4月21日に教室で読んだ歌を載せておきます。
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◆ 与謝野晶子 (よさのあきこ) 一八七八~一九四二 ◆
その子二十櫛に流るる黒髪のおごりの春の美くしきかな
清水へ祇園をよぎる花月夜こよひ逢ふ人みな美くしき
やは肌のあつき血潮に触れも見でさびしからずや道を説く君
何となく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな
ゆあみして泉を出でし我が肌に触れるるは苦し人の世の衣
昨日をば千とせの前の世と思ひ御手なほ肩にありとも思ふ
春の夜に小雨そぼ降る大原や花に狐の出でてなく寺
海恋し潮の遠鳴りかぞへてはをとめとなりし父母の家
鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな
誰が子かわれにをしへし橋納涼十九の夏の浪華風流
七たりの美なる人あり簾して船は御料の蓮きりに行く
水にさく花のやうなるうすものに白き帯する浪華の子かな
金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり岡の夕日に
夏のかぜ山よりきたり三百の牧のわか馬耳吹かれけり
夏まつりよき帯むすび舞姫に似しやを思ふ日のうれしさよ
うすいろを著よと申すや物焚きしかをるころものうれしき夕
あざやかに漣うごくしののめの水のやうなるうすものを著ぬ
◆ 岡井隆 (おかいたかし) 一九二八~ ◆
母の内に暗くひろがる原野ありてそこ行くときのわれ鉛の兵
父よ その胸郭ふかき処にて梁からみ合うくらき家見ゆ
眠られぬ母のためわが誦む童話母の寝入りし後王子死す
掌のなかへ降る精液の迅きかなアレキサンドリア種の曙に
灰黄(かいこう)の枝をひろぐる林みゆ亡びんとする愛恋ひとつ
渤海のかなた瀕死の白鳥を呼び出してをり電話口まで
以上簡潔に手ばやく叙し終りうすむらさきを祀る夕ぐれ
薔薇抱いて湯に沈むときあふれたるかなしき音を人知るなゆめ
藻類のあはきかげりもかなしかるさびしき丘を陰阜とぞ呼ぶ
花から葉葉からふたたび花へゆく眼の遊びこそ寂しかりけれ
うたた寝ののちおそき湯に居たりけり股間に遊ぶかぎりなき黒
原子炉の火ともしごろを魔女ひとり膝に抑へてたのしむわれは
あぢさゐの濃きは淡きにたぐへつつ死へ一すぢの過密花あはれ
つきづきし家居(いへゐ)といへばひつそりと干すブリーフも神の仕事場
独楽は今軸かたむけてまはりをり逆らひてこそ父であること
蒼穹は蜜かたむけてゐたりけり時こそはわがしづけき伴侶
歌といふ傘をかかげてはなやかに今わたりゆく橋のかずかず
◆ 河野裕子 (かわのゆうこ) 一九四六~ ◆
逆立ちしておまへがおれを眺めてた たつた一度きりのあの夏のこと
陽にすかし葉脈くらきをみつめをり二人のひとを愛してしまへり
たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
森のやうに獣のやうにわれは生く群青の空耳研ぐばかり
ゆふべぬるき水に唇まで浸りゐて性欲とは夏の黄の花のやうなもの
夏帽子すこしななめにかぶりゐてうつ向くときに眉は長かり
振りむけばなくなりさうな追憶の ゆふやみに咲くいちめんの菜の花
死の後にゆき逢ふごとき寂かさに水に映りて桜立ちゐき
今刈りし朝草のやうな匂ひして寄り来しときに乳房とがりゐき
言ひかけて開きし唇の濡れをれば今しばしわれを娶らずにゐよ
たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり
さびしさよこの世のほかの世を知らず夜の駅舎に雪を見てをり
象の鼻先が土すれすれに揺れてゐる寂しさを言ふは容易(たやす)からずも
会ふたびにらつきよのやうになりてゆく小さなあたまの人なり母は
長くてもあと三十年しか無いよ、ああ、と君は応ふ椋の木の下
露地裏に夕顔咲かせて前(さき)の世は小さな無口の婆さんであつた
2009年4月22日水曜日
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