2009年6月3日水曜日

必読短歌7 ~窪田空穂・生方たつゑ・永井陽子

 窪田空穂は早稲田大学の大先輩にあたります。教授として国文学を講じていました。地味に見える歌ですが、言葉の細かい動かし方は絶妙。生活の中での心情をえぐり出す執拗さを一生持ち続け、時代を経るにつれて、巨峰としての威容が露わになってきています。岩波文庫の歌集あり。
 生方たつゑの、他人と自己とのあいだに鋭く線を引いた認識の厳しさは、そのまま魅力でもあります。難解に映る表現も散見されますが、社会の中で深く苦しんで生きている人々には、すっと納得のいく結晶。どこまでも孤独であることを覚悟した人間の見栄が、随所にみごとな花となって咲き出でています。
 永井陽子は、いつ読んでも新鮮。この人がいたことで、短歌の表現は大きく変化したといえそうです。言葉で、韻律に乗せて表現することが、どこまでいっても言葉遊びでもあり続けるという言語表現の宿命を、最後まで忘れませんでした。若くして亡くなったのは、本当に残念。
 いつもそうですが、今回の三人は特に、どれも、もっともっと多くの作品を読んでおきたい歌人たちです。今すぐにでなくても、気の向いた時にはぜひ歌集を手にとってみてください。

◆ 窪田空穂(くぼたうつぼ) 一八七七~一九六七◆

来ては倚る若葉の蔭や鳥啼きて鳥啼きやみて静寂(しゞま)にかへる

麦のくき口にふくみて吹きをればふと鳴りいでし心うれしさ

かはたれと野はなりゆけど躍り落ち井堰の水のひとり真白さ

湧きいづる泉の水の盛りあがりくづるとすれやなほ盛りあがる

冬空の澄み極まりし青きより現はれいでて雪の散り来る

我が瞳直(ひた)に見入りつ其瞳やがて眩げに閉じし人はも

円らなる瞳を据ゑてつくづくと我れ見る子かな其の母に似て

其の子等に捕へられむと母が魂蛍となりて夜を来たるらし

鳴く蝉を手(た)握りもちてその頭をりをり見つつ童走せ来る

明け昏(ぐ)れの空明らめば雲海の雲打ち光り光りつつ崩る

凝り沈む雲くづれては散るなべに千尺(ちさか)の深谷(みたに)あらはれ来たる

茶碗など洗ひさしてはつれづれと眼の前を見て妻のゐる見ゆ

罵らんとぞする心押ししづめ押ししづめをりぬ寂しきに堪へ

富人に生まれたりせばこの心持たざりけらし持つ尊まむ

我が心此一言に注ぎては十年悩めど歌に価無き

我が心言葉とすれど其言葉人の愛(めで)無く価は持たぬ

われは今死ぬに死なれぬ身なりけり誰が為ならずみづからが為

わが写真乞ひ来しからに送りにき身に添へもちて葬られにけむ


◆ 生方たつゑ (うぶかたたつえ) 一九〇五~二〇〇〇◆

謀られてゐるわたくしを意識して交はりゆけば夜の埃あり

壺のなかにみづの凍らむかすかなるけはひは夜半にひとりきくべし

人思ふうた一つだになく過ぎて清(すが)しむといふ生(いき)のかなしみ

草の汁浸みてこはばる手をひたす清きまみづを犯すがごとく

能面の泥眼がもつ翳りみきしみじみとせる嫉みをせむか

身に沁みてくる透明のゆらぎありただ消極に入る秋にして

滲々(しんしん)とあめの漏刻(ろうこく)をききてをり侵蝕はかくひそかならむか

幸はきれぎれにしてをはるともけふあこがれてゆく潮があり

たふれゆく樹骸の湖(うみ)にしぐれして啓かれてゆく冬の音なり

冬の海のやうなる音たてて帯とけば烈しくぬれてくる痛みあり

誹られてをらむわたくしがぬけぬけと薔薇きりてゐる明るき速度

紅絹(もみ)裂けば紅絹のあやしきにほひ充つ透きとほるまでの嫉妬をもてば

樟脳くさき風がにほへば少年の骨粉をおもふ忽然として

石仏の指の欠けしを拝みきぬ無能に美しく虹たつ日なり

北を指すものらよなべてかなしきにわれは狂はぬ磁石をもてり

木を齧る音ききし夜も雪ふれり欠けし紋章も濡れつつあらむ

病みやすき夫を置ききし旅にして城もみづうみもわれを奪はず

待つもののなくなりし家にかへりゆくそこより帰りゆくところなく


◆ 永井陽子 (ながいようこ) 一九五一~二〇〇〇◆

触れられて哀しむように鳴る音叉 風が明るいこの秋の野に        

夜は夜のあかりにまわるティーカップティーカップまわれまわるさびしさ

うつむきてひとつの愛を告ぐるときそのレモンほどうすい気管支

べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊  

天空をながるるさくら春十五夜世界はいまなんと大きな時計

ここはアヴィニョンの橋にあらねど♩♩♩曇り日のした百合もて通る

あはれしづかな東洋の春ガリレオの望遠鏡にはなびらながれ

月の光を気管支に溜めねむりゐるただやはらかな楽器のやうに

丈たかき斥候(ものみ)のやうな貌(かほ)をしてf(フオルテ)が杉に凭れてゐるぞ

ゆふさりのひかりのやうな電話帳たづさへ来たりモーツアルトは

十人殺せば深まるみどり百人殺せばしたたるみどり安土のみどり  

少女はたちまちウサギになり金魚になる電話ボックスの陽だまり

ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまはり

のぎへんの林に入りてねむりたり人偏も行人偏もわすれて

洋服の裏側はどんな宇宙かと脱ぎ捨てられた背広に触れる

冬瓜が次第に透明になりゆくを見てをれば次第にしにたくなりぬ 

錠剤を見つむる日暮れ ひろごれる湖よこの世にあらぬみづうみ

7 件のコメント:

  1. ゆるりです。
    6首

    ご近所のオヤジもキミもそうですがどうして人は風呂で歌うの
    この肺はまるで言葉の留置場そとにでたいと皆あらがうよ
    息の音止まってどれだけたつかしら本を読んでる君の静寂
    ふと思うSuicaに残る3円をどう処理しよう?どうでもいいね
    疲れ果てそっと漂う寂しさにくしゃみをひとつ家に帰ろう
    この広い世界ではみな主人公そんな大嘘ついたのは誰

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  2. 叉旅猫目です。
    3首。

    落下する日々がスライドショーのよう正しき光夕闇に消え

    去り際に置いて残した真っ赤なトマト隣にメモを「不発弾です」

    1995年の真ん中に取り残された幼女の尿意

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  3. あじさい祭り境内に賽銭箱一つ二つ三つ願いごとは宙を舞う

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  4. ゆるりさんの歌。
    〇ご近所のオヤジもキミもそうですがどうして人は風呂で歌うの
    〇この肺はまるで言葉の留置場そとにでたいと皆あらがうよ
    〇息の音止まってどれだけたつかしら本を読んでる君の静寂
    〇ふと思うSuicaに残る3円をどう処理しよう?どうでもいいね
    〇疲れ果てそっと漂う寂しさにくしゃみをひとつ家に帰ろう
    〇この広い世界ではみな主人公そんな大嘘ついたのは誰
     ユーモアがあって、やるせなくって、でもなかなかたくましくって、そう簡単には負けないから…という感じ。けっこう大事な作品群になっていると思います。いまの時代の詩歌がうまく把握して表現するべき地平を探知しあてたと感じます。この流れで、まだまだ作れるかな?できそうなら、続けてみてください。

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  5.  叉旅猫目さんの歌。
    〇落下する日々がスライドショーのよう正しき光夕闇に消え
    〇去り際に置いて残した真っ赤なトマト隣にメモを「不発弾です」
    〇1995年の真ん中に取り残された幼女の尿意
     一首目は、「落下する日々」や「正しき光」の使われ方が抽象的で、どう読んだらいいか迷う読者もいるでしょう。そういう読者を無視するか、救うか。大いに考えてください。
     二首目は梶井基次郎の『檸檬』ふうですね。トマトと爆弾というのは、よく考えつきそうでも、印象のつよいイメージ関連。でも、「不発弾」でいいのかな?もっと別のもののほうがいいのでは、と思っちゃいました。
     三首目はおもしろい。名歌だとは思わないけれど、おもしろい。名歌だと思わせてくれない理由は、読者の意識のなかに、なにかをたなびかせてくれないから。余韻や慰撫が、もっとほしいところ。

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  6.  時間さんの歌。
    〇あじさい祭り境内に賽銭箱一つ二つ三つ願いごとは宙を舞う
     歌としてはいまひとつですが、魅力的な歌の種がいっぱい入ってますね。「あじさい祭り」、「境内に賽銭箱」、「願いごとは宙を舞う」など。最後の表現は、井上陽水の『少年時代』を思わせる。お祭りの時の、奇妙な夢見心地を捉えるのには良い表現になっています。
    「賽銭箱一つ二つ三つ願いごとは」と続けるあたり、「賽銭箱」の数から「願いごと」の数へと「一つ二つ三つ」を介して移っていくのがなかなか技巧的。

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  7.  大沼です。
     風呂で歌うのって気持ちいいですよね。適度なリバーブがかかるし、湯気のおかげで喉の状態は最高だし。そんな俺はいま、吉祥寺で行われている「風呂ロック」なるイベントに注目していたりします。もしご興味がありましたら検索してみてください。蔡忠浩のライブ、行きたいなあ。
     というわけで、今週は音楽をめぐっての連作です。

      その音楽に寄せるうた七首
     
     明日からボブ・ディランでも目指そうか夢の夢また夢に見た午後
     
     病み上がり雨の日比谷の野音の「や、」すらない残響にしがみついている
     
     噴水の先また先のとどめおく一瞬、夏をきらめきわたる
     
     天高くリバーブかかる風呂屋にて浅黒い小田和正を聴く
     
     二十四時だれの姿もない風呂でこっそり歌う、リバーブかかる
     
     真夜中の路地に紛れてアイポッド爆音で聴く爆音で聴く
     
     突然の三連符わすれてたたた男の不能さらけ出す夜

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