2009年11月14日土曜日

投稿作品4(11月10日までの分)

 コンスタントに投稿してくれる人たちの作風がはっきりしてきて、読むほうも、よい意味で慣れ、落ち着いて読めるようになってきました。慣れ過ぎるのもいけないのですが、詩歌では、慣れが深い読みに導いてくれるというところも、やはりあります。読む側からすれば、馴染みの作風がいくつもあるというのは、やはり楽しみでもあり、日々の気持ちの豊かさに通じていくものでもあります。自分の心だけでは受容できない世界の味わいや様相を、他人の心と表現行為を通して受け止められるというところに、詩歌や他の芸術行為の価値があります(価値は、それらのみにはもちろん留まりませんが)。
 詩歌を読んだり、詩歌とつきあったりしていくには、人間関係に似て、こんな「慣れ」、「馴染み」、ときには「馴れあい」さえをも、よりよい読解環境を作っていくものとして受け入れる必要がありそうです。ひじょうに大きな意味で、詩歌とはけっきょく、人づきあいです。他人や自分の言葉づかいの癖や工夫を、単純に拒否したり褒めたりするのでなく、大きな態度で受け入れるところに、詩歌のもうひとつ深い味わいが出てくる契機がありそうです。


◆投稿作品4(11月10日までの分)◆

青木さんのコメント...
さりげなく投稿。。。
雨の音ひとつぶひとつぶ連なって減三和音がひびく午後の末
雨止んで雀がにわかに鳴くころに待ち人はふと来るのだろうか
夕焼けの色がそのたび違うこと誰にも言わずにひっそりと見る
雑踏のひときわ大きな声の主にも聞こえている日の暮れる音
外灯の明かりに吸いよせられて来た子どもたちの言う未来完了
ごめんねを言われてもごめん分からないそのときの気持ち忘れたから
2009/10/23 10:52

鈴木有さんのコメント...
図書館を出たら、台風で、家に帰れなくなりました。石焼きビビンバを食べ終わるころには、台風がしずまってると思いました。食べ終えたときには本当に静まっていて、びっくりしました。ぼくは、帰ろうとおもって、レジに向かってたら、サイフにお金がほぼ入っていないことに気づきました。気づいてすぐに「あ」と叫びごえを店内で上げました。この発声の結果、中国人の日本語がしゃべれる店員さんは、「イイヨイイヨ、ツギキタトキデ」と、僕が払わなければいけない850円の問題について話しました。ぼくはアッと思って、そういえば、このお店は、ぼくのアルバイト先の面接官だった神田(カンダ)さんが、お金がない状態でなにかを食べて、そのまま払わなかった、とぼくに伝えてきたお店であることを思い出しました。神田さん(カンダさん)は、今年の11月に横浜のコンチネンタルホテルで、(はじめ、名前を聞き間違えて、「センチメンタルホテルですか」と聞き返したら「センチメンタルじゃ、そんな、センチメンタルじゃ……」と言っていた)結っこん式を上げることになっていて、その式場で、ぼくは、祝祭の短歌を、2首読みあげることになっているのです。来週の短歌です。
図書館を出たらすんげえ台風で石焼きビビンバ食べに行くのだ
小野小町で浮かべるものはなんですか ぼくは「遣唐使」と答えけり
小・中・高・大 授業のときに立方体ばかり書いてたノートの余白に
2009/10/30 19:21

鈴木有さんのコメント...
>>自分にたいして。いちばん上の3行、削除したほうがよかったな、残念。
2009/10/30 22:54

うぐいすさんのコメント...
うぐいすです。新型インフルエンザに罹りましたが、タミフルのおかげで早く治りました。
風邪をひき分かる自分の脆弱さ元気のないのは心の方だ
誘われてまんまと罹るインフルの猛威をしばし抑えよタミフル
熱が引きふしぶし痛む関節も徐々にやわらぎ咳も落ち着く
木も草も生きる力に前向きで愚痴も言わずに育っていく
爽秋の胸張る空に白い雲銀杏並木ゆるりとすすむ
ラッシュアワー三ヶ国語が軋みあい談話が走り文化が揺れる
(西武線の混雑時、仏語に英語に韓国語が飛び交っていました)
2009/10/31 0:25

鈴木有さんのコメント...
ごめんなさい。3回も続けて投稿してしまって。ものすごくいけないことをしている気がします。3首目の短歌を、小・中・高と授業のときに立方体ばかり書いてたノートのすみに(小・中・高・大 授業のときに立方体ばかり書いてたノートの余白に)と変えたくて、今、書き込んでいます。ずるいけれども、自分のために、いままで書いた修正を当てはめて、もういちど最初から書かせてもらいます。(もう、いくらなんでも、来週の火曜日まで、書き込みません。)             
☆ぼくは、帰ろうとおもって、レジに向かってたら、サイフにお金がほぼ入っていないことに気づきました。気づいてすぐに「あ」と叫びごえを店内で上げました。この発声の結果、中国人の日本語がしゃべれる店員さんは、「イイヨイイヨ、ツギキタトキデ」と、僕が払わなければいけない850円の問題について話しました。ぼくはアッと思って、そういえば、このお店は、ぼくのアルバイト先の面接官だった神田(カンダ)さんが、お金がない状態でなにかを食べて、そのまま払わなかった、とぼくに伝えてきたお店であることを思い出しました。神田さん(カンダさん)は、今年の11月に横浜のコンチネンタルホテルで、(はじめ、名前を聞き間違えて、「センチメンタルホテルですか」と聞き返したら「センチメンタルじゃ、そんな、センチメンタルじゃ……」と言っていた)結っこん式を上げることになっていて、その式場で、ぼくは、祝祭の短歌を、2首読みあげることになっているのです。来週の短歌です。
図書館を出たらすんげえ台風で石焼きビビンバ食べに行くのだ
小野小町で浮かべるものはなんですか ぼくは「遣唐使」と答えけり
小・中・高 授業のときに立方体ばかり書いてたノートのすみに
(小・中・高・大 授業のときに立方体ばかり書いてたノートの余白に)
2009/10/31 12:40

マルディさんのコメント...
こんにちは。お久しぶりです。
ベランダにのびるその枝百日紅(さるすべり)哀れくすんだ花を残して
示された番地丸めてそのままの冬のコートを奥よりいだす
カンパーニュ・プルミエール通りうろつけばフジタ?マン・レイ?住みびとが問う
どのようにここに居たのか我がきみの代替にする堀江敏幸
抱えた本に胸痛くなる箇所あって気付けば部屋に闇が来ており
ひらひらと舞い散る木の葉記憶にも言葉にもなり吾を惑わす
2009/11/04 14:19

青木 さんのコメント...
>示された番地丸めてそのままの冬のコートを奥よりいだす
寒くなってきて、冬のコートを出したら、なにやら前の冬に入れたままになっていたらしい紙が入っていた、という歌ですよね?これがわりと良いかなと思いました。「わりと」良いと書いたのは、下の句の「冬のコートを奥よりいだす」がもう少し何かならないかな、と一瞬思ったからです。はじめの「示された番地丸めてそのままの」が結構おもしろいなと思って、下の句読んだら意外と普通だった、、、みたいな。。でもよく読んでみると、これはこのままシンプルで良いような気もしてきます。「示された番地」から喚起される想像をどこまで広げるのか、広げないのかですよね。
2009/11/05 15:12

青木さんのコメント...
>抱えた本に胸痛くなる箇所あって気付けば部屋に闇が来ており
逆に、これはあまり良くないと思います。まず、「抱えた本に胸痛くなる箇所あって」が説明的。そして、「部屋に闇が来て」という表現は、いかにも詩っぽい感じがしますが、あくまで「いかにも詩っぽい」だけで、実際はとても陳腐なような気がします。だから、この歌には、あまり「詩」を感じることができません。マルディさんは、言葉のチョイスになかなか他の人には持ってないおもしろさがあることが多いので、とてもおもしろい作品が作れそうな気がします。
2009/11/05 15:20

青木さんのコメント...
>小・中・高 授業のときに立方体ばかり書いてたノートのすみに
(小・中・高・大 授業のときに立方体ばかり書いてたノートの余白に)
僕は、これは「余白」の方が良いような気がします。すみと余白では意味が異なりますが、余白の方が読み手の想像力が広がるのでは?あとは、「ノートのすみ」という表現自体にあまりおもしろみがないというのもあるかもしれません。
2009/11/05 15:22

マルディさんのコメント...
青木さん、ありがとう。5首目(と6首目)は自分でもちょっと嫌でした。私は歌に固有名詞を使いすぎていることを気にしていて、それをどうにか回避してみたらこの有様です。5首目、がらっと変えました。
“『腕(ブラ)一本』1月2日の初夢”に吸われた午後の手写して遊ぶ
(藤田嗣治『腕一本・巴里の横顔』講談社文芸文庫、2005年、246p)
2009/11/07 21:36

青木さんのコメント...
>“『腕(ブラ)一本』1月2日の初夢”に吸われた午後の手写して遊ぶ
そうそう、こういう言葉の使い方がマルディさんらしい!でも、読むとまだ、日記的というか、本を読んで午後をつぶしましたというのをそれっぽく言い換えただけになってると思います。この言葉でおもしろい一首が作れそうなだけに非常に勿体ない。たとえば、こんな感じにしてみると、マルディさんの言いたいこととは違うかもしれませんが、少しだけ日記的な短歌から抜け出せると思いません?“『腕(ブラ)一本』1月2日の初夢”が醒めないわたし嵌(は)められている?ちなみに、「ブラ」って一体何か分からなかったんですが、おそらく"bras"のことですよね。。。
2009/11/07 22:30

青木さんのコメント...
昨日投稿した後に思ったのですが、
“『腕(ブラ)一本』1月2日の初夢”を見ているうちに夜となりぬ
このくらいシンプルでもいいかもしれません。こっちの方がはじめの言葉のおもしろさが生きるかも。
2009/11/08 8:05

マナ子さんのコメント...
こんにちは、投稿します。またどうも陰気になってしまいました。
痛いのか憎いか辛いか悲しいか七十回目の死を死ぬ勇者
暇潰し流れて生きれば幾年か(早く人間になりたい!!)
ほの暗き臭気冷気のみ覚えおり休み時間の便所太宰の
(小説の内容は忘れました)
おかあさん父祖母弟友あなた 喜ばせたし傷つけたくなし
くたびれて愛する人の多きことに 夜道呟く「誰がわかるものか」
ちぢこまる幼虫がいる冬の流し 湯気をそちらに扇いであげよう
網戸なし暖冷房なし風呂もなし“貧乏ごっこ”のつもりで住めばよし
2009/11/08 12:52

マルディさんのコメント...
マナ子さん、6首目素敵です。瞬間的母性を感じます。あと3首目は、そのマナ子さんの姿を太宰がどんな顔で天から見ていたかと想像すると第三者である私としては可笑しくなり、この歌も好きです。
青木さん、またまた鋭いご指摘です。まだ日記(記録)的なのは、写真に原因があるのかもしれません。ある写真から引き出された記憶をもとに作ったので。
“『腕(ブラ)一本』1月2日の初夢”を見ているうちに夜となりぬ
このシンプルさいいですね。私ももうひと頑張りしてみました。
“『腕(ブラ)一本』1月2日の初夢”で失くした午後フィルムに残れり
鈴木さんの3首目「すみ」か「余白」かですが、私は「すみ」派です。余白だと少々堂々としすぎかと。こっそり行われた行為に潜むエゴに重点を置いたのかと思いました。
2009/11/08 20:03

礒部さんのコメント...
お久しぶりです、いそべです。今週は「電車」をテーマに考えてみた歌のなかから、いくつか後半に選んでみました。毎回、どの歌を投稿すればよいかとても悩みます・・・。
日が暮れて窓の外には寒空に響く子どもの「バイバイ」の声
夕暮れの街をせわしく交差する散りばめられたマフラーの色
口開けた通学かばんからのぞくふくらみ過ぎた赤い筆箱
終点の駅で降りゆく乗客を幾度見送る置き去りの傘
帰り道電車のなかで分けあった白いイヤホン片耳の音
君のこと忘れたくない忘れたい 触れてはならぬかさぶたのよう
電車から降りるあなたの背を見つつやさしく塗ったリップクリーム
2009/11/08 21:45

爆裂カレーライスさんのコメント...
電鉄の中で開いた携帯の首がぽろんと落ちてしもうた
「市川 という名字の人間は人を引っ張る力があるぜ」
2009/11/09 21:16

鈴木有さんのコメント...
青木さん。まずはじめに、文体にまた変化を感じました。気のせいかな、どんどん女の子っぽくなっているような、青木さんの中で女性化が進んでいるのかもしれません。短歌をつくるひとは、女性的な男性が多いということを、『現代詩としての短歌 (石井辰彦さん)』という本で読みました。それで、納得しました。だから、いい傾向なのかな、でも青木さんのばあいは、うーん、どうなんだろ、青木さんは、男っぽさの割合が、大きいほうがいいとおもいます。ぼくもそうです。それで、今回の短歌は「折衷主義」を感じすぎてしまったのです。批判されにくいけど目立たない短歌といえます。もうちょっと崩している、ぼくは青木さんの踊りを感じる短歌をみてみたいです。それから、青木さん。マルディさんは、興味深いことに興味があるんです。マルディさんの短歌をみて、なんなんだろうこれは、と思うのは、ぼくとか青木さんとか駿河せんせいとかが、興味深いと思うことに興味を持っているからです。偉そうに言うけど、やっぱり、現在の自分が興味深くなっていることを短歌にすると強いです。興味深いひとのことを短歌にすると、相聞歌になります。相聞歌の達人は、だいたいが、片思いの達人なんです。僕は今、大学の非常勤教師に明らかな片思いをしていて、気がついたときには、一首できていました。
マルディさん。4首目。きみの顔が、堀江敏幸に似ているのだとおもいました。10月11日の短歌の「岸辺四郎」といい、今回の堀江敏幸といい、マルディさんは、テレビにでてる有名人を短歌のなかに、うまく入れられる人だということが分かりました。“『腕(ブラ)一本』1月2日の初夢”で失くした午後フィルムに残れりあと、これいいね。この不気味さは快感になります。夢でなくした腕が、フィルムに残ってるっていうのが、すごい夢だなあ。ブラっていうのもいい。腕ってぶらぶらしているし、腕を一本だけぶらぶらさせている夢なのかなとおもいました。夢かあ、ぼくはきょうは、どこかを歩いていて、会うひとすべてにいじめられるという、いやな夢をみました。ぜんいん、じぶんの知っているひとで、恐ろしかったです。青木さん、メルディさん。3つめの短歌の感想、青木さんのはひじょうに的を射ていて、心を射られたとおもいました。射られました。マルディさんのは、エゴか、「こっそり行われた行為にひそむエゴ」かすごい考えかただなとおもいました。新しい発見です。ただ、この短歌、じつは、小・中・高と授業のときに立方体ばかり書いてたノートのすみに(小・中・高・大 授業のときに立方体ばかり書いてたノートの余白に)の書き写し間違えでした。ぼくの3つめの書きこみの2行目では、「と」が入っているのに、最後から2行前では「と」が抜けているんです。小・中・高 授業のときに立方体ばかり書いてたノートのすみに(小・中・高・大 授業のときに立方体ばかり書いてたノートの余白に)でも、マルディさんのコメントを読んで、「と」がないほうがいいかも、とおもいました。「と」があると焦点がぼやけてしまうことも、その理由です。だけれども、「と」がないのは、閉じられてしまっている感じがします。ぼくは、社会的な短歌をつくりたいとおもっています。ぼくの実際の自分の動きは、社会的でないことが多いからです。(社会的でないから、いま留年をしてて、6年生になってる)社会的な短歌とは、究極は、自殺を食い止めることが出来る短歌のことです。あと、短歌という木のためになる短歌も、社会的な短歌になります。開かれている短歌が、すべて社会的な短歌になってるとはいえません。でも、閉じられている短歌は、社会的でないほうが実感として多い気がしています。
「と」がないほうが焦点がぼやけません。結果、推測と想像がしやすくなります。しかし、読むひとは、一瞬、落ち込むひとが多いだろうなとおもいます。一瞬、落ち込んだあとに、あとで元気になれればいいんだけど、そういう短歌に、はたしてなっているのか。なってない気がしますね。だから、この短歌は、「と」が、あったほうが良いとおもいます。でも、これはあくまでもぼくの基準です。
礒部さん。3首目、ふくらみすぎた筆箱が破裂するのが、脳裏に浮かびました。5首目、だれと分けあったのだろうと思ったけれど、冷静に考えて、同い年くらいの男性だと思いました。7首目、これはつまり、電車のなかでリップクリームをぬったということです。ぼくの関心は、なぜ「あなた」が降りたあとに、リップクリームをぬったのかということです。リップクリームはくちびるがかわいたときにぬります。おそらく、同い年くらいの男性と話しているときには、失礼だとおもって、リップクリームをぬらなかったのだとおもいます。あ、やさしく塗ったのか、そうか「やさしく塗った」という情報は、重要です。重要でかつ魅力的です。

14 件のコメント:

  1. (マルディさんの11/13のコメントが「投稿作品3」のほうに寄せられていたので、見やすいように、こちらにも転載しておきました。by藤原夏家)

    磯部さん、授業中7首目の「やさしく塗った」という
    表現についてこだわりすぎてしまって、ごめんなさい。
    あれからもリップクリームを塗るたびに、
    この歌のことを考えています。
    私は、自分がこの歌から感じた想いが「やさしく塗った」と
    することで限定されてしまったように思えて、それが
    とてももどかしかったのです。
    でも、今日ヨガの瞑想中に
    鈴木さんのコメントにもあるように
    作者にとって「やさしく」が最も重要なポイントなのかも、
    と思い至りました。
    だとしたら、私の発言は少しこころなかったと、反省しています。

    爆裂カレーライスさん、

    「市川 という名字の人間は人を引っ張る力があるぜ」

    会話がぽんっと抜き出されると、不思議な感じがします。
    どういう状況だったんだろう?と色々考えると楽しい。
    さらに、対応に困ってしまうような内容だというところが
    魅力的だと思いました。
    吉田戦車の『伝染るんです。』に、先輩が後輩に
    「ベランダってイタリア人の胸がでかい女の名前みたいだな」と
    言う作品があるんですが、それを思い出しました。

    2009/11/13 13:25

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  2. マルディさん。
    コメントありがとうございます。

    私自身、そこまで深い意味をこめて作りこんだ歌ではなかったので、
    マルディさんの意見を聞いて考えさせられました。
    実は、「やさしくなぞる」と迷った上で、最終的に「やさしく塗った」を選択したのですが、
    「塗った」だと、確かに限定された意味のような気がします。
    でも、リップクリームを「なぞる」とは言わないですよね。
    だんだん私ももどかしくなってきました・・・。

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  3. 投稿しまーす。


    冬凍る!きゅんきゅん甘い鉄橋で‘I love you’をネコたちが叫ぶ

    恋の歌だって歌えない僕らでも百人そろえば奇跡は起こる?

    情けない三桁台の死をぬけて恋の聖士(まだ生きている!)

    虹色の鱗(うろこ)がキラキラ美しい君にあげたい恋スルチカラ

    気がつけば濡れることなどへっちゃらで 夕立の中まりあを連れて

    ほらaikoが歌っているよ木の上で(きっと僕のためなのだろう)

    ○今朝の君
    ・笑った数:5
    ・寝た数:2
    ・僕を見た数:2かたぶん3

    一瞬でつめたい水を浴びきって君のほっぺをつねりに行こう

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  4. 今気づいたのですが、先週の磯部さんの歌は、7首中6首が体言止めって言うんでしたっけ、名詞で終わってるんですよね。体言止めの季節なのかもしれません。

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  5. うぐいすです。
    銀杏ももう落ちていないですね。
    ひどい歌ながら投稿いたします。

    暖房のめっきり恋しき朝夕は冬の到来吾に知らしむ

    銀杏の匂ひ好まぬ君なれど暮らしの糧と拾ひ歩けり

    儚くも紅葉といふ退廃は朽ちてゆくたび艶めきを増す

    色づいて妖しく踊るイチョウの葉 秋の遺言その身で奏で

    「北風と太陽」寓話思ひ出す十一月の日陰と日向

    返信削除
  6.  大沼です。
     青木さんの、

    ○今朝の君
    ・笑った数:5
    ・寝た数:2
    ・僕を見た数:2かたぶん3
     
     が個人的にとても好きです。じつは前期にも、2ちゃんねる風の書き込みをそのまま抜き出して短歌にするという試みをやった人がいたんですが、そういう型破りで自由な作品がもっとあってもいいんじゃないかと俺は思います。この箇条書きは、さらに「君」と「僕」との微妙な関係性を描いているという点で、単なる衒いに終わっていないのが面白い。正直「やられたなあ」という感じです。
     では、久しぶりの投稿を。拙詠ばっかで堪らん。
     
      恋愛の「でも」に寄せるうた七首
      
     君からの一通目がきたら明日は俺から送っていい免罪符
     
    「恋愛て変な字だよねでも読者(ひと)の目を引くんだよ」編集会議
     
     昨年のイヴに当時の恋人と行った銭湯が理想体重
     
     どうせ湯は別々なんだし独りでも今年も行ってみようか銭湯
     
     アイポッド爆音で聴くと時々ねステレオがウザくなる時々ね
     
     草食系男子が好きと言う君は森ガールゆえ去勢された僕
     
     昨年のスキニー履いたら履けちゃってまだいけるでも去勢された僕

    返信削除
  7. こんばんは。
    初めて投稿しますがこちらでよろしいでしょうか?耳野です。実は先週はじめて授業に出たのですが、面白い!ぜひ参加させてください。拙作ですがどうぞよろしくお願いします。

    今回はちょっとした自己体験 的なものを連作にしてみましたので投稿します。


    連作・アンダー・ザ・レッドライト

    札二枚忍ばせ浮き足覚束ず向くは赤き灯照らす異番地

    箔入りし朱塗りの箸もペン軸も暗燈下では濡羽烏なり

    暗橙の灯下で煙草更かしたるあの子もその子も影は歪物

    彩声に囃され捻り出す万札見栄切る我の擦り切れ財布

    赤燈の許に握りし白柔きその手に黒き血透けて見えたり

    二十二の赤貧の描く愛などは薄紅桜と老人が云う

    歪影に追われつ赤燈商店街逃亡疾走走馬灯のごと


    うつくしき魑魅の棲む赤燈商店街
    硬貨ひとつをひしと握りて
    ぼくはウットリと青冷めていた
    凛と鳴る冬の夜だった

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  8. 季節柄か恋の歌が多いですね。
    それぞれ違った風情で面白いです。

    今回はできるだけきれいな言葉や楽しい気持ちを入れようと思いました…が、いまいち成らずでした。


    野良猫とお好み焼きパンわけて食べ また明日も会えたらいいね

    雨の夜は窓を開け寝る雨の音溺れる夢を見られるだろか

    誘惑が色とりどりの図書館で今日出会ったはイッパイアッテナ
    (そういう名前の絵本のキャラクターです)

    五股かよ!変わらずクズだねと笑えたり 別れてよかった元彼今友
    (むしろ仲良く)

    カメレオンカツヲノエボシカナダガンくちに出したいカツヲブシムシ
    (「ぶしむし」とか言いたいだけです)

    新しい病名もらって強気なるいたわれいたわれ鬱病様だぞ

    返信削除
  9. こんばんは。

    マナ子さん、とても楽しそうな感じ、伝わってきます。


    Rのためにきみが喉鳴らすたびに齧りたくなるそこの林檎を

    人知れず太宰の墓にくちづける乙女のすがた茉莉が見ている

    熱帯びるポケットの中握る鍵(キー)集約される今日の出来事

    ただきみに五感捧げて果つ日々はまひるまにみるゆめに似ている

    結婚の終始綯い交ぜ神無月黒紅白のお式があった

    夕方は家庭の匂い嫌だわと言うお姉さまの手がきれい

    返信削除
  10. マナ子さんとマルディさんのにコメントしようと思ったのですが、長くなりそうなので授業で口頭で言うことにします。

    >大沼くん
    そうそう!まさにその関係性が見えてるということろを読み取ってもらえて嬉しいです☆

    返信削除
  11. こんばんは。
    青木さんからのご指摘があったので、今回は体言止めではない歌を選んでみました。
    テーマはまとまっていませんが、恋の歌が多いのかもしれません。


    居酒屋の忘年会の旗揺れる忘れたくない年もあるのに

    すこし前最年少と言われてた選手を今はベテランと呼び

    手を振るといつも後ろを確かめる 探してたのは君のことです

    私より高いところのつり革をつかむその手に触れてみたくて

    地下鉄の窓を見つめる人々は黒い景色に何を見るのか

    手を伸ばし耳からそっと取る眼鏡 触れないように起こさぬように

    ぴかぴかと点滅してる信号は君といる日は「止まれ」に変わる

    返信削除
  12. 爆裂カレーライス2009年11月17日 7:15

    マルディさん。
    返事がおそくなりましたが、
    感想を書いてくれて、ありがとうございました。

    『伝染るんです。』

    これが、これが、いいです。嬉しいです。
    マルディさんが、このだいめいを書くことは、
    不思議な調和をつくりだすと思ったからです。

    あと、さいしょ「うつるんです。」って読んでいたんだけど、
    うつるんです、は、写真のCMだなとおもって、
    「でんせんするんです。」って読むのかなとおもったけど、
    そりゃあないだろうなあ、とおもって「うつるんです。」と
    読むことにきめました。

    耳野さん。
    はじめ、忍者みたいなひとだとおもいました。
    でも、読んでると、

    彩声に囃され捻り出す万札見栄切る我の擦り切れ財布

    とあって、忍者はそんなことしないなと思いました。

    なんだろう、1首目で、飲みかいのために、
    居酒屋に向かって、最後の短歌で、
    居酒屋から逃げるんだとおもいました。

    札二枚忍ばせ浮き足覚束ず向くは赤き灯照らす異番地

    札二枚は、1000円札かとおもったけれど、
    2000円だけだと居酒屋ではお金をはらえなくなるとおもいます。
    だから、一万円札を2枚持っていったんだとおもいました。

    「浮き足覚束ず」

    ふわふわしながら、歩いてるんだとおもいました。
    それで、赤き灯だから、夜の新宿の歌舞伎町とか
    そのへんなのかなとおもいました。異番地というのは、
    じぶんが住んでいる家の番地とは異なるという意味だから、
    電車を使わずに、歩いていったんだとおもいました。ああ、
    なんとなく、浅草あたりかもしれないとおもいました。

    箔入りし朱塗りの箸もペン軸も暗燈下では濡羽烏なり

    暗い居酒屋っていう感じがします。濡羽烏って、
    そういう名前のカラスがいるのかな、とおもって
    調べたら、Wikipediaに「濡れ烏(ぬれからす)とは女性の髪の色彩を形容する言葉。」と
    出てきました。その後に、濡れ烏も、濡羽鳥も、カラスの黒と関係がある言葉だと知りました。
    とにかくぼくは、「濡羽烏なり」がひじょうに良い結句だと思ったのです。

    「朱塗りの箸」と「ペン軸」は、共に箔入りをされているんだとおもいました。
    (箔入りって、なんだっけっておもって、箔でしらべたら、
    gooの辞書で「金属をたたいて薄くのばしたもの。金箔・銀箔など。」と出てきた。)

    ペン軸は、ペンのすーって長くなっているところ、
    持つところをいうのかな、っておもいながら、
    また、調べたら、はてなキーワードに、
    「ペン軸 - コミック用画材のひとつ。
    つけペンの軸になる部品で、先端にペン先を差して用いる。 」

    と出てきました。ここまでやって、
    耳野さんの短歌は調べれば調べるほど、
    面白さが増す短歌だとおもいました。

    居酒屋にマンガ家がいたのか、とか、
    それとも、マンガ家志望のいるひとがいたのか、とか、
    箔入りだから、豪華な居酒屋だったのかなとかおもいました。

    濡羽烏のことだけど、こりゃあいいや。
    箸もペン軸に、容易な言葉ですが、美しさを感じたんだと思います。
    ふつうは、濡羽烏は、女性の黒髪にいう言葉みたいだけど、それを
    箸とペン軸にたいして言ったことに、嬉しさを感じてしまいました。


    暗橙の灯下で煙草更かしたるあの子もその子も影は歪物

    耳野さんの短歌は、ストーリを感じます。
    歪物、さいしょ、わいぶつって、読んでいて、なんだろう、
    なんて読むんだろうとおもって、またGoogleで検索をしていたら、
    ゆがみもの、と読むことがわかりました。それで、ゆがみものは、
    歪んでいる物体のことを言うのかとおもったけれど、歪んでいる音のことを
    いうのだとわかりました。「エルメイトギタークリニック by佐野先生」という
    へんなタイトルのブログから、歪み物についての引用をします。

    「歪み物と言いますと代表的な物でまずはディストーション、んでオーバードライブ、んでファズですね。

    どれもギターの音を無理やり歪ますという役割は同じなんですが、歪み方が中々に違ったりします。」

    ギターの音なんだって! でも、この短歌では、ギターの音だということまでは意味してないとおもいます。
    やっぱり、女性の影が、歪んでいる、影が歪んでいる、ということは、煙草更かしてる女性の顔は、
    ぎこちない感じというのか、なにか屈折がこめられている顔をしているんだとおもいました。

    彩声に囃され捻り出す万札見栄切る我の擦り切れ財布

    たぶん、あなたがお金を一番払ったんだとおもいます。
    見栄を切ったのは、耳野さんと擦り切れ財布の両方になるとおもいました。
    擦り切れ財布を天のほうに掲げながら、一万円札を風のように出す光景が眼に浮かびました。
    ちょっとかわいそうだけれど、堂々していて好感を持ちました。頑張り屋を感じ取りました。

    赤燈の許に握りし白柔きその手に黒き血透けて見えたり

    血管を見たということでしょう。しかし、この短歌には、
    「血管を見た」というだけでは済まされないものがあります。
    たぶん、女だ。女の血管をみたんだとおもいます。「白柔き」というのは、
    男性の手ではなく、女性の手を表すのにふさわしいとおもったからです。
    うん、でも、ちょっとこの短歌は、いまいちです。白、黒、という対比、
    黒、のあとに血が来るというのは、常套的なやり方だと思うからです。

    しかしながら「赤燈の許に」っていうのは、たいしたものです。
    耳野さんは、江戸時代を感じる色を上手に使えるところとかすごいです。
    忍者ってさいしょに書いたけれど、耳野という名前からも忍者を感じることができます。

    二十二の赤貧の描く愛などは薄紅桜と老人が云う

    色から触発されて、短歌をつくっているとおもいました。そういうことにさせてもらうと、
    赤貧→薄紅桜、は、面白い触発です。ぼくだったら、赤貧っていう言葉を使おうとしないし
    使おうとしても、薄紅桜が浮かんでくることはないからです。しかし、色から触発されて
    短歌をつくる方法があるのか、ということを耳野さんの連作から学ばせてもらいました。
    ぼくも、その方法を使うこと出来ると思うので、使ってみようとおもいます。

    それで、なんだろう、たぶん、老人は「作者が赤貧である」いうことを知らないんじゃないかとおもいました。
    「赤貧の」というのは、老人が言ったことではなくて、作者の自分に対する立場・評価だとおもいます。
    たぶん、実際は、「二十二歳のやつが描く愛なんて、弱いです」ということを、
    年上の人から、いわれたんだとおもいました。でも、赤貧、ということを、一番に訴えたかったのでしょう。
    この短歌のなかでも、年上の人にたいしても。


    歪影に追われつ赤燈商店街逃亡疾走走馬灯のごと


    歪影(いびつかげ)と読むということを、検索によって知りました。
    (なんで、検索ばかりしているのかというと、電子辞書がどこかに消えたからです。)

    これは、連作の流れから考えて、煙草更かしてる女性とか、老人とかの
    歪(いびつ)と思われるものから、逃走をしているんだとおもいました。
    また、忍者っていうんだけど、忍者のように赤燈商店街を
    素早く走っていく姿をイメージすることができました。

    塚本邦雄の短歌に、

    忍法夙流変移抜刀霞斬(にんぱふしゆくりうへんいばつたうかすみぎ)り 眼疾のはてにわが死はあらむ

    青嵐ばさと商店街地図に山川呉服店消し去らる

    という短歌があって(ぜんぶ、新字体表記だけれど…。塚本邦雄の表記通りにブログに書くのが無理で、
              部分的に旧字体にしようと思ったけれど、
              それだと威力が弱まるとおもって、全部新字体にしました。)

    耳野さんの短歌からは、この二首の短歌を思い出すことができました。
    誤解しないでほしいんですが、嫌味じゃありません。耳野さんの短歌をみて、
    この二首の短歌が、さらに記憶にのこって、耳野さんの短歌とつながりを持って、
    読むことができるようになった、ということです。


    うつくしき魑魅の棲む赤燈商店街
    硬貨ひとつをひしと握りて
    ぼくはウットリと青冷めていた
    凛と鳴る冬の夜だった


    この最後の詞書も実にたいしたもんだと思いました。
    硬貨ひとつ、は、ぼくは百円玉と思いたいです。
    一万円札を二枚もっていったのに、百円玉だけになってしまって、
    明日からどうやって暮らしていこう、寒いのに、という気持ちになりました。

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  13. 先週の日曜日に書いたものを、いまさらだけど投稿します。
    耳野さんの短歌がなかったら、投稿をしなかったと思います。

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  14. 今日、中学と高校のころの同窓会があって、ぼくは夜の12時30半に呼び出されて、
    あつまったひとに、じぶんの自信のある短歌を17首ぐらい、みせつけてやりました。
    ぜんぜんわからない、といわれました。9割ぐらいのひとに。
    でも、意図を汲み取ろうとしている気持ちは伝わってきて、ああたぶん、
    ほかのひとたちは、ぼくの意図を汲み取れる量が少ないんだなと思いました。
    ぼくの意図が10だとしたら、たぶん、0.1ぐらいしか、
    汲み取ってくれてないと思いました。もちろん、酔っ払っているひとたちに、
    みせたから、0.1になったというのもあります。しかし、じぶんが5年間かけて
    つくった短歌を17首ぐらいに厳選して、わからない、わからない、といわれまくるのは、
    やべえなあ、まいったなあ、と思うだけの理由になりました。

    それで、磯部さんの意図を汲み取れなかったマルディさんの苦しみを受けて、
    ぼくもね、ぼくもだ、磯辺さんの短歌の意図を汲み取ろうとする気持ちが、
    不十分であったということに気づかされました。

    ぼくはいまさらだけど、磯部さんの短歌の意図が10だとしたら、
    7ぐらい読みとることができる自信があります。それなのに、いままで3ぐらいしか
    読みとってなかった、とおもって、ひでえことをしちまってたと思いました。
    7、読みとったうえで、自分に都合のいい解釈をやるべきだったんです。

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