2009年10月7日水曜日

必読短歌14(釈迢空・佐々木信綱・佐々木幸綱)

 10月6日の授業でとりあげた三歌人の歌を載せておきます。
 国文学・民俗学の泰斗である折口信夫は釈迢空の名で作歌しました。句読点を付し、孤心の深みにひとり降りていくような作風の前では、急いで読み飛ばすような接し方は慎まなければならないでしょう。
 やはり国文学の泰斗である佐々木信綱の歌は、わかりやすい作品ながらも、学ぶべき基本的技法が所々に見られ、大きな歌いっぷりの中に懐かしさと癒しとがあります。
 その孫にあたる佐々木信綱は早稲田大学の大先輩。男歌をひとりで背負って来たかのような雄々しく爽快な作品には、はにかみと優しさがいつも同居してます。生活の中での心の持ち方をそれとなく教えられるような味わい深さが特徴といえそうです。

◆釈迢空 (しゃく ちょうくう) → 折口信夫 一八八七~一九五三◆

葛の花 踏みしだかれて、 色あたらし。この山道を行きし人あり

山岸に、昼を 地虫の鳴き満ちて、このしづけさに 身はつかれたり

この島に、われを見知れる人はあらず。やすしと思ふあゆみの さびしさ

邑(ムラ)山の松の木むらに、日はあたり ひそけきかもよ。旅びとの墓

山ぐちの桜昏れつゝ ほの白き道の空には、鳴く鳥も棲(ヰ)ず

山深く われは来にけり。山深き木々のとよみは、音やみにけり

ながき夜の ねむりの後も、なほ夜なる 月おし照れり。河原菅原

光る瑞の 其処につどはす三世の仏 まじらひがたき現身(ウツソミ)。われは

水底に、うつそみの面わ 沈透(シヅ)き見ゆ。来む世も、我の 寂しくあらむ

竹山に 古葉おちつくおと聞ゆ。霜夜のふけに、覚めつゝ居れば

わがせどに 立ち繁(シ)む竹の梢(ウレ)冷ゆる 天の霜夜と 目を瞑りをり

秋たけぬ。荒涼(スゞロサム)さを 戸によれば、枯れ野におつる 鶸(ヒワ)のひとむれ

目の下に 飛鳥の村の暮るゝ靄――。 ますぐにさがる 宮の石段(イシキダ)

野も 山も 秋さび果てゝ 草高し―。 人の出で入る声も 聞えず

我よりも残りがひなき 人ばかりなる世に生きて 人を怒れり

あはれ何ごとも 過ぎにしかなと言ふ人の たゞ静かなる眉に 向へり

ほのぼのと 炎の中に女居て、しづけき笑(エマ)ひ消えゆかむとす

いまははた 老いかゞまりて、誰よりもかれよりも 低き しはぶきをする


◆佐々木信綱 (ささき のぶつな) 一八七二~一九六三◆

ゆきゆけば朧月夜となりにけり城のひむがし菜の花の村

幼きは幼きどちのものがたり葡萄のかげに月かたぶきぬ

わた中のかゝる島にも人すみて家もありけり墓もありけり

よき事に終りのありといふやうにたいさん木の花がくづるる

ちらばれる耳成山や香具山や菜の花黄なる春の大和に

ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲

狂ひたる時計がなほも動きやまでたがへる時刻(とき)をさせるさびしさ

道の上に残らむ跡はありもあらずわれ虔(つつし)みてわが道ゆかむ

人とほくゆきて帰らず秋の日の光しみ入る石だたみ道

春ここに生るる朝の日をうけて山河草木みな光あり

鳥の声水のひゞきに夜はあけて神代に似たり山中の村

人の世はめでたし朝の日をうけてすきとほる葉の青きかがやき

いつまでか此のたそがれの鐘はひびく物皆うつりくだかるる世に

波きるやおとのさやさや月白き津軽の迫門(せと)をわが船わたる

大き海に月おし照れり船艫(ふなとも)を滝つ瀬なして流れ散る波

山の上にたてりて久し吾もまた一本の木の心地するかも

たでの花ゆふべの風にゆられをり人の憂は人のものなる

ありがたし今日の一日もわが命めぐみたまへり天と地と人と


◆佐々木幸綱 (ささき ゆきつな) 一九三八~◆

サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝を愛する理由はいらず

イルカ飛ぶジャックナイフの瞬間もあっけなし吾は吾に永遠(とわ)に遠きや

ゆく秋の川びんびんと冷え緊まる夕岸を行き鎮めがたきぞ

夏の女のそりと坂に立っていて肉透けるまで人恋うらしき

ジャージーの汗滲むボール横抱きに吾駆けぬけよ吾の男よ

なめらかな肌だったっけ若草の妻ときめてたかもしれぬ掌は

三十一拍のスローガンを書け なあ俺たちも言霊を信じようよ

直立せよ一行の詩 陽炎(かげろう)に揺れつつまさに大地さわげる         

君は信じるぎんぎんぎらぎら人間の原点はかがやくという嘘を

わが夏の髪に鋼の香が立つと指からめつつ女は言うなり

詩歌とは真夏の鏡、火の額を押し当てて立つ暮るる世界に

竹は内部に純白の闇育て来ていま鳴れりその一つ一つの闇が

書にむかう父の猫背の峠にて霧巻くとそを眺めてありき

父として幼き者は見上げ居りねがわくは金色の獅子とうつれよ

あばれ独楽ぐいぐいと立ち澄み行けり聖なる時と子は見つめ居り

男とはなどと言いつつ逆様に幼なぶらさげ楽しんでいる

暗き時代を恋うごとく学生にしゃべりゆく暗さゆえ輝くくさぐさあるを

竹に降る雨むらぎもの心冴えてながく勇気を思いいしなり

2009年10月4日日曜日

必読短歌13(高野公彦・石田比呂志・奥村晃作)

 9月29日の授業では、高野公彦、石田比呂志、奥村晃作の作品を鑑賞しました。時間の都合で、わずかの作品にしか触れられませんでしたが、選んだ作品はどれも必ず読んでおくべきものです。以下に掲げておきます。
 なお、作品投稿などはこの欄の下方にあるコメント欄から行ってください。

◆高野公彦 (たかの きみひこ) 一九四一~◆

青春はみづきの下をかよふ風あるいは遠い線路のかがやき

悲しみを書きてくるめし紙きれが夜ふけの花のごと開きをるなり

白き霧ながるる夜の草の園に自転車はほそきつばさ濡れたり       

水底に肌擦る緋鯉の身の反りを冬の夜ふかく憶ひてゐたり

風いでて波止の自転車倒れゆけりかなたまばゆき速吸(はやすひ)の海

エレベーターひらく即ち足もとにしづかに光る廊下来てをり

わが生と幾つかの死のあはひにて日あたる塀は長くつづけり

みどりごは泣きつつ目ざむひえびえと北半球にあさがほひらき

灯を消して寝ねんとするにはるかなる母を思へと暗黒はあり

乾坤(けんこん)の坤(こん)の寂けさ 母入る前のひつぎの底をのぞけば

滝、三日月、吊橋、女体うばたまの闇にしづかに身をそらすもの

飛込台はなれて空(くう)にうかびたるそのたまゆらを暗し裸体は

夜ざくらを見つつ思ほゆ人の世に暗くただ一つある〈非常口〉

ぶだう呑む口ひらくときこの家の過去世の人ら我を見つむる

なきがらのほとりに重きわがからだ置きどころなく歩くなりけり

弘法寺の桜ちるなか吊鐘は音をたくはへしんかんとあり

方位なき暗闇のなか寝返ればうゐのおくやまゆめ揺れにけり

新宿の地下広場ふかく夕日さし破船を洗ふごとき水音



◆石田比呂志 (いしだ ひろし) 一九三十年~◆

<職業に貴賎あらず>と嘘を言うな耐え苦しみて吾は働く

おのれより少し賤しとすれ違うときに相手も然(しか)思いいむ

身を絞る如く回りている独楽の濁り払いて澄む時のあり

われの腕離れし時計休みなさい夜もふけたればもう休みなさい

酒飲みのかつ人生の先輩として先に酔う ちょっと失礼

酒のみてひとりしがなく食うししゃも尻から食われて痛いかししゃも

春宵(しゆんしよう)の酒場にひとり酒啜(すす)る誰か来んかなあ誰(だ)あれも来るな

蟹の脚せせりながらに飲むお酒われは困った男かな

肌青きからに下賤の魚にてわれに食われて満足をせよ

五十歳過ぎて結語を持たざれば夜の酒場に来たりて唄う

ゆうぐれの新幹線に忘れ来し万年筆はいずこゆくらむ

心臓のようにぽつんと暗闇にご飯たく灯が点っている

清らなる処女の乳房に接吻す夢許されよ六十一歳

大寒の空ゆく鳥の群見れば鳥さえ時に道過たむ

家出せし父も幸せ薄かりし母も綺麗に消滅したり

仰臥より側臥し仰臥し側臥して仰臥し側臥して仰臥せり

今日もまた来ておるわいと思いながら酒飲む男の横に坐る

水割りの氷鳴らして西部劇見おり英雄(ヒーロー)なども平凡にして

酔を吐く女の背中撫でているわれの右手に感傷のなし

赤提灯昼を点せる小路(こうじ)ゆくかの酔漢(よいどれ)も母父(おもちち)もてり

おつまみはそなたの乳首でよいなどと言いてつまみぬひょいとばかりに

われははや酩酊したり肘枕ごろり天下を盗りそこなって


◆奥村晃作(おくむら こうさく) 一九三六年~◆

ボールペンはミツビシがよくミツビシのボールペン買ひに文具店に行く

もし豚をかくの如くに詰め込みて電車走らば非難起こるべし

これ以上平たくなれぬ吸殻が駅の階段になほ踏まれをり

わたくしはここにゐますと叫ばねばずるずるずるずるおち行くおもひ

一日中時間を持つになほ忙しわれはどこかがまちがつてゐる

然ういへば今年はぶだう食はなんだくだものを食ふひまはなかつた

次々に走り過ぎ行く自動車の運転をする人みな前を向く

ぐらぐらと揺れて頭蓋がはづれたりわれの内側ばかり見てゐて

洗濯もの幾さを干して掃除してごみ捨てて来て怒りたり妻が

歩かうとわが言ひ妻はバスと言ひ子が歩こうと言ひて歩き出す

ラーメンを食ひたい時に食ふ如くしたい時せよマスターベーション

巨きなる帚の先で自動車を掃き集め海に捨てて来しゆめ

あの鶏はなぜいつ来ても公園を庭の如くに歩いてゐるか

舟虫の無数の足が一斉にうごきて舟虫のからだを運ぶ

ラッシュアワー終りし駅のホームにて黄なる丸薬踏まれずにある

イヌネコと蔑(なみ)して言ふがイヌネコは一切無所有の生を完(まつた)うす

不思議なり千の音符のただ一つ弾きちがへてもへんな音がす

犬はいつもはつらつとしてよろこびにからだふるはす凄き生きもの

梅の木を梅と名付けし人ありて疑はず誰も梅の木と見る

絹薄き片を透かしてホトの毛の一つ一つがくつきりと見ゆ

海に来てわれは驚くなぜかくも大量の水ここにあるのかと

母は昔よい顔してたが現在はよい顔でないことの悲しさ

百人の九十九人が効かないと言ったって駄目 オレには効いた