2009年5月23日土曜日

必読短歌6 ~会津八一・中城ふみ子・米川千嘉子

 5月19日に教室で読んだ歌を掲載しておきます。
 これまでにもなかったほどの多忙のなか、久しぶりに会津八一の歌を選んでいたら、現代短歌が忘れてしまった憩いが感じられ、自然となんども読み返してしまっていました。万葉調、良寛調を復活させたとも言われる彼の歌には、気骨の通った反現代短歌の趣があり、じつは激しい反抗精神が横溢しています。時代を経た現代から見直すと、すでにしっかりと定位置を占めている感があります。
 乳癌にかかって乳房切除をし、その際の心境を歌った中城ふみ子は、戦後短歌を大きく推進した作品を残しました。赤裸々な心情の吐露の裏には、じつはフィクションと演技とが織り込まれており、病に翻弄された歌人の心理を表出しただけの歌ではありません。立ち止まらされる複雑な味わいと深みが随所に見られます。
 平和とはいうものの、無数の不安材料を孕んだ現代日本の社会のなかで、娘や妻や母を演じさせられる「女」であるとはどういうことか。米川千嘉子の歌は、安定した表現力と水際立った編集力を示しつつも、非常に危ういところを突き付けてきます。現代日本の平和が、ある意味では一瞬後も知れぬ心の戦争状態であるということをよく認識している人の作品。彼女の歌につねに流れている震えは、シルビア・プラスを思い出させます。

◆ 会津八一(あいず やいち) 一八八一~一九五六 ◆

かすがのに おしてるつきの ほがらかに あきのゆふべと なりにけるかも

かすがのの みくさをりしき ふすしかの つのさへさやに てるつくよかも

もりかげの ふぢのふるねに よるしかの ねむりしづけき はるのゆきかな

おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもへ

すゐえんの あまつをとめが ころもでの ひまにもすめる あきのそらかな

あめつちに われひとりゐて たつごとき このさびしさを きみはほほゑむ

あまごもる やどのひさしに ひとりきて てまりつくこの こゑのさやけさ

かすがのの しかふすくさの かたよりに わがこふらくは とほつよのひと

さをしかの みみのわたげに きこえこぬ かねをひさしみ こひつつかあらむ

みほとけの ひかりすがしき むねのへに かげつぶらなる たまのみすまる

ねむりきて けふをいくひの あかつきを ゆめのごとくに かゆくらひをり

あひしれる ひとなきさとに やみふして いくひききけむ やまばとのこゑ

やすらぎて しばしいねよと わがことの とはのねむりと なるべきものか

ひかりなき とこよののべの はてにして なほかきくらむ やまばとのこゑ

のきしたに たちたるくさの たかだかと はなさきいでぬ ひとりすめれば

ひそみきて たがうつかねぞ さよふけて ほとけもゆめに いりたまふころ

いづくにか したたるみづの きこえきて ゐろりはさびし ゆきてはやねむ


◆ 中城ふみ子(なかじょう ふみこ) 一九二二~一九五四 ◆

音たかく夜空に花火うち開きわれは隈なく奪はれてゐる

灼きつくす口づけさへも目をあけてうけたる我をかなしみ給へ

冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己れの無残を見むか

背のびして唇づけ返す春の夜のこころはあはれみづみづとして

脱衣せる少女のごとき白き葱水に沈めて我はさびしゑ

かがまりて君の靴紐結びやる卑近なかたちよ倖せといふは

きられたる乳房黝(くろ)ずむことなかれ葬りをいそぐ雪ふりしきる

失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ

出奔せし夫が住むといふ四国目とづれば不思議に美しき島よ

新しき妻とならびて彼の肩やや老けたるを人ごみに見つ

無き筈の乳房いたむとかなしめる夜々もあやめはふくらみやまず

この夜額に紋章のごとかがやきて瞬時に消えし口づけのあと

草はらの明るき草に寝ころべり最初より夫など無かりしごとく

灯を消してしのびやかに隣に来るものを快楽(けらく)の如くに今は狎(な)らしつ

身に副へる何の悲哀か螺旋階段登りつめれば降りる外なし

ゆつくりと膝を折りて倒れたる遊びの如き終末も見え

死後のわれは身かろくどこへも現れむたとへばきみの肩にも乗りて


◆ 米川千嘉子(よねかわ ちかこ) 一九五九~

〈女は大地〉かかる矜持のつまらなさ昼桜湯はさやさやと澄み      

やはらかく二十代批判されながら目には見ゆあやめをひたのぼる水

桃の蜜てのひらの見えぬ傷に沁む若き日はいついかに終らむ

春の鶴の首打ちかはす鈍き音こころ死ねよとひたすらに聴く

さやさやとさやさやと揺れやすき少女らを秋の教室に苦しめてをり

ねぢれゆく時間のなかにまどろめば覚めて夫(つま)と子ふとあらざるべし    

幼き子にはじめての虹見せやればニギといふその美(は)しきにふるへ

ああ母でなくともよしと樹は立ちて天に吊らるる濃緑の躰(たい)

ゆふぐれのさびしい儀式子を拭けばうす桃色の足裏(あうら)あらはる

息子の白いお尻ももうすぐ見なくなる洋服を着た母と子になる

まつ白きさくらよさくら女子(をみなご)も卵もむかし贈り物なり

たましひに着る服なくて醒めぎはに父は怯えぬ梅雨寒のいへ

子にはまだ白い時間があるばかり あさがほ、ひるがほ、よるがほ、あさがほ

空爆の映像果ててひつそりと〈戦争鑑賞人〉は立ちたり

白鳥は型抜きされたやうにしづか ああまた母がさびしいといふ

お軽、小春、お初、お半と呼んでみる ちひさいちひさい顔の白梅