5月12日に教室で読んだ歌を掲載しておきます。子規は古い人ですが、ホッとさせられるいい調子の歌が多く、短歌のよき時代を感じさせられます。山中智恵子は昭和短歌の最高峰。短歌を甘く見るなかれ、です。長大な小説よりも、彼女の一作のほうがよほど価値がある場合があると思います。少女時代から長く療養生活を送ったという安立スハルの発想と歌の孤独も忘れがたい。
◆ 正岡子規 (まさおか しき) 一八六七年~一九〇二年 ◆
柿の実のあまきもありぬ柿の実のしぶきもありぬしぶきぞうまき
病みて臥す窓の橘花咲きて散りて実になりて猶病みて臥す
寝静まる里のともし火皆消えて天の川白し竹薮の上に
撫子は茂り桔梗はやや伸びぬ猶二葉なる朝顔の苗
十四日お昼すぎより歌をよみにわたくし内へおいでくだされ
くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる
鉢植に二つ咲きたる牡丹の花くれなゐ深く夏立ちにけり
はしきやし少女(をとめ)に似たるくれなゐの牡丹の陰にうつうつ眠る
松の葉の葉毎に結ぶ白露の置きてはこぼれこぼれては置く
ガラス戸の外に据ゑたる鳥籠のブリキの屋根に月映る見ゆ
瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり
いちはつの花咲きいでて我が目には今年ばかりの春行かんとす
世の中は常なきものと我が愛づる山吹の花散りにけるかも
夕顔の棚つくらんと思へども秋待ちがてぬ我がいのちかも
くれなゐの薔薇(うばら)ふふみぬ我が病いやまさるべき時のしるしに
つくづくし摘みて帰りぬ煮てや食はんひしほと酢とにひでてや食はん
◆ 山中智恵子 (やまなか ちえこ) 一九二五年~二〇〇六年 ◆
うつそみに何の矜持ぞあかあかと蠍座(さそり)は西に尾をしづめゆく
水甕の空ひびきあふ夏つばめものにつかざるこゑごゑやさし
わが生みて渡れる鳥と思ふまで昼澄みゆきぬ訪ひがたきかも
絲とんぼわが骨くぐりひとときのいのちかげりぬ夏の心に
日ののちの秘色青磁を瞻(まも)りゐつこころほろぼすことばを生きて
ゆきて負ふかなしみぞここ鳥髪に雪降るさらば明日も降りなむ
青空の井戸よわが汲む夕あかり行く方を思へただ思へとや
さくらばな陽に泡立つを見守りゐるこの冥き遊星に人と生れて
薄暮には鳥をちりばむ風の空この世の涯にわが思ひなむ
夏の父さびしかりしかああわれに頭蓋のなかのくさむらそよぐ
きみなくて今年の扇さびしかり白き扇はなかぞらに捨つ
淡き酒ふくみてあれば夕夕(ゆふべゆふべ)の沐浴ありときみしらざらむ
この世にぞ駅てふありてひとふたりあひにしものをみずかなりなむ
未然より未亡にいたるかなしみの骨にひびきてひとはなきかな
水くぐる青き扇をわがことば創りたまへるわが夜へ献(おく)る
雨師として祀り棄てなむ葬り日のすめらみことに氷雨降りたり
◆ 安立スハル (あんりゅう すはる) 一九二三年~二〇〇六年 ◆
馬鹿げたる考へがぐんぐん大きくなりキャベツなどが大きくなりゆくに似る
金にては幸福は齎されぬといふならばその金をここに差し出し給へ
神は無しと吾は言はねど若し有ると言へばもうそれでおしまひに
自動扉と思ひてしづかに待つ我を押しのけし人が手もて開きつ
家一つ建つと見るまにはや住める人がさえざえと秋の灯洩らす
青き眼にヒロシマの何を見しならむただゆるやかに歩み去りたり
島に生き島に死にたる人の墓遠目に花團のごとく明るむ
今しがた小鳥の巣より拾ひ上げし卵のやうな一語なりしよ
一皿の料理に添へて水といふもつとも親しき飲みものを置く
大切なことと大切でないことをよりわけて生きん残年短し
あとにただ白骨だけが残ること目をみひらいて見つめ申しぬ
有様は単純がよしきつぱりと九時に眠りて四時に目覚むる
うつくしき毬藻のやうな地球といふそを見ることもなくて終らん
「ああ駄目だ、日本は負ける」と言ひし父を憎みき昭和十九年ごろ
いつとなく決まりしかたちものを書く机の上に花を置かざる
立ち憩ふ輓馬(ばんば)のまなこ覗きみればとてもかなはぬやさしさを持つ
近江路もここらあたりはしんしんと山たたなはる思想のごとく
2009年5月13日水曜日
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本間武士です。
返信削除今まで投稿を休んでいたものでしばらくは10首ずつ投稿していけたらと思っています。
よろしくお願いします。
この国で俺の家だけ石器時代何故か楽しげ笑う無精髭
約二分開け放たれた冷蔵庫貧相ながらも悩める喜び
狭い国自由気ままに飛び回り気づけば故郷ロシアより遠く
頭打ち歌を忘れて勉強家気づけば歩くことわざ辞典
成すは凡夫成さぬは英雄いつからかどこか狂った歩合制
しがみつき身を震わせるのは蝉よ明日の自分を思うのか蝉よ
清水に魚は住めずと知りつつも注ぎ込みたくなる漂白剤
雲を見て遠くへ往くと言った君動けないのは浮いた僕だけ
なるほどなこれはおそらく蜃気楼腕を伸ばさず理解した振り
もっと窓をもっともっと空気を!蟻塚で漏れた微かな呟き
大沼です。
返信削除今週は新作三首、改作一首を連作にしました。改作といっても、最後の三文字が変わっただけですけど。
円に寄せるうた四首
「受け取ってくれよ」「いやいや」「頼むから」「いいよ」「いいから」そんな間が好き
別れぎわ胸ポケットに突っ込まれ野口英世は笑っていたり
遠方の彼女の母にいただいた「カンコーヒ代」三万でした
くれるのは嬉しいけどね一万と二千円也、明日の食費
霧島六です…。
返信削除お金がなくて、もっぱら空腹と戦う今日この頃です…。
六首参ります。
這う虫を信号待ちに哀れみてやはり轢かれて鯨幕かな
この口は何であろうか欠伸して我が生活圏人のいぬまま
バルコニーに誰の涙か五月雨のピリオド一つ、二つ、三つ四つ
我が部屋の小国家なる混沌に窓を放てば神の嘆息
思ひ出を売れば幾ばくなろうかと全財産百五十円也
屹然たる戸山の裏手の研究所パンデミックの威圧的様
ゆるりです。
返信削除最近短歌作りをサボっていましたので、多めに出します。
若干旬を過ぎた歌もある気がしますが、よかったらコメントください。
踏み切りを転がるようにかけた夜あの日だけ君は恋人だった
あの日から寝ても冷めても胃を焦がすように痛むか失った愛
桃色のロングヘアーのダンサーは汗すら舞台衣装のようで
雨の日に狂おしく咲くツツジ花一斉にじっと我を見ている
ペディキュアのきらめく五月に手を振って梅雨のストーブを準備する夜
あの人は譲っちゃだめよと私に言う恋愛上手なアラ還の美女
↑(アラ還=アラウンド還暦)
東西につながる窓の道を吹く風が涼やか夕方の居間
全身を蟻が這い上がるのに似た絶望が今傍らに居る
壁越しに伝わる夜の雨音を強く激しく抱いて朝まで
脳内にいつかの声がこだまする。あの子は今は元気でいるか
本間武士さんの歌。
返信削除〇この国で俺の家だけ石器時代何故か楽しげ笑う無精髭
〇約二分開け放たれた冷蔵庫貧相ながらも悩める喜び
〇狭い国自由気ままに飛び回り気づけば故郷ロシアより遠く
〇頭打ち歌を忘れて勉強家気づけば歩くことわざ辞典
〇成すは凡夫成さぬは英雄いつからかどこか狂った歩合制
〇しがみつき身を震わせるのは蝉よ明日の自分を思うのか蝉よ
〇清水に魚は住めずと知りつつも注ぎ込みたくなる漂白剤
〇雲を見て遠くへ往くと言った君動けないのは浮いた僕だけ
〇なるほどなこれはおそらく蜃気楼腕を伸ばさず理解した振り
〇もっと窓をもっともっと空気を!蟻塚で漏れた微かな呟き
いろいろと要求したい点はあるのですが、これらの歌には、他の誰のものでもない自分自身の、自分自身にとっての現状を、逃げずに受け止めているところがあって、非常に好ましく感じます。他人に受けるようなウマイ歌ばかりを作ろうと狙うと、内的にとても悪い疲れとむなしさに襲われるようになるものですが、そういう方向を採っていないという点を、とにかく称えておきたいと思います。大事なのは、自分を主人公にすること。そのための文芸なのだということ。なんと言われようとも、他人や時代の好みや価値観を主人公にしてはいけないということです。
文芸の創作は、なによりも、近未来や遠未来の自分自身(というより、それはすでに他人なのかもしれません)への真剣な手紙です。しかも、意外なことに、創った瞬間に返事が返ってくる不思議な得難い行為です。虚飾や寄りかかりや偏見や誤解がいくらかであれ剥がれ落ち、自分が自分の核に近づいていたという事実、それが創作行為で得られる返事です。本人の深部でしか、わかりませんけれども。
大沼貴英さんの歌。
返信削除〈円に寄せるうた四首〉
〇「受け取ってくれよ」「いやいや」「頼むから」「いいよ」「いいから」そんな間が好き
〇別れぎわ胸ポケットに突っ込まれ野口英世は笑っていたり
〇遠方の彼女の母にいただいた「カンコーヒ代」三万でした
〇くれるのは嬉しいけどね一万と二千円也、明日の食費
三首目の歌が改作したものですね。はじめに作った時は「三万だった」で終わっていました。前作も、自分につぶやいているような味があって、よかったんだけどな。
俵万智ふうの軽妙な整え方ができている点から、短歌のセンスがあるのがわかります。しばらくは、作りやすい調子に乗っていけばいいと思いますが、いずれは大沼調が染み出てくるように、との意欲だけは忘れずに。
「お金がなくて、もっぱら空腹と戦う今日この頃」という霧島六さんの歌。
返信削除〇この口は何であろうか欠伸して我が生活圏人のいぬまま
〇バルコニーに誰の涙か五月雨のピリオド一つ、二つ、三つ四つ
この二首はいいなぁ。今の生活とその中での気持ちの記録として、大事に覚えておくといいですよ。
〇我が部屋の小国家なる混沌に窓を放てば神の嘆息
この歌も、なかなかよく伝わってくる。「神の嘆息」というふうに確定的に表現してしまわないほうがいいとは思いますが。
〇思ひ出を売れば幾ばくなろうかと全財産百五十円也
これの場合は、「思い出売れば幾らかにでもなろうかと 全財産百五十円也」のように、マス空けも効果的。
モチーフはいいので、全体的に書き直したほうがよいでしょう。
本当に金欠で食えない時は、餓死する前に、「食わしてくれ」とここで叫ぼう。
ゆるりさんの歌。
返信削除ほんの少しブラッシュアップしたい部分が多いけれど、感情が出ていて、いい感じの歌ばかり。
〇雨の日に狂おしく咲くツツジ花一斉にじっと我を見ている
これは短歌検定合格といった感じの歌。表現上のこの安定感の作り方を手に入れたというのは、すごく大事です。ここから後は、じつは至難の道がゆるゆる続いていく…
〇東西につながる窓の道を吹く風が涼やか夕方の居間
これも技術が習得されたことを示す歌。「風すずやかに夕方の居間」とすると、もっとやわらかく整います。「東西につながる窓の風道に夕べすずしき広ごりの居間」などと、いろいろに変えて楽しみたくなる歌。
〇壁越しに伝わる夜の雨音を強く激しく抱いて朝まで
〇全身を蟻が這い上がるのに似た絶望が今傍らに居る
これらも技術的に十二分。愛の悔恨でしょうか。伝統的ないいテーマです。平安時代の女流歌人たちに多く学んでください。伊勢のこんな歌なんて、どうです?
◆思川(おもひがは)たえずながるる水の泡のうたかた人にあはで消えめや[後撰集]
◆わたつみとあれにし床をいまさらに払はば袖や泡と浮きなむ[古今集]
〇踏み切りを転がるようにかけた夜あの日だけ君は恋人だった
〇あの日から寝ても冷めても胃を焦がすように痛むか失った愛
〇桃色のロングヘアーのダンサーは汗すら舞台衣装のようで
〇ペディキュアのきらめく五月に手を振って梅雨のストーブを準備する夜
〇あの人は譲っちゃだめよと私に言う恋愛上手なアラ還の美女
↑(アラ還=アラウンド還暦)
このあたりの恋愛歌もうれしい。激しい感情の動きがあって、もっと激しくなりそうで、こういう雰囲気には詩歌は水を得た魚のようになります。もっと官能的に進んでいってもいいと思いますよ。なにかというと、淡白、品行方正になりがちな短歌は、たえず激情や爛れるような恋愛でカツを入れる必要があります。
〇脳内にいつかの声がこだまする。あの子は今は元気でいるか
「あの子いまごろ元気でいるか」などとするのも可か。心の中とか、意識の中などとしないで、「脳内」とするところが肉体派。「脳」はお肉ですものね。アラブ世界では羊の脳の料理なんてあるし。
大沼です。
返信削除先週の先生によるコメント、いずれは「大沼調」が染み出てくるようにとのことでしたが、うーむ、難しいですね。いまのところ自覚的なのは、もともと自分が小説書きだからなのか、物語性のある連作のほうが詠みやすいということくらいです。
ただ、それだと単発の短歌を詠めなくなってしまい、純粋に三十一音だけに凝縮された潔さを得ることはできないだろうなあと危惧しています。
とはいえ、ここはひとつ連作を突きつめて「大沼調」をやってみようじゃないかということで、懲りずに今週も投稿します。
眼鏡の君に寄せるうた六首
箱入りの看板娘、眼鏡屋の眼鏡屋なのに盲目なんて
輪郭をひと撫で、あとは無駄話それで見立ては完璧な君
評判は良いのに当の本人は瓶底眼鏡、ずり落ちている
唯一の趣味はラジオ、ただ聴いているだけで完コピ、歌はプロ級
「どうしたらそんなに上手く歌えるの?」「普通に呼吸するのと同じ」
「産声をあげた昔に戻るだけ、私は筒であなたは水面」
あらら。連投すいません。多窓で編集していたら、間違えて一週間前のコメント欄に投稿してしまいました。上の短歌は来週分です。
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