2009年4月29日水曜日

必読短歌4 ~北原白秋1・葛原妙子・山崎方代

 4月28日に教室で読んだ短歌を載せておきます。私ごとですが、花粉症(杉のあとは檜が原因とか?)でクシュクシュしていたところへ、急な冷えでめずらしく調子を崩し、すっかり鼻とノドの風邪にやられてしまいました。28日は休もうと思ったのですが、 以下の白秋、葛原妙子、山崎方代たちの歌をはやく見てもらいたくて、出講してしまいました。多少めまいがする体を運びながら早稲田駅のホームを歩いている時、なんとまぁ物好きなことか!!!と我ながら思いましたが、苦しい時にでも自分を動かしうるのは、やはり義務感ではなく、「物好き」さのようです。
 今日以降の歌の投稿は、これらの歌の下にあるコメント欄からどうぞ。


◆ 北原白秋 (きたはらはくしゅう) 一八八五年~一九四二年 ◆

春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外の面の草に日の入る夕べ

しみじみと物のあはれを知るほどの少女となりし君とわかれぬ

いやはてに鬱金ざくらの花咲てちりそめぬれば五月はきたる

葉がくれに青き果を見るかなしみか花ちりし日のわが思ひ出か

ヒヤシンス薄紫に咲きにけり早くも人をおそれそめつつ

かくまでに黒くかなしき色やあるわが思ふひとの春のまなざし

君を見て花梔子を嗅ぐごとき胸さわぎをばおぼえそめにき

寝てきけば春夜のとよみ泣くごとしスレート屋根に月の光れる

ゆく水に赤き日のさし水ぐるま春の川瀬にやまずめぐるも

一匙のココアのにほひなつかしく訪ふ身とは知らしたまはじ

あまりりす息もふかげに燃ゆるときふと唇はさしあてしかな

くれなゐのにくき唇あまりりすつき放しつつ君をこそおもへ

くさばなのあかきふかみにおさへあへぬくちづけのおとのたへがたきかな

ゆふぐれのとりあつめたるもやのうちしづかにひとのなくねきこゆる

薄暮(たそがれ)の水路に似たる心ありやはらかき夢のひとりながるる

病める兒はハモニカを吹き夜に入りぬもろこし畑の黄なる月の出


◆ 葛原妙子 (くずはらたえこ) 一九〇七年~一九八五年 ◆

晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の壜の中にて 

他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水

わがうたにわれの紋章のいまだあらずたそがれのごとくかなしみきたる

美しき把手(のぶ)ひとつつつけよ扉にしづか夜死者のため生者のため          

創生の秘密を漠とおもはしめキリストの胸に乳二つある   

マンモスが大き臼歯に磨りし草 坪すみれなど混じりゐたりしや 
   
わが死(しに)を祷れるものの影顕ちきゆめゆめ夫などとおもふにあらざるも

飲食ののちに立つなる空壜のしばしは遠き泪(なみだ)のごとし

とり落とさば火焔とならむてのひらのひとつ柘榴の重みにし耐ふ

きつつきの木つつきし洞の暗くなりこの世にし遂にわれは不在なり

胡桃ほどの脳髄をともしまひるまわが白猫に瞑想ありき

口中に一粒の葡萄を潰したりすなはちわが目ふと暗きかも

原不安と謂ふはなになる 赤色の葡萄液充つるタンクのたぐひか

疾風はうたごゑを攫ふきれぎれに さんた、ま、りぁ、りぁ、りぁ

暴君ネロ柘榴を食ひて死にたりと異説のあらば美しきかな

火葬女帝持統の冷えししらほねは銀麗壺中にさやり鳴りにき

寺院シャルトルの薔薇窓をみて死にたきはこころ虔(つつま)しきためにはあらず


◆ 山崎方代(やまざきほうだい) 一九一四年~一九八五年 ◆

こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり

瞳をつむりわれにだかれている姉よこのしばらくの姉と弟と

黒き葉はゆれやまざりき犬死の覚悟をきめてゆくほかはなし

茶碗の底に梅干の種二つ並びおるああこれが愛と云ふものだ

机の上にひろげられたる指の間をむなしい時が流れているよ

一生をこせこせ生きてゆくことのすべては鼻の先に出ている

誤って生まれきにけりからす猫の見る夢はみな黒かりにけり

死ぬほどの幸せもなくひっそりと障子の穴をつくろっている

こんなところに釘が一本打たれいていじればほとりと落ちてしもうた

寂しくてひとり笑えば卓袱台の上の茶碗が笑い出したり

大勢のうしろの方で近よらず豆粒のように立って見ている

一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております

一粒の卵のような一日をわがふところに温めている

おもいきり転んでみたいというような遂のねがいが叶えられたり

霜づきしぶどうの葉っぱが音もなく散りあらそっているではないか

机の上に風呂敷包みが置いてある 風呂敷包みに過ぎなかったよ

手のひらに豆腐をのせていそいそといつもの角を曲がりて帰る

17 件のコメント:

  1. 藤岡文吾さんの歌。
    〇夕焼けに光る麦茶と水滴と赤茶に染まる君を見ている
     なんだかほのぼのしてきます。「夕焼け」と「麦茶」と「赤茶に染まる」が一様にやさしい赤みを持っていて、けっこう現実には、これほど揃うっていうことはないでしょうけれど、それを揃えて提示してくるところが、じつは技巧的。完全な創作。「君を見ている」という表現は、ありきたりと言えばありきたりだし、表現上の努力をあまりしていないなァとも見えますが、ここではなかなか簡潔でウマイです。平成浪漫派の藤岡さんの味がよく出ている。

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  2. ●猫たくさん 早稲田の街にはいるけれど
       すべての猫が 皆 親戚ではないのか

    ●銭湯は とても気持ちが よいけれど
       年寄りばかりで 眼の遊がせどころなし

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  3.  時間さんの歌。
    〇猫たくさん早稲田の街にはいるけれどすべての猫が皆親戚ではないのか
    〇銭湯はとても気持ちがよいけれど年寄りばかりで眼の遊がせどころなし
     はじめのうちは、こんなふうにマスを空けずに書く練習をしたらいいでしょう。おのずと表現に制約が生じてきて、それがリズムを生み、魅力を生みます。すべての表現行為は、制約を生かし切ろうとするところに要点があります。完全に自由になってしまうと、かえって何も作れなくなってしまうものです。
    「…けれど」という表現が続いている点にも注意。これは、時間さんの現時点での思考パターンを露呈しているものです。ふたつの命題をつなぐ時に、「…けれど」で繋ごうとする癖が思考の中にあって、これが現時点での人格も習慣も生活も形成していっているはずです。あらゆる言語表現行為は、そのまま精神分析そのものであることに注意しておきましょう。こういう特性を生かすも殺すも、本人次第です。

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  4. 3首投稿いたします。

    目がかすむ年齢のせいかと言う母よ 夜更かしパソコンゲームをやめんか
    まんまるに少し足らぬと拗ねる君 膨らむほほを幾望が照らす
    酒飲めば心の底の声聞ける出でてくるのは君の名ばかり

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  5. 5首投稿します。

    屋上から 高層ビルの隙間から同じブルーを見ている二人

    新しい彼女が出来て就職した 劇団辞めた 君は変わった

    角砂糖3つもいれたミルクティー アイツのことはもう忘れたわ

    童顔の彼の残り香 汗 甘い香水 ラッキーストライク

    君の顔照れてるように見えるんだけど 真っ赤な夕日のせいかなぁ

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  6. 神澤一葉(カンザワ・カズハ)でございます。
    四首ほど、また暗いのが多いですが。

    老ひし母の孫を呼ぶたび我が名呼ぶ赤子と変わらず泣くだけの我

    夢に病んで魂は荒野を彷徨ひぬ38.9℃の肉塊

    夢のごと光の瞳交ぜ交わし陰も知らずに戯れし頃

    代掻きも頃合いなりやおだまきの伸びすぎたるに車輪の絡めば

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  7.  大沼です。
     短歌、ゴールデンウィーク中に書き溜めようと思っていたら、かえって寡作になりました。もともと寡作だってのに。
     というわけで、相変わらず直前になって四首だけ投稿です。
     
      深夜特急に寄せるうた四首
     
     色褪せた深夜特急のチケット「使わなかっただ」と祖父の言う
     
    「ずいぶんと洒落た名前で呼ぶだぁね こいつぁただの夜汽車の切符」
     
     あのころの僕には読めもしなかった夜汽車の向かう先の「指宿」

     じいさんの夜汽車はついに出ただろか天国行きの切符ともなれ

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  8. 空目さんの歌。
    〇目がかすむ年齢のせいかと言う母よ 夜更かしパソコンゲームをやめんか
     お母さんがパソコンゲームにはまっていて、それで目がかすむようになっているらしいのに、「年齢のせいか」と言っているわけね。それに対して「夜更かしパソコンゲームをやめんか」と言う子も、母も、ともにオモロイ。まったく、近頃の母親ってのは!っていう感じ。こういうのは、いわゆる和歌とは違いますね。違う尺度で見ないといけないところがあるけれど、でも、時代を通じて見られるような母子の係わりが出てもいます。
    〇まんまるに少し足らぬと拗ねる君 膨らむほほを幾望が照らす
    〇酒飲めば心の底の声聞ける出でてくるのは君の名ばかり
     ともに「君」との睦みあいの歌。「膨らむほほを幾望が照らす」っていうのは、どういう意味かな?ちょっとわからなかったんですが、誰かわかる人いませんか?
     「酒飲めば」の歌、なかなかかわいらしい。もう少し、情景や光景がキリッと入ると、かっこいい歌になると思います。でも、こういうふうに歌ってみて気持ちがよければ、とりあえずはどんどんこういうオノロケを歌っちゃうべきです。
     

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  9.  澁谷美香さんの歌。
    〇屋上から 高層ビルの隙間から同じブルーを見ている二人
     なかなか魅力的。いい感じです。もっと斬新な表現の工夫をしてもいいかな、とも思いますが、このようなわかりやすい表現でこそ伝わる読者たちもいるでしょう。
    〇新しい彼女が出来て就職した 劇団辞めた 君は変わった
     「た」で終えることで、音と調子を統一。逆に、「た」で終止形にせずに、わざとだらだら繋げても面白い。
    〇角砂糖3つもいれたミルクティー アイツのことはもう忘れたわ
     これはこれで、できている歌。ただ、こういう歌はけっこう多くの人が作りやすい。「もう忘れたわ」にせずに、「角砂糖3つもいれたミルクティー アイツのことが忘れられない」のほうがいいのでは?(個人的な意見ですが…)未練を引きずるほうが、歌の魅力は増すような…(違うかな?)
    〇童顔の彼の残り香 汗 甘い香水 ラッキーストライク
     嗅覚で来ましたね。いちばんエロティックな感覚です。これだけ並べずに、どれかに絞ってなにかの情景などとミックスすると、もっとキュンとくる歌になる。
    〇君の顔照れてるように見えるんだけど 真っ赤な夕日のせいかなぁ
     どうってことない思いを、どうってことない歌にしただけとも言えるけれど、やはり下の句の「真っ赤な夕日のせいかなぁ
    」の4・4・5調がスゴイ。短歌でこういう破調をやられると、どうも魅惑的に感じられる場合が多いようです。
     

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  10.  神澤一葉さんの歌。
    〇老ひし母の孫を呼ぶたび我が名呼ぶ赤子と変わらず泣くだけの我
     むむむむ。暗ぁい家族の薄闇が垂れこめている。「老ひし母」と古典的かなづかいで来たのなら、「変わらず」も「変はらず」にしましょう。一首の中では、仮名遣いは統一することになっています。
    〇夢に病んで魂は荒野を彷徨ひぬ38.9℃の肉塊
     これは芭蕉の名句のパクリ。芭蕉の表現が強烈な影を落としているのに対して、下の句が勝てていません。
    〇夢のごと光の瞳交ぜ交わし陰も知らずに戯れし頃
     この歌はもっとよい歌になる可能性がある。ここで投げずに再考すべし。
    〇代掻きも頃合いなりやおだまきの伸びすぎたるに車輪の絡めば
     うううううう~ん。ようわからん。作者、解説してください。

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  11.  大沼貴英さんの歌。
      〈深夜特急に寄せるうた四首〉
    〇色褪せた深夜特急のチケット「使わなかっただ」と祖父の言う
    〇「ずいぶんと洒落た名前で呼ぶだぁね こいつぁただの夜汽車の切符」
    〇あのころの僕には読めもしなかった夜汽車の向かう先の「指宿」
    〇じいさんの夜汽車はついに出ただろか天国行きの切符ともなれ
     深夜特急のチケットと祖父。連作です。いい作品じゃないですか。発想や言葉が、多くの人に通じていく情緒に裏うちされて紡ぎあわされている。こういう作り方をしていく場合、ちょっとの韻律の乱れや欠点などは問題にならなくなります。大沼さんは、短歌のコツをつかみましたね。2首目などは、ひとつだけで読むと意味が取りづらいけれど、連作の中で読むと絶品。4首目もいいねぇ。方言も、うまく歌に入れると生きます。標準語なんて太刀打ちできない温かい魅力が、方言にはありますね。

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  12. 新しい記事がありますが、
    この週に投稿しようと思って期を逃してしまったので
    こちらに5首、投稿します。

    なくしちまつた悲しみなぞないのに。家族恋人ああゴールデンウィーク
    吸い込まれるふやけこそげ落ちた僕風呂のぬるま湯螺旋を描いて
    満員 人 透明な体 息だけの 白いカテーテルから歌を飲み下す朝
    僕の足おやゆびだけが長く 選ばれる立場の靴売り場は絶望リング
    歯のいらだち、しける夕暮れ、足指蒸れて 誰かの首筋噛みたい噛みたい

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  13. 藤原夏家先生様

    膨らむほほを~
    のくだりですが、幾望というのが満月1日前の少し欠けた月の別称です。
    なので「まん丸に少し足りないよー!」と拗ねてぷくっと頬を膨らました女の子の丸い頬を、
    その少し欠けた月が照らしている…と詠みたかったのですが。
    別称といい分かり辛かったですね…。

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  14. 〇代掻きも頃合いなりやおだまきの伸びすぎたるに車輪の絡めば

    を書いた神澤一葉(カンザワカズハ)です。

    代掻きとは田起こしの作業の一、オダマキはあぜ道なんかに群生する植物で、車輪とは耕耘機のそれです。

    タイヤに雑草がびっしりつくと、あぜ道に上がろうとするとき滑って危険です。
    なのでハーフトラック(半分だけキャタピラ)のにしているところもあります。
    大丈夫かしらとタイヤに絡んだ雑草を見ていたら、オダマキが絡んでいたという歌です。

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  15. 空目さんへ

     そうですか、「幾望」ってそういう意味だったのか。満月が十五夜の月だとすると、十四夜の月っていうことですね。十三夜の月はよく言うけれど、十四夜の月はなぜかあまり聞かない。
     そうわかると、
    〇まんまるに少し足らぬと拗ねる君 膨らむほほを幾望が照らす
     というのはわかりやすくなりますね。「『まん丸に少し足りないよー!』と拗ねてぷくっと頬を膨らました女の子の丸い頬を、その少し欠けた月が照らしている…と詠みたかった」というのは、なかなか高度なところを狙っていて、すごい。この発想は生かしてもらいたいなぁ。もう一度、挑戦してください。

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  16. 神澤一葉さんへ、

    「代掻きとは田起こしの作業の一」ですか。なるほど。シロカキ、ですね。「水田に水を引き入れ、土を砕き、ならして田植の準備をすること」と辞書にある。
     オダマキはわかるとしても、それにしても、
    〇代掻きも頃合いなりやおだまきの伸びすぎたるに車輪の絡めば
     こういう歌い方だと、ちょっと耕運機の車輪の話だとは、わかりづらいかも。
     また「おだまきの伸びすぎたるに車輪の絡めば」とすると、車輪のほうがツタのように苧環に絡んでいってしまう印象になりますから、そこは変えないといけない。あくまで「車輪に絡む」なんですよね。
     どうしても表現上、これ以上は自由にはできないというところがあるので、そこは動かさずにやるしかないですね。

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  17.  まあるさんの歌。
    〇なくしちまつた悲しみなぞないのに。家族恋人ああゴールデンウィーク
    〇吸い込まれるふやけこそげ落ちた僕風呂のぬるま湯螺旋を描いて
    〇満員 人 透明な体 息だけの 白いカテーテルから歌を飲み下す朝
    〇僕の足おやゆびだけが長く 選ばれる立場の靴売り場は絶望リング
    〇歯のいらだち、しける夕暮れ、足指蒸れて 誰かの首筋噛みたい噛みたい
     どれも意欲的な創作。こういう調子や内容や雰囲気の歌に興味がなかったり、好きでなかったりする人にも、まあるさんのやる気は伝わります。だから、真面目に読む気にさせられるはず。それだけでも、もう、単なる実習から文芸創作に入り込んでいると言えます。
     そういう点を認めた上で言いたくなるのが、
    〇満員 人 透明な体 息だけの 白いカテーテルから歌を飲み下す朝
     この歌の「透明な体」。むしろ「不透明な体」ではないのか?と思っちゃう。いずれにしても、「透明な体」の「透明な~」という表現は、けっこう使い古されていて、詩歌の世界では見飽きた言語光景なのです。まあるさんのような意欲作に対してだからこそ、言いたくなってしまう注意。「透明な~」は危険です。うま~く使わないとね。今後の参考までに。

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