、あれこれと検討してみました。横書きのままで印刷しましたが、なかなかいい感じだったように思います。短歌の横書きについては賛否両論ですが、理屈の通った反対意見は少ないように思います。慣れているから縦書きがいいとか、昔から伝統的になされてきたから、とか。縦書きの味わいは大事にしたいと思いますが、横書きをちゃんと認めないと、短歌が今後の時代に広がっていくのは難しいとも思います。
 石川啄木の短歌もかなりの数、紹介しました。だれでも知っている歌人ながら、再読するとなかなか面白いのがわかると思います。明治の時代に、もうあれだけのことをやってしまっているのです。

◆第7週目制作 (6月2日から6月9日までの提出作品) ―今回は実況風、しかも横書きで― ◆

炬燵さんのコメント...
炬燵です。身内の不幸でばたばたして、少し間が空いてしまいました。
レプリカのエレクトロニカ聴き飽いてSHIBUYA-TSUTAYAでケッヘル番号(ナンバー)
自動的にビターヴァレーをゆれるきみJPEGにとじこめておいてよ
どうやったところで結局埋め尽くすオブセッションオブセッションオブセッションオブセッション
嘘に嘘を重ねてハートディスクまでハイクオリティなムービーで埋めてよ
また死んでるアート・アズ・アート商品性に負けたんでしょうと嘲笑う街
2009/06/02 21:47

ゆるりさんのコメント...
ゆるりです。6首
ご近所のオヤジもキミもそうですがどうして人は風呂で歌うの
この肺はまるで言葉の留置場そとにでたいと皆あらがうよ
息の音止まってどれだけたつかしら本を読んでる君の静寂
ふと思うSuicaに残る3円をどう処理しよう?どうでもいいね
疲れ果てそっと漂う寂しさにくしゃみをひとつ家に帰ろう
この広い世界ではみな主人公そんな大嘘ついたのは誰
2009/06/07 17:08

叉旅猫目さんのコメント...
叉旅猫目です。3首。
落下する日々がスライドショーのよう正しき光夕闇に消え
去り際に置いて残した真っ赤なトマト隣にメモを「不発弾です」
1995年の真ん中に取り残された幼女の尿意
2009/06/07 23:47

時間さんのコメント...
あじさい祭り境内に賽銭箱一つ二つ三つ願いごとは宙を舞う
2009/06/07 23:52

藤原夏家さんのコメント...
ゆるりさんの歌。
〇ご近所のオヤジもキミもそうですがどうして人は風呂で歌うの
〇この肺はまるで言葉の留置場そとにでたいと皆あらがうよ
〇息の音止まってどれだけたつかしら本を読んでる君の静寂
〇ふと思うSuicaに残る3円をどう処理しよう?どうでもいいね
〇疲れ果てそっと漂う寂しさにくしゃみをひとつ家に帰ろう
〇この広い世界ではみな主人公そんな大嘘ついたのは誰 
 ユーモアがあって、やるせなくって、でもなかなかたくましくって、そう簡単には負けないから…という感じ。けっこう大事な作品群になっていると思います。いまの時代の詩歌がうまく把握して表現するべき地平を探知しあてたと感じます。この流れで、まだまだ作れるかな?できそうなら、続けてみてください。
2009/06/08 1:10

藤原夏家さんのコメント...
叉旅猫目さんの歌。
〇落下する日々がスライドショーのよう正しき光夕闇に消え
〇去り際に置いて残した真っ赤なトマト隣にメモを「不発弾です」
〇1995年の真ん中に取り残された幼女の尿意 
 一首目は、「落下する日々」や「正しき光」の使われ方が抽象的で、どう読んだらいいか迷う読者もいるでしょう。そういう読者を無視するか、救うか。大いに考えてください。 二首目は梶井基次郎の『檸檬』ふうですね。トマトと爆弾というのは、よく考えつきそうでも、印象のつよいイメージ関連。でも、「不発弾」でいいのかな?もっと別のもののほうがいいのでは、と思っちゃいました。 三首目はおもしろい。名歌だとは思わないけれど、おもしろい。名歌だと思わせてくれない理由は、読者の意識のなかに、なにかをたなびかせてくれないから。余韻や慰撫が、もっとほしいところ。
2009/06/08 1:18

藤原夏家さんのコメント...
時間さんの歌。
〇あじさい祭り境内に賽銭箱一つ二つ三つ願いごとは宙を舞う 
 歌としてはいまひとつですが、魅力的な歌の種がいっぱい入ってますね。「あじさい祭り」、「境内に賽銭箱」、「願いごとは宙を舞う」など。最後の表現は、井上陽水の『少年時代』を思わせる。お祭りの時の、奇妙な夢見心地を捉えるのには良い表現になっています。「賽銭箱一つ二つ三つ願いごとは」と続けるあたり、「賽銭箱」の数から「願いごと」の数へと「一つ二つ三つ」を介して移っていくのがなかなか技巧的。
2009/06/08 1:25

大沼貴英さんのコメント...
大沼です。風呂で歌うのって気持ちいいですよね。適度なリバーブがかかるし、湯気のおかげで喉の状態は最高だし。そんな俺はいま、吉祥寺で行われている「風呂ロック」なるイベントに注目していたりします。もしご興味がありましたら検索してみてください。蔡忠浩のライブ、行きたいなあ。というわけで、今週は音楽をめぐっての連作です。 
  その音楽に寄せるうた七首
明日からボブ・ディランでも目指そうか夢の夢また夢に見た午後
病み上がり雨の日比谷の野音の「や、」すらない残響にしがみついている
噴水の先また先のとどめおく一瞬、夏をきらめきわたる
天高くリバーブかかる風呂屋にて浅黒い小田和正を聴く
二十四時だれの姿もない風呂でこっそり歌う、リバーブかかる
真夜中の路地に紛れてアイポッド爆音で聴く爆音で聴く
突然の三連符わすれてたたた男の不能さらけ出す夜

炬燵さんのコメント...
炬燵です。前回はうっかり1週前のエントリにレスをしてしまっていたようです。五首再掲とともに、新たに五首詠みます。
(再掲分)
レプリカのエレクトロニカ聴き飽いてSHIBUYA-TSUTAYAでケッヘル番号(ナンバー)
自動的にビターヴァレーをゆれるきみJPEGにとじこめておいてよ
どうやったところで結局埋め尽くすオブセッションオブセッションオブセッションオブセッション
嘘に嘘を重ねてハートディスクまでハイクオリティなムービーで埋めてよ
また死んでるアート・アズ・アート商品性に負けたんでしょうと嘲笑う街

(さらに五首)
簡単じゃないときもある親切じゃないときもあるそういう感じ
マジキモいってことは知ってるけど君が欲しいとか俺死ね♡♡♡俺うぜえ♡♡♡
Re:Re:メール末尾の―END―が君からの本文よりも切なく光る
あなたには無意味でも僕には強く響いたのです 強く強く強く
君が好きといった少女コミックの中では君が恋をしていた
2009/06/08 15:16

ゆるりさんのコメント...
ゆるりです。炬燵さんの感想。堅い文じゃないのに、すごくうまいなぁといつも思います。今回の歌は今まで出していた歌よりリアルな感じで、胸にドンとくるような不思議な説得力を受けます。パヴァーヌとかのふわふわしたパステルカラーのような作風もかわいいけど、こっちはこっちで好きです。恥ずかしいんですが、Re:ってどう読めばいいんでしょう?いつもわからないのです。小田和正の歌にも「Re:」って歌があるのですが。次の歌も楽しみにしています。
2009/06/08 18:28

炬燵さんのコメント...
炬燵です。ゆるりさんからの感想。お褒めの言葉、嬉しいです。いやあ、これはなかなか嬉しいものですね。Re:についてはWikipediaで詳述されています(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%94%E4%BF%A1)が、個人的には「リ」です。リプライの「リ」。ついでにですが「JPEG」は「ジェイペグ」ですね。ところで「今回の歌」というと(再掲)の五首と(さらに)の五首のどちらでしょう。両方なのか、後者のみなのか。前者と後者では、テーマというか方向性を変えました。というか、今までも大体そんな風に五首(一回の投稿)ごとに変えていたりします。そういえば参加者の中では大沼さんが毎回テーマをさだめて詠んでいますね。大沼さんの「その音楽に寄せるうた七首」が好きなので、このテーマ、もう一回やってほしいな、なんて。音楽や文芸、サブカルチャーについての歌もありですよね、勿論。せっかく表現芸術系専修に通う若い感性が集まっているんですから、もっともっと表現や作品にまつわるうたがあるといいなと思っています。
2009/06/08 22:03

ゆるりさんのコメント...
またまたゆるりです。こんなに書き込みしてたら、暇人てことがバレバレですが・・・炬燵さんへの返事。「今回の歌」というのは、アバウトに両方の意味で書きましたが、よくよく考えたら後者の歌で「リアルだなぁ。」と思った気がします。私が音楽や精密機械系に疎いもんで、前者は難しかったのです・・・たしかに、作品などにまつわる歌面白そうですね。近いうち作れたらと思います。
2009/06/08 22:48

大沼貴英さんのコメント...
同じく暇人の大沼です。 
>炬燵さん  ありがとうございます。個人的に、今回の「その音楽~」は「深夜特急~」以来の手応えがあったので、嬉しい限りです。 さて、炬燵さん今週の二首目「マジキモい~」がぶっ飛んでいて、とりわけ印象に残りました。それでいて自虐に走る自分を言わばテンプレ化して(俺死ねwww俺うぜえwwwというのは、ネット上でよく見かける言い回しですよね。そのwをハートマークにしたのも面白い!)どこか冷めた目で客観視しているところもニクいですね(的外れだったらすいません)。 それでは、リクエストにお応えして(?)来週もテーマ「音楽」で詠んでみようと思います。今度は表現や作品にまつわる歌も多く取り入れてみたいなと。これまでも、はっぴいえんど『風をあつめて』とか、ちょくちょく出してはいたんですけどね。 
>ゆるりさん  じつは、今週の拙作「その音楽~」は、ゆるりさんの短歌「ご近所のオヤジもキミもそうですがどうして人は風呂で歌うの」がきっかけで詠み始めたんです。「どうして」に答えようとしたわけで、あるいは返歌と呼べるのかもしれません。 ここに投稿される歌に対して、返歌を詠むってのもなんだか面白そうですね。 
>叉旅猫目さん 「1995年の真ん中に取り残された幼女の尿意」を、何と言ったらいいのか、怖ろしさ(?)、悲しさ(?)を感じながら読みました。1995年って、たしか阪神大震災があった年ですよね。当時、俺は静岡に住んでいたのでニュースで見知っただけでしたが、それでも言い知れない戦慄を感じたものでした。あのとき思い描いた被災地の情景を、この歌は追体験させてくれたような気がします。 先生は「読者の意識のなかに、なにかをたなびかせてくれない」と仰っていましたが、俺には何かが「たなびいた」ような気がします。それはもしかしたら、1995年というどこか閉塞した年に(サリン事件も起きました)幼少時代を過ごしていたという同時代性にも因るのかもしれません。 と、勝手に解釈してみましたが、ぜんぜん的を射ていなかったならごめんなさい。
2009/06/09 0:48

炬燵さんのコメント...
夜更かし中の炬燵です。……明日バイトなのに早く寝ろ俺。大沼さんからもコメントをいただいた! 嬉しい!そうそう、その歌はもともと「www」で書いたんです。でもなんかつまらないなと思って、ケータイの絵文字の「ハート」にかえまして(実はケータイで短歌作ったりしてます)、ただここに投稿するのにケータイ絵文字が使えなかったので、機種依存文字ですが無理やりハートをいれました。あ、先生、印刷するときに困ったりしたらごめんなさい。横文字も縦書きに印刷するとき戸惑いそうだなー。そうそう、叉旅猫目さんの「1995年の真ん中に取り残された幼女の尿意」は大変カッコイイですよね。時代性を感じる歌が僕は好きで、なので大沼さんの「アイポッド」もいやあこれはいいなと思ったりしたのですが(しかし個人的にはiPodと表記したく僕なら音も2音か3音扱いにしたい)、この「1995年」というフレーズチョイスはいいですよね。「せん・きゅー・ひゃく/きゅー・じゅー・ごねんの」というリズムが五・七にハマった途端にこの歌は完成したんじゃないかな。それに加えて、こういう「数字が意味を持つ」フレーズというのが僕は好きなんです。ゆるりさんの「11時汗の匂いのするスーツ脱いでそのまま翌日の朝」が好きなんですが、最後が「翌朝7時」とかになっていたらさらに僕の好みなんです。これは好みの問題なんですけど。あと霧島六さんの「バルコニーに誰の涙か五月雨のピリオド一つ、二つ、三つ四つ」。これ、他の霧島さんの歌となんだかひとつだけ毛色が違うような気がするんですが、僕はこれすごく好みです。1,2,3,4という規則的なカウントアップも楽しいんですけど、1,3,7,8みたいにずらすのも面白そうです。そういえば先日の授業で、澁谷美香さんの歌だったかな、漢数字とアラビア数字の表現の問題が取り上げられましたが、僕はアラビア数字を効果的に扱うフレーズが好きです。「1995年」も「一九九五年」だとツマンナイですよね。ちなみに大沼さんが実は結構数字の入った歌を読んでるんですが、彼は全部漢数字。大沼さんは漢数字が好きなんだろうなあ。
2009/06/09 2:08

空目さんのコメント...
こんにちわ、空目です。
まずは、自分の歌を。
指先にちょこんと触れるそれだけの熱で伝わるみっつめの欲
来年の今日も一緒にいられるように君の手帳に書き込んでおく
好きだから好きなのになぜ好きかしら 言葉遊びか恋の遊びか

みなさんが盛り上がってるのでちょっと参戦。炬燵さんがいう数字の面白さは、すごく共感できます!例えば数字だったり例えば炬燵さんのRe:や-END-だったりといった「音がはまったから出来ちゃった」(といったら誤解を招きそうですね、ごめんなさい)でもそんな音の感覚から作れるのが短歌ならではかなーと思います。逆に、まあるさんみたいな音を切り取ってるような歌も好きですが。短歌の前後にまだなにかがありそうな気がして気になってしまいます。
2009/06/09 12:28



◆ 石川啄木(いしかわ たくぼく 1886-1912)の歌43首+歌論抄 ◆


東海の小島の磯の白砂に          たらけど
われ泣きぬれて                はたらけど猶わが生活楽にならざり
蟹とたはむる                  ぢつと手を見る 

いのちなき砂のかなしさよ          打明けて語りて
さらさらと                    何か損をせしごとく思ひて
握れば指のあひだより落つ         友とわかれぬ

たはむれに母を背負ひて           死にたくてならぬ時あり 
そのあまり軽きに泣きて            はばかりに人目を避けて 
三歩あゆまず                  怖き顔する

いと暗き                      ある日のこと
穴に心を吸われゆくごとく思ひて        室の障子をはりかへぬ
つかれて眠る                   その日はそれにて心なごみき

いつも逢ふ電車の中の小男の         うすみどり
稜ある眼                      飲めば身体が水のごと透きとほるてふ
このごろ気になる                 薬はなきか

空家に入り                    人間のつかはぬ言葉
煙草のみたることありき             ひよつとして 
あはれただ一人居たきばかりに        われのみ知れるごとく思ふ日

やはらかに積れる雪に              友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
熱てる頬を埋むるごとき             花を買ひ来て
恋してみたし                    妻としたしむ

手も足も                       人がみな家を持つてふかなしみよ
室いつぱいに投げ出して             墓に入るごとく   
やがて静かに起きかへるかな          かへりて眠る

非凡なる人のごとくにふるまへる        人といふ人のこころに
後のさびしさは                   一人づつ囚人がゐて
何にかたぐへむ                  うめくかなしさ

一度でも我に頭を下げさせし         不来方のお城の草に寝ころびて
人みな死ねと                  空に吸われし
いのりてしこと                  十五の心   

誰が見てもとりどころなき男来て       学校の図書庫の裏の秋の草
威張りて帰りぬ                 黄なる花咲きし
かなしくもあるか                今も名知らず

夏休み果ててそのまま             汽車の旅
帰り来ぬ                     とある野中の停車場の    
若き英語の教師もありき           夏草の香のなつかしかりき

わがこころ                    人がみな
けふもひそかに泣かむとす          同じ方角に向いて行く。 
友みな己が道をあゆめり           それを横より見てゐる心。

ふるさとの訛なつかし              その親にも、
停車場の人ごみの中に             親の親にも似るなかれ――
そを聴きにゆく                  かく汝が父は思へるぞ、子よ。

かにかくに渋民村は恋しかり         猫を飼はば、
おもひでの山                  その猫がまた争ひの種となるらむ、
おもひでの川                   かなしきわが家。

やはらかに柳あをめる            ただ一人の
北上の岸辺目に見ゆ             をとこの子なる我はかく育てり。
泣けとごとくに                  父母もかなしかるらむ。

馬鈴薯のうす紫の花に降る          こみ合へる電車の隅に
雨を思へり                    ちぢこまる
都の雨に                     ゆふべゆふべの我のいとしさ

ふるさとの山に向ひて             こころよく
言ふことなし                   我にはたらく仕事あれ
ふるさとの山はありがたきかな        それを仕遂げて死なむと思ふ

雨に濡れし夜汽車の窓に           何もかも行末の事みゆるごとき
映りたる                     このかなしみは
山間の町のともしびの色           拭ひあへずも

札幌に                      水晶の玉をよろこびもてあそぶ
かの秋われの持てゆきし           わがこの心
しかして今も持てるかなしみ          何の心ぞ

子を負ひて
雪の吹き入る停車場に
われ見送りし妻の眉かな

さいはての駅に下り立ち
雪あかり
さびしき町にあゆみは入りにき

ゆゑもなく海が見たくて
海に来ぬ
こころ傷みてたへがたき日に


(参考)石川啄木詩論
 人は歌の形は小さくて不便だといふが、おれは小さいから却つて便利だと思つてゐる。さうぢやないか。人は誰でも、その時が過ぎてしまへば間もなく忘れるやうな、乃至は長く忘れずにゐるにしても、それを思ひ出すには余り接穂がなくてとうとう一生思ひ出さずにしまふといふやうな、内から外からの数限りなき感じを、後から後からと常に経験してゐる。多くの人はそれを軽蔑してゐる。軽蔑しないまでも殆ど無関心にエスケープしてゐる。しかしいのちを愛する者はそれを軽蔑することが出来ない。(…)
さうさ。一生に二度とは帰つて来ないいのちの一秒だ。おれはその一秒がいとしい。たゞ逃がしてやりたくない。それを現すには、形が小さくて、手間暇のいらない歌が一番便利なのだ。実際便利だからね。歌といふ詩形を持つてるといふことは、我我日本人の少ししか持たない幸福のうちの一つだよ。(…)おれはいのちを愛するから歌を作る。おれ自身が何よりも可愛いから歌を作る。
 (「一利己主義者と友人との対話」)

おれは初めから歌に全生命を託さうと思つたことなんかない。(…)何にだつて全生命を託することが出来るもんか。(…)おれはおれを愛してはゐるが、其のおれだつてあまり信用してはゐない。
 (「一利己主義者と友人との対話」)

 (食ふべき詩と)謂ふ心は、両足を地面(じべた)に喰つ付けてゐて歌ふ詩といふ事である。実人生と何等の間隔なき心持を以て歌ふ詩といふ事である。珍味乃至は御馳走ではなく、我々の日常の食事の香の物の如く、然く我々に「必要」な詩といふ事である。
 (「食ふべき詩」)


 すべて詩の為に詩を書く種類の詩人は極力排斥すべきである。無論詩を書くといふ事は何人にあつても「天職」であるべき理由がない。「我は詩人なり」といふ不必要な自覚が、如何に従来の詩を堕落せしめたか。
(「食ふべき詩」)

 詩は所謂詩であつては可けない。人間の感情生活の変化の厳密なる報告、正直なる日記でなければならぬ。従つて断片的でなければならぬ。
(「食ふべき詩」)

 我々の要求する詩は、現在の日本に生活し、現在の日本語を用ひ、現在の日本を了解してゐるところの日本人に依手歌はれた詩でなければならぬといふことである。
(「食ふべき詩」)

2009年6月8日月曜日

第5・6週目制作  5月20日から6月2日までの提出作品(2週間分)

 6月2日に教室で検討した提出作品です。4月から始めて、まだ2か月ほどですが、面白い作品が増えてきました。何年やっていても、このぐらいの歌も作れない人たちも、じつはいっぱいいるものです。いい歌や、傑作もありますね。ずっと作り続けていったら、この教室から何人も歌人が出るかもしれません。問題なのは、継続ということ。続けるかどうか、です。何事も。

霧島六
這う虫を信号待ちに哀れみてやはり轢かれて鯨幕かな
この口は何であろうか欠伸して我が生活圏人のいぬまま
バルコニーに誰の涙か五月雨のピリオド一つ、二つ、三つ四つ
我が部屋の小国家なる混沌に窓を放てば神の嘆息
思ひ出を売れば幾ばくなろうかと全財産百五十円也
屹然たる戸山の裏手の研究所パンデミックの威圧的様

ゆるり
踏み切りを転がるようにかけた夜あの日だけ君は恋人だった
あの日から寝ても冷めても胃を焦がすように痛むか失った愛
桃色のロングヘアーのダンサーは汗すら舞台衣装のようで
雨の日に狂おしく咲くツツジ花一斉にじっと我を見ている
ペディキュアのきらめく五月に手を振って梅雨のストーブを準備する夜
あの人は譲っちゃだめよと私に言う恋愛上手なアラ還の美女                      
                            ↑(アラ還=アラウンド還暦)
東西につながる窓の道を吹く風が涼やか夕方の居間
全身を蟻が這い上がるのに似た絶望が今傍らに居る
壁越しに伝わる夜の雨音を強く激しく抱いて朝まで
脳内にいつかの声がこだまする。あの子は今は元気でいるか

大沼貴英
眼鏡の君に寄せるうた六首
箱入りの看板娘、眼鏡屋の 眼鏡屋なのに盲目なんて
輪郭をひと撫で、あとは無駄話それで見立ては完璧な君
評判は良いのに当の本人は瓶底眼鏡、ずり落ちている
唯一の趣味はラジオ、ただ聴いているだけで完コピ、歌はプロ級
「どうしたらそんなに上手く歌えるの?」「普通に呼吸するのと同じ」
「産声をあげた昔に戻るだけ、私は筒であなたは水面」

空目
図書館で5月の陽だまり集めたようなあなたが私の初恋でした
清楚なる微笑みまるですみれ花つよき乙女は野道に咲くのか
物語食べちゃいたいほど愛してるあなたはそうだ文学少女
好きと言うならば殺したいほど焦がれてよ君は俺のサロメでしょうか

時間
五七五五七五五七五七五七七頭の中は俳句のことでいっぱい

まある
ひだり前ぬすみ見ている君の肩 ふと目があうことを切望している
好い声 耳は澄む ため息もひろえる 君は、遠くにありて聴くモノ
雷鳴に怯むないざ行け走れ 帰る部屋に灯はないのだ
きしむ手指は金平糖のような痛み 夏の白昼夢 水追いに溶けい

柏の葉公園
すっぴんを可愛いという君は近視がすすんで盲目ですね。
「じゅーろっこ。顔のほくろを数えてみました。」君嫌がることやりたがる私
ボルビッククリスタルガイザービッテルどれにも負ないじいちゃんちの水
青い筋ボーダー見ていて頭痛したそんな近くに寄ってこないでよ
ぐうの音も出ないと先生言うけれどおなか鳴ります鳴りやむまでは

本間武士
金曜日ぶつかり合った傘と傘笑いかけても顔すら見えず
月曜日ぶつかりあった傘と傘睨み付けても顔すら見えず
日曜日昼か夜かもわからずに荒いすりガラス遮光カーテン
お世辞だとわかっているのについ笑顔何回言ったの素敵な顔ね
お花見と言いつつ枝は緑一色過ごした時だけ何も変わらず
今日だけは渋滞さえも流れ星飛び込んでみた高速道路
押入れにしまったテレビ置くラジオただ声だけを聞いていたくて
帰ろうかそんな空気の三人組ここに自分をもひとり足せたら
捨てたらどう 守るためには今日とて分別憂鬱な声背で受けながら
なぜ走るただ立ち止まる日を追い続け岩流の荒野吐く息は黒く

ゆるり
君んちのプラスチックの急須には安い煎茶の平穏な味
スルスルと体に流れる鉄の音わずかに聞いた貧血の午後
サランへヨ。カムサハムニダ。チャン・ドンゴン。婆ちゃんに来た遅い春
11時汗の匂いのするスーツ脱いでそのまま翌日の朝
燃え尽きた蛍は塵になるのだろう疲れた胸がそっと呟く
藍色の空に浮かんだあの月のうさぎはいまだうさぎに見えず
半べそでギター抱えた弟よいいではないか歌え歌えよ
面白い?ねぇ面白い?と監視する君がそんなじゃ漫画も読めん

大沼貴英
鉄道の旅に寄せるうた七首
満員の急停車「窓、開けてくれ」叫ぶ親爺に「はめ殺しです」
どの海を荒川線は渡るのか聴きつつ想う、はっぴいえんど
宇都宮‐湘南つなぐ快速が浦和駅前高架上、飛ぶ
朝五時に十八きっぷ切りまして午後五時、黄金の瀬戸内海
土讃線「おおぼけ」「こぼけ」「ごめん」駅、余所者だけが珍しがる名
一両のワンマン運転オーバーラン、のっそり行き来する運転手
左手に時刻表、右手には傷、スケボー抱え舟こぐ少女

叉旅猫目
キスしたらかちりと何か音がしてこれは始まり?何かの終わり?
復活の呪文が思い出せませんプラスチックで出来ていたのに
人を刺すためのナイフはこちらです可愛く包んで差し上げますね
夏服の透ける背中を目でなぞるノストラダムスよ力を貸せよ
夜が明けてキオスクで触れる指先が失くした温度を思い出してる

まある
あなたの頭蓋骨きれい、目蓋、奥歯 てのひらの恋 まどのそと、あめ
言葉などいらない愛を最上と呼ばないで 背に呟くは、
現実は換気扇の音まわる山手線 立ちくらむ青
海抱かぬ大地に生まれ夢中に水の中をえがく いま日々生きる

匿名
ひとあし、
くずのはひらり
ふたあし、
くずのははらり
ああここはそら

ざわ、ざわ
澄んだお空が
さしこんだ
あるくちおしさ
こみあげてくる

だそうとも
いでこれずもの
然れども
にじみでるもの
ここにありや

わだかまり
はじけずとも、
くすぶるは
いつぞのいかり
あまたのおもい

土塊をほじくり
ふれる
かわいてる
貸し出す先も
枯れた土地なら

現れる
限界集落
次々と
ここは都か
姥捨て山か

ひしめいて
ぎゅうぎゅうと
風の音
おきなとおうな

たからかに
弱きをまもれ
うっかりと
よわきてのひら
ふみつける

転ぶちご
しかるははおや
おにのよう
ちごはしらずや
あいされている

きず滲む
つーっつーっと
こぼれおつ
ゆれるひだまり
うつるすがたは

やわらかな
まなざしといき
なでるよう
からめとられて
かせかきずなか

ひとり住む
四割こえた
ここはどこ
ここはうつつよ
こことうきょう

いつのよも
かたりつがれる
おやばなれ
まちどうしいな
しんやくエヴァ

ちごのかず
ペットのほうが
あまたをる
ちごに取立て
けもの払えず

たまごの値
ふつふつあがり
かすみたつ
デフレのさなか
ぶきみさかすむ

日たかだか
あかりあふれて
線消して。
ひかげ褪せゆく
こわい、こわい

ふとみると
異形の姿
ざら、ざら
べたりごつごつ
ハハこれわたし

父はよく
痛い痛いと
囁いて
こもれびのよう
かげふむわたし

大樹の
しなりぐあいが
まるでそう
父の腰沿う
かたちのようで

ハァハァァ
キュるるぐぐぐ
おいおまえ!
はぁなんだって?
え・・めしまだ!

かなしみが
その身を焦がし
やきつくす
燃えゆく瞳
眼そらせなくて

かわいそう
ことばあふれて
わずかだけ
なにもできない
わすれないひと