2009年10月22日木曜日

投稿作品3

 20日の授業で言い忘れましたが、27日は用事があって休講にします。
 20日に配布した投稿作品3のうち、コメントなどを省いた作品部分だけを下に載せておきます。「爆裂カレーライス」さんの分のみ、コメントを載せておきました。
 これらを印刷したプリントは、次回にも持ってきてください。もう少し検討しようと思います。11月3日も文化の日で休みですから、11月10日が次回ということになりますね。


◆投稿作品3 (10月20日までの分)◆

青木佑太
ふわり軽くキャッチコピーのように空一つ、飛行機がすべって消えた
空(くう)を見て天とは何か考えて吸い込んだ息は僕だけのもの
秋風にひと筆書きで書いた夢散るも散らぬもとるに足らない
寂しさや右も左も人だらけ浮世の友を今日も忘れる
疑えば疑うごとに深くなるホワイトシチューの味を夢見る
究極のカレーのレシピを裏返しねつ造する夜はウピピピ

マナ子
年老いた女というわけでいじめられる会社の中の憎悪と白髪
「頭おかしいよな」男二人の陰口は喉をえがらせ足でにじって
透風に金木犀の甘香乗る花房探して振り仰ぐと空
蜜柑あげは蝶幼虫緑やわさに並ぶ棘があやうい
夏トカゲゴキブリわたしムカデクモ皆雄がおりまぐわう四畳
我知らずウッチャンナンチャン好きな友をセンスの無い奴と見下してゐる
「電車の中では話しかけないで」制服少女と「はいはい」と母

礒部真実子
沸き上がるやかんの湯気が白くなる ひと足早く知る冬の色
温かいスープの缶を包み込むその指先が触れる北風
眠くても眠くなくても寄りかかる人が隣にいる冬の夜
サボテンを枯らしてしまう私でもできるのかしら 恋というのは
近寄って初めて気づく先生の黒い眼鏡のレンズの厚み
背中から少しはみ出たランドセル背負う子どもの振り向く笑顔

うぐいす
ダイエットさらさらする気はないけれど今日も今日とてバナナ一本
太極拳無駄な動きを省きをりリラックスして呼吸をつなぐ
軽妙にうつす重心運ぶ足慣れとは言うがたやすくはなく

クロ
だれもいない私の人生生きた人できるできないやるのは私

マルディ
アスファルト埋まるオレンジの粒を見る 俯いている自分に気づく
カミーユが得意気に聞く教室で愛人の名は?「Elle s'appelle Camille(エルサペルカミーユ)」
美しき「受胎告知」が現前し 名前を、と男はつぶやいた
おめでとう、自分の声が耳に入って 受胎はやはり祝福と知る
哲人の墓地巡り楽し秋の夜『哲学者たちの死に方』今日はニーチェ

爆裂カレーライス(コメントのみ)
ある理由から4日間、パソコンが家からなくなってしまって、書き込むことをしませんでした。
ああ、一週間まえのことを、書かせてもらいます。
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授業中に鈴木さんが言ってた「短歌では自意識が武器になる」という言葉が、印象にのこりました。しかし、ぼくからいわせてもらえば、自意識は毒にもなります。ピカソはこんな言葉をのこしています。「最後は、愛しかない。だが、それはどのようにして可能であろう。鶸(ヒハ)がもっとも美しい声でさえずるためにそうするように画家の目もつぶされるべきなのだ」(訳者不明、「絵画の見方」という授業で知った言葉、、、)短歌の場合、「画家の目」というのは、作者の自意識になります。(自意識というのは、短歌をつくるまえの自分の中の意識のことです。それから、短歌を通して、じぶんが人からどのようにみられたいのか、というのも自意識になります。)ぼくは、短歌で愛で実現するためには、自意識を抑制することが不可欠であると考えています。国の法律によって、個人の自意識の抑制がされているように、短歌をつくるひとは、定型によって自意識を抑制することができます。定型によって、言葉を選ばされたり、内容を変えさせられたりするからです。(倫理的なものも、定型にはある気がします。)あと、古語を使うことによっても、自意識を抑制することができます。なにが言いたいのかというと、自意識が強烈なひとほど、自意識を抑えることが必要だ、ということです。定型と自意識の葛藤の間で、良い短歌は生まれるからです。だから、短歌をつくるひとは、抑制が必要になるほどの自意識を持っていることは得なのではないか、とおもいます。

北寺瀬一
カッターシャツ開いた襟ぐり伝う汗項鎖骨肋骨その先
君からは聞きたくなかったそんな告白「明日の学祭までに俺は忘れる」
後悔は今更だって身に染みる十月の夜は思いの外冷える
火曜五限倫理のテーマは「愛について」ねぇ先生なら答えくれるの?
屋上給水タンクの影に隠されたい君と誰かが永遠の十七才

18 件のコメント:

  1. さりげなく投稿。。。



    雨の音ひとつぶひとつぶ連なって減三和音がひびく午後の末

    雨止んで雀がにわかに鳴くころに待ち人はふと来るのだろうか

    夕焼けの色がそのたび違うこと誰にも言わずにひっそりと見る

    雑踏のひときわ大きな声の主にも聞こえている日の暮れる音

    外灯の明かりに吸いよせられて来た子どもたちの言う未来完了

    ごめんねを言われてもごめん分からないそのときの気持ち忘れたから

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  2. 図書館を出たら、台風で、家に帰れなくなりました。
    石焼きビビンバを食べ終わるころには、台風がしずまってると思いました。
    食べ終えたときには本当に静まっていて、びっくりしました。

    ぼくは、帰ろうとおもって、レジに向かってたら、
    サイフにお金がほぼ入っていないことに気づきました。
    気づいてすぐに「あ」と叫びごえを店内で上げました。
    この発声の結果、中国人の日本語がしゃべれる店員さんは、
    「イイヨイイヨ、ツギキタトキデ」と、僕が払わなければ
    いけない850円の問題について話しました。ぼくはアッと思って、
    そういえば、このお店は、ぼくのアルバイト先の面接官だった
    神田(カンダ)さんが、お金がない状態でなにかを食べて、そのまま払わなかった、と
    ぼくに伝えてきたお店であることを思い出しました。神田さん(カンダさん)は、
    今年の11月に横浜のコンチネンタルホテルで、(はじめ、名前を聞き間違えて、
    「センチメンタルホテルですか」と聞き返したら「センチメンタルじゃ、
    そんな、センチメンタルじゃ……」と言っていた)結っこん式を
    上げることになっていて、その式場で、ぼくは、祝祭の短歌を、
    2首読みあげることになっているのです。来週の短歌です。

    図書館を出たらすんげえ台風で石焼きビビンバ食べに行くのだ

    小野小町で浮かべるものはなんですか ぼくは「遣唐使」と答えけり

    小・中・高・大 授業のときに立方体ばかり書いてたノートの余白に

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  3. >>自分にたいして。

    いちばん上の3行、削除したほうがよかったな、残念。

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  4. うぐいすです。
    新型インフルエンザに罹りましたが、タミフルのおかげで早く治りました。
    風邪をひき分かる自分の脆弱さ元気のないのは心の方だ

    誘われてまんまと罹るインフルの猛威をしばし抑えよタミフル

    熱が引きふしぶし痛む関節も徐々にやわらぎ咳も落ち着く


    ○木も草も生きる力に前向きで愚痴も言わずに育っていく

    ○爽秋の胸張る空に白い雲銀杏並木ゆるりとすすむ

    ○ラッシュアワー三ヶ国語が軋みあい談話が走り文化が揺れる
    (西武線の混雑時、仏語に英語に韓国語が飛び交っていました)

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  5. ごめんなさい。3回も続けて投稿してしまって。
    ものすごくいけないことをしている気がします。

    3首目の短歌を、

    小・中・高と授業のときに立方体ばかり書いてたノートのすみに
    (小・中・高・大 授業のときに立方体ばかり書いてたノートの余白に)

    と変えたくて、今、書き込んでいます。ずるいけれども、自分のために、
    いままで書いた修正を当てはめて、もういちど最初から書かせてもらいます。
    (もう、いくらなんでも、来週の火曜日まで、書き込みません。)

                 ☆

    ぼくは、帰ろうとおもって、レジに向かってたら、
    サイフにお金がほぼ入っていないことに気づきました。
    気づいてすぐに「あ」と叫びごえを店内で上げました。
    この発声の結果、中国人の日本語がしゃべれる店員さんは、
    「イイヨイイヨ、ツギキタトキデ」と、僕が払わなければ
    いけない850円の問題について話しました。ぼくはアッと思って、
    そういえば、このお店は、ぼくのアルバイト先の面接官だった
    神田(カンダ)さんが、お金がない状態でなにかを食べて、そのまま払わなかった、と
    ぼくに伝えてきたお店であることを思い出しました。神田さん(カンダさん)は、
    今年の11月に横浜のコンチネンタルホテルで、(はじめ、名前を聞き間違えて、
    「センチメンタルホテルですか」と聞き返したら「センチメンタルじゃ、
    そんな、センチメンタルじゃ……」と言っていた)結っこん式を
    上げることになっていて、その式場で、ぼくは、祝祭の短歌を、
    2首読みあげることになっているのです。来週の短歌です。

    図書館を出たらすんげえ台風で石焼きビビンバ食べに行くのだ

    小野小町で浮かべるものはなんですか ぼくは「遣唐使」と答えけり

    小・中・高 授業のときに立方体ばかり書いてたノートのすみに
    (小・中・高・大 授業のときに立方体ばかり書いてたノートの余白に)

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  6. こんにちは。お久しぶりです。

    ベランダにのびるその枝百日紅(さるすべり)哀れくすんだ花を残して

    示された番地丸めてそのままの冬のコートを奥よりいだす

    カンパーニュ・プルミエール通りうろつけばフジタ?マン・レイ?住みびとが問う

    どのようにここに居たのか我がきみの代替にする堀江敏幸

    抱えた本に胸痛くなる箇所あって気付けば部屋に闇が来ており

    ひらひらと舞い散る木の葉記憶にも言葉にもなり吾を惑わす

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  7. >示された番地丸めてそのままの冬のコートを奥よりいだす

    寒くなってきて、冬のコートを出したら、なにやら前の冬に入れたままになっていたらしい紙が入っていた、という歌ですよね?これがわりと良いかなと思いました。

    「わりと」良いと書いたのは、下の句の「冬のコートを奥よりいだす」がもう少し何かならないかな、と一瞬思ったからです。はじめの「示された番地丸めてそのままの」が結構おもしろいなと思って、下の句読んだら意外と普通だった、、、みたいな。。

    でもよく読んでみると、これはこのままシンプルで良いような気もしてきます。「示された番地」から喚起される想像をどこまで広げるのか、広げないのかですよね。

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  8. >抱えた本に胸痛くなる箇所あって気付けば部屋に闇が来ており

    逆に、これはあまり良くないと思います。まず、「抱えた本に胸痛くなる箇所あって」が説明的。そして、「部屋に闇が来て」という表現は、いかにも詩っぽい感じがしますが、あくまで「いかにも詩っぽい」だけで、実際はとても陳腐なような気がします。だから、この歌には、あまり「詩」を感じることができません。

    マルディさんは、言葉のチョイスになかなか他の人には持ってないおもしろさがあることが多いので、とてもおもしろい作品が作れそうな気がします。

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  9. >小・中・高 授業のときに立方体ばかり書いてたノートのすみに
    (小・中・高・大 授業のときに立方体ばかり書いてたノートの余白に)

    僕は、これは「余白」の方が良いような気がします。すみと余白では意味が異なりますが、余白の方が読み手の想像力が広がるのでは?あとは、「ノートのすみ」という表現自体にあまりおもしろみがないというのもあるかもしれません。

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  10. 青木さん、ありがとう。
    5首目(と6首目)は自分でもちょっと嫌でした。
    私は歌に固有名詞を使いすぎていることを気にしていて、
    それをどうにか回避してみたらこの有様です。
    5首目、がらっと変えました。

    “『腕(ブラ)一本』1月2日の初夢”に吸われた午後の手写して遊ぶ
    (藤田嗣治『腕一本・巴里の横顔』講談社文芸文庫、2005年、246p)

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  11. >“『腕(ブラ)一本』1月2日の初夢”に吸われた午後の手写して遊ぶ

    そうそう、こういう言葉の使い方がマルディさんらしい!でも、読むとまだ、日記的というか、本を読んで午後をつぶしましたというのをそれっぽく言い換えただけになってると思います。この言葉でおもしろい一首が作れそうなだけに非常に勿体ない。

    たとえば、こんな感じにしてみると、マルディさんの言いたいこととは違うかもしれませんが、少しだけ日記的な短歌から抜け出せると思いません?

    “『腕(ブラ)一本』1月2日の初夢”が醒めないわたし嵌(は)められている?


    ちなみに、「ブラ」って一体何か分からなかったんですが、おそらく"bras"のことですよね。。。

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  12. 昨日投稿した後に思ったのですが、

    “『腕(ブラ)一本』1月2日の初夢”を見ているうちに夜となりぬ

    このくらいシンプルでもいいかもしれません。こっちの方がはじめの言葉のおもしろさが生きるかも。

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  13. こんにちは、投稿します。
    またどうも陰気になってしまいました。

    痛いのか憎いか辛いか悲しいか七十回目の死を死ぬ勇者

    暇潰し流れて生きれば幾年か(早く人間になりたい!!)

    ほの暗き臭気冷気のみ覚えおり休み時間の便所太宰の
    (小説の内容は忘れました)

    おかあさん父祖母弟友あなた 喜ばせたし傷つけたくなし

    くたびれて愛する人の多きことに 夜道呟く「誰がわかるものか」

    ちぢこまる幼虫がいる冬の流し 湯気をそちらに扇いであげよう

    網戸なし暖冷房なし風呂もなし“貧乏ごっこ”のつもりで住めばよし

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  14. マナ子さん、6首目素敵です。瞬間的母性を感じます。
    あと3首目は、そのマナ子さんの姿を太宰がどんな顔で
    天から見ていたかと想像すると第三者である私としては
    可笑しくなり、この歌も好きです。

    青木さん、またまた鋭いご指摘です。
    まだ日記(記録)的なのは、写真に原因があるのかもしれません。
    ある写真から引き出された記憶をもとに作ったので。

    “『腕(ブラ)一本』1月2日の初夢”を見ているうちに夜となりぬ

    このシンプルさいいですね。私ももうひと頑張りしてみました。

    “『腕(ブラ)一本』1月2日の初夢”で失くした午後フィルムに残れり


    鈴木さんの3首目「すみ」か「余白」かですが、私は「すみ」派です。
    余白だと少々堂々としすぎかと。こっそり行われた行為に潜むエゴに重点を置いたのかと思いました。

    返信削除
  15. お久しぶりです、いそべです。
    今週は「電車」をテーマに考えてみた歌のなかから、いくつか後半に選んでみました。
    毎回、どの歌を投稿すればよいかとても悩みます・・・。


    日が暮れて窓の外には寒空に響く子どもの「バイバイ」の声

    夕暮れの街をせわしく交差する散りばめられたマフラーの色

    口開けた通学かばんからのぞくふくらみ過ぎた赤い筆箱

    終点の駅で降りゆく乗客を幾度見送る置き去りの傘

    帰り道電車のなかで分けあった白いイヤホン片耳の音

    君のこと忘れたくない忘れたい 触れてはならぬかさぶたのよう

    電車から降りるあなたの背を見つつやさしく塗ったリップクリーム

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  16. 爆裂カレーライス2009年11月9日 21:16

    電鉄の中で開いた携帯の首がぽろんと落ちてしもうた

    「市川 という名字の人間は人を引っ張る力があるぜ」

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  17. 青木さん。

    まずはじめに、文体にまた変化を感じました。
    気のせいかな、どんどん女の子っぽくなっているような、
    青木さんの中で女性化が進んでいるのかもしれません。
    短歌をつくるひとは、女性的な男性が多いということを、
    『現代詩としての短歌 (石井辰彦さん)』という本で読みました。
    それで、納得しました。だから、いい傾向なのかな、
    でも青木さんのばあいは、うーん、どうなんだろ、青木さんは、
    男っぽさの割合が、大きいほうがいいとおもいます。ぼくもそうです。

    それで、今回の短歌は「折衷主義」を感じすぎてしまったのです。
    批判されにくいけど目立たない短歌といえます。
    もうちょっと崩している、ぼくは青木さんの
    踊りを感じる短歌をみてみたいです。

    それから、青木さん。マルディさんは、興味深いことに興味があるんです。
    マルディさんの短歌をみて、なんなんだろうこれは、と思うのは、
    ぼくとか青木さんとか駿河せんせいとかが、興味深いと思うことに
    興味を持っているからです。偉そうに言うけど、やっぱり、
    現在の自分が興味深くなっていることを短歌にすると強いです。
    興味深いひとのことを短歌にすると、相聞歌になります。
    相聞歌の達人は、だいたいが、片思いの達人なんです。
    僕は今、大学の非常勤教師に明らかな片思いをしていて、
    気がついたときには、一首できていました。


    マルディさん。

    4首目。
    きみの顔が、堀江敏幸に似ているのだとおもいました。
    10月11日の短歌の「岸辺四郎」といい、今回の堀江敏幸といい、
    マルディさんは、テレビにでてる有名人を短歌のなかに、
    うまく入れられる人だということが分かりました。

    “『腕(ブラ)一本』1月2日の初夢”で失くした午後フィルムに残れり

    あと、これいいね。この不気味さは快感になります。
    夢でなくした腕が、フィルムに残ってるっていうのが、
    すごい夢だなあ。ブラっていうのもいい。腕ってぶらぶらしているし、
    腕を一本だけぶらぶらさせている夢なのかなとおもいました。
    夢かあ、ぼくはきょうは、どこかを歩いていて、
    会うひとすべてにいじめられるという、いやな夢をみました。
    ぜんいん、じぶんの知っているひとで、恐ろしかったです。


    青木さん、メルディさん。

    3つめの短歌の感想、青木さんのはひじょうに
    的を射ていて、心を射られたとおもいました。射られました。
    マルディさんのは、エゴか、「こっそり行われた行為にひそむエゴ」か
    すごい考えかただなとおもいました。新しい発見です。

    ただ、この短歌、じつは、

    小・中・高と授業のときに立方体ばかり書いてたノートのすみに
    (小・中・高・大 授業のときに立方体ばかり書いてたノートの余白に)

    の書き写し間違えでした。ぼくの3つめの書きこみの2行目では、
    「と」が入っているのに、最後から2行前では「と」が抜けているんです。

    小・中・高 授業のときに立方体ばかり書いてたノートのすみに
    (小・中・高・大 授業のときに立方体ばかり書いてたノートの余白に)

    でも、マルディさんのコメントを読んで、「と」がないほうがいいかも、と
    おもいました。「と」があると焦点がぼやけてしまうことも、その理由です。
    だけれども、「と」がないのは、閉じられてしまっている感じがします。

    ぼくは、社会的な短歌をつくりたいとおもっています。
    ぼくの実際の自分の動きは、社会的でないことが多いからです。
    (社会的でないから、いま留年をしてて、6年生になってる)

    社会的な短歌とは、究極は、自殺を食い止めることが出来る短歌のことです。
    あと、短歌という木のためになる短歌も、社会的な短歌になります。
    開かれている短歌が、すべて社会的な短歌になってるとはいえません。でも、
    閉じられている短歌は、社会的でないほうが実感として多い気がしています。

    「と」がないほうが焦点がぼやけません。結果、推測と想像がしやすくなります。
    しかし、読むひとは、一瞬、落ち込むひとが多いだろうなとおもいます。一瞬、
    落ち込んだあとに、あとで元気になれればいいんだけど、そういう短歌に、
    はたしてなっているのか。なってない気がしますね。だから、この短歌は、
    「と」が、あったほうが良いとおもいます。でも、これはあくまでもぼくの基準です。


    礒部さん。

    3首目
    ふくらみすぎた筆箱が破裂するのが、
    脳裏に浮かびました。

    5首目、
    だれと分けあったのだろうと思ったけれど、
    冷静に考えて、同い年くらいの男性だと思いました。

    7首目、
    これはつまり、電車のなかでリップクリームを
    ぬったということです。ぼくの関心は、
    なぜ「あなた」が降りたあとに、リップクリームを
    ぬったのかということです。リップクリームは
    くちびるがかわいたときにぬります。おそらく、
    同い年くらいの男性と話しているときには、
    失礼だとおもって、リップクリームを
    ぬらなかったのだとおもいます。

    あ、やさしく塗ったのか、そうか「やさしく塗った」
    という情報は、重要です。重要でかつ魅力的です。

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  18. 磯部さん、授業中7首目の「やさしく塗った」という
    表現についてこだわりすぎてしまって、ごめんなさい。
    あれからもリップクリームを塗るたびに、
    この歌のことを考えています。
    私は、自分がこの歌から感じた想いが「やさしく塗った」と
    することで限定されてしまったように思えて、それが
    とてももどかしかったのです。
    でも、今日ヨガの瞑想中に
    鈴木さんのコメントにもあるように
    作者にとって「やさしく」が最も重要なポイントなのかも、
    と思い至りました。
    だとしたら、私の発言は少しこころなかったと、反省しています。

    爆裂カレーライスさん、

    「市川 という名字の人間は人を引っ張る力があるぜ」

    会話がぽんっと抜き出されると、不思議な感じがします。
    どういう状況だったんだろう?と色々考えると楽しい。
    さらに、対応に困ってしまうような内容だというところが
    魅力的だと思いました。
    吉田戦車の『伝染るんです。』に、先輩が後輩に
    「ベランダってイタリア人の胸がでかい女の名前みたいだな」と
    言う作品があるんですが、それを思い出しました。

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