2009年7月30日木曜日

◆Mixiに詩歌クラブを立ち上げました◆

 演習34に参加した人たち数名を核にして、Mixiに詩歌クラブを立ち上げることになりました。名づけて、KUREMUTSU CLUB@mixi支部。
 詩歌+その他もろもろを含めたサークルのようなもの、とでも説明しておくと、わかりがいいかもしれませんね。

 命名は空目(うつめ)さんこと渡邊玲さん。彼女に、急遽、事務的なお仕事をしてもらい、準備完了してもらっちゃいました。仕事のはやさ、的確さ。まったくもって、見事なものです。そこいらのセンセたちに爪の垢を煎じて飲ませたいぐらい。

 藤原夏家としては、短歌の創作作品を数か月見続けながら、今後も継続して作っていってもらいたい人たちが多いなぁと思っていたので、続けて作っていったり、思い思いの感想を交換できたり、ついでにおしゃべりもできたり、ときには愚痴ったり、SOSを発信したり…という場所があったらいいだろうな、と考えていたのですが、だいたいの枠組みについて賛同してくれる人たちが集まったので、7月28日の授業後、一気に立ち上げ決定!となった次第。
 
 いちおう、短歌発表と感想書きつけの場、ということで始めようと思います。自由詩などや短文なども含めていいのではないかとは思いますが、これは今後のなりゆき次第。参加者たちでなんとなくコンセンサスをとりながら決めていくべきことでしょう。

 このクラブは授業の一環ではありませんし、大学ともなんの関係もないもので、もちろん、先生も学生もナシです。わたくしの場合、多少歳が勝っていますから、ときどき指導らしきことを漏らしがちになるかもしれませんが、まぁ、言わしておけば結構。従う必要なんてありません。事務上、運営係や取りまとめなどをする人は必要とされるかもしれませんが、それはそれで便宜上の役柄ですから、協力していくことにしたいものです。

 参加不参加は、完全に自由。演習34に出ていた人ならば、誰でも参加できます。それ以外の人たちでも、参加してみるかな?という人たちならOK。タリバンの方々も、CIAの方々も、公安の方々もどうぞ。

 Mixiに登録する際の事務的な面については、渡邊玲さんの以下の記述を参考にしてください。

《 ひとまず、mixi上にKUREMUTSU CLUBを立てました!http://mixi.jp/view_community.pl?id=4451937です。
 この授業に参加されていた方なら誰でも参加できるようにしたいです。昨日7限があって…とか、昨日授業行ってないよ!という人でもこの書き込みを見て参加されても構いません。(よね?)
 ただ著作権とか色々あるので、参加するにはいったん私にメッセージを送らないといけない仕様になってます。(参加するボタン押すとメッセージ画面になります)ペンネーム(もしくは本名)を書き添えていただければ「あー」でも「いー」でも承認しますので、よろしくお願いします。
 また、昨日の飲みメンバーにはいなかったのですが「mixiやってないよー」という人がいましたら、メールアドレスを教えてもらえれば、mixiに招待します。》

 さあ、この先どうなっていくか―――
 まったくわかりませんけれども、少なくとも50年ほどは続くクラブにしたいものだと思っています。本音をいえば、…そうですねぇ、2000年程度はかるく続けたいところ。4009年頃までは、ね。


      2009年7月30日          
                                             藤原夏家

2009年7月27日月曜日

必読短歌12(馬場あき子・高瀬一誌・加藤治郎・穂村弘)

 必読短歌12のアップをすっかり忘れていました!先回の授業に出てこなかった人は、ぜひ読んでおいてください。
 さて、7月28日で最後の授業となり、前期も終わります。21日は補講期間ということでお休みでした。「28日はナシでもいいのではないかと思うけれど、どうしましょうか」と、いちおう授業の際に聞いておきましたが、格別に積極的なナシ論もなかったので、アリで行きます。ワレワレの授業の後に他の授業がなければ、そのまま飲みにでもいこうかと思ったのですが、けっこう多くの人が授業アリのようなので、流れ解散にならざるをえないのかな、やっぱり???次の時間、授業入ってないよ、という人がいたら、ちょっと飲んでいきましょうか?
 さてさて、必読名歌であります。
 古典短歌によく通じ、現代短歌のなかでも風格ある作風の馬場あき子。弱い者や虐げられた者、滅びゆく者への視線がつねに熱い歌人です。
 諧謔に満ち、禅味もある高瀬一誌の見事な破調短歌は、自由ということのひとつの探究のかたちでしょう。
 なにひとつ大事な(と従来は見なされてきた)事柄を歌わずに、わざと逸らしたところでヤケに執念深く、しかし軽く軽く歌う加藤治郎。ライトバースの旗手と呼ばれました。しかし、そういう歌い方であえて回避しているのは、じつはどれも重要な重いテーマ。彼が表現しないものを見ようとすれば、なにに捉われているのか、なにを苛立たしく思っているのかがわかってきます。
 穂村弘も、加藤治郎と同じ方向を辿ったところがありますが、もっと幼児的、少年的な表現をあえて多く取り入れて作歌しました。授業では、「中2的」という評が出て、すさまじい批評になっていました。中2的、高2的、大2的…ねェ。とはいえ、時代や社会の要求してくる「個人」のあり方に対して、すっかり閉じこもってしまっていたり、まったく無関心していたりする(かのような)彼の歌を見ると、なんだかキリキリと侘しく、悲しく、やるせなくなってくるところがあり、「現代の新たな悲哀を表現した」とでも評しておくべきなのかな、やっぱり、と思ってしまう。


◆ 馬場あき子(ばばあきこ) 一九二八~ ◆

ヘラ鮒の子を持つ胸はうすらかに脂しみ来る生きのあはれさ       

死にたえぬ六寸鮒の瞳の青き澄みは哀しも命にしみて

つぎつぎと魚裂きゆけばかなしさの極まりて立つ血潮のにほひ

一尺の雷魚を裂きて冷(れい)冷(れい)と夜のくりやに水流すなり

杳き日のいぢめられつ子木枯の吹けば走れり木枯の世を

頼朝はどこにもをりてひたすらに蹶起せざれば木を植ゑてゐる

父病めば人遠きかな夏深く終るもの一つ一つたしかむ

生き得じと折ふしに思ひ看取りたるわが眼しづかに父が見てゐし

母の齢はるかに越えて結う髪や流離に向かう朝のごときか

植えざれば耕さざれば生まざれば見つくすのみの命もつなり

花散りて実をもつ前の木は暗し目つぶれば天にとどく闇ある

わが生(しよう)やこのほかに道なかりしか なかりけんされどふいの虹たつ

こはいつの放浪無惨老耄の母がみている海の夜の砂

生き急ぐほどの世ならじ茶の花のおくれ咲きなる白きほろほろ

迷いなき生などはなしわがまなこ衰うる日の声凛とせよ

冬の井戸のぞく恐さに見んとするそこにしかない深さのひかり

冬野ゆく閑吟集こそかなしけれ声にうたえどわれは狂わぬ



◆ 高瀬一誌(たかせかずし) 一九二九~二〇〇一◆

うどん屋の饂飩の文字が混沌の文字になるまでを酔う

カメを買うカメを歩かすカメを殺す早くひとつのこと終らせよ

ワープロからアアアの文字つづけばふたりして森閑とせり

百ワットをこうこうとつけて眠れるわれは愉快犯に近づく

塩からき顔をしていん 相手の思う壺に入らんと思いつつ

眼鏡の男ばかりがあつまりてわれら何をなすべきか何をなしたる

どうもどうもしばらくしばらくとくり返すうち死んでしまいぬ

ホトケの高瀬さんと言われしがよくみればざらざらでござる

鐘をつく人がいるから鐘がきこえるこの単純も単純ならず

男(お)の子女(め)の子むきあうあそび何回もなすスミレ幼稚園

歯車でも螺子でもいいがオスメスのちがいはかんたんならず

頓死その字のごとし大馬鹿その字のごとし蟷螂その字のごとし

何かせねばおさまらぬ手がこうして石をにぎりしめたり

ガンと言えば人は黙りぬだまらせるために言いしにあらず

右手をあげて左手をあげて万歳のかたちになりぬ死んでしまいぬ

中将湯はのみしことなしバスクリンは少しなめしことあり あはは

全身をふるわせながら抗議するこのハエは死ぬ覚悟ではないか


◆ 加藤治郎(かとうじろう) 一九五九~ ◆

だしぬけにぼくが抱いても雨が降りはじめたときの顔をしている

荷車に春のたまねぎ弾みつつ アメリカを見たいって感じの目だね

鋭い声にすこし驚く きみが上になるとき風にもまれゆく楡

もうゆりの花びんをもとにもどしてるあんな表情を見せたくせに

ぼくたちは勝手に育ったさ 制服にセメントの粉すりつけながら

ひとしきりノルウェーの樹の香りあれベッドに足を垂れて ぼくたち

とけかけの氷を右にまわしたりしずめたりまた夏が来ている

にぎやかに釜飯の鶏ゑゑゑゑゑゑゑゑゑひどい戦争だった

ぼくんちに言語警察がやってくるポンポンダリアって言ったばっかりに

定型は手のつけられぬ幼帝だ擬似男根をこすりつけてる

ぼくたちの詩にふさわしい嘔吐あれ指でおさえる闇のみつばち

だからもしどこにもどれば こんなにも氷をとおりぬけた月光

まりあまりあ明日あめがふるどんなあめでも 窓に額をあてていようよ

黒パンをへこませているゆびさきの静かな午後よ さいごのちゅうちょ

れれ ろろろ れれ ろろろ 魂なんか鳩にくれちゃえ れれ ろろろ

歯にあたるペコちゃんキャンデーからころとピアノの上でしようじゃないか

海から風が吹いてこないかどこからかふいてこないかメールを待ってる

抽斗だけがやさしい夜明け十年もまえってうすい手紙のようさ



◆穂村弘(ほむらひろし) 一九六二~ ◆

体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ

「キバ」「キバ」とふたり八重歯をむき出せば花降りかかる髪に背中に

「酔ってるの?あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」

ねむりながら笑うおまえの好物は天使のちんこみたいなマカロニ

ハーブティーにハーブ煮えつつ春の夜の嘘つきはドラえもんのはじまり

サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい

歯を磨きながら死にたい 真冬ガソリンスタンドの床に降る星

終バスにふたりは眠る紫の<降りますランプ>に取り囲まれて

はんだごてまにあとなった恋人のくちにおしこむ春の野いちご

杵のひかり臼のひかり餅のひかり湯気のひかり兎のひかり

目覚めたら息まっしろで、これはもう、ほんかくてきよ、ほんかくてき

恋人の恋人の恋人の恋人の恋人の恋人の死

このばかのかわりにあたしがあやまりますって叫んだ森の動物会議

ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち。

おやすみ、ほむほむ。LOVE(いままみの中にあるそういう優しいちからの全て)。

めずらしい血液型の恋人が戦場に行っ。て。し。ま。っ。た。悪。夢。

窓のひとつにまたがればきらきらとすべてをゆるす手紙になった

夢の中では、光ることと喋ることはおなじこと。お会いしましょう