2009年12月24日木曜日

必読短歌17 (小中英之+荻原裕幸+大辻隆之)

 12月22日の授業で取り上げた歌人たちとその作品を載せておきます。ひとりひとり異なった背景を持ち、歌の発生においても同一ではないのですが、このあたりの歌人となると、文芸好きの人たちにとっても、実際は縁遠くなってしまっているのが現代短歌の現実。
 我々のささやかな授業時間は、こういった作品群に、突発的な事故のように遭遇してもらってしまう場です。 文芸の特徴は、さっきまで知らなかった作り手や作品にふいに触れることによって、自分たちの内的世界がガラッと変わってしまうということ。短歌を読むという行為も、控え目に言っても、目や耳を通して入ってくる一首一首によって、内的世界の様相を変容させ続けていくことだと言えるでしょう。
 他人の作ったものに触れることの喜び、救済。大袈裟ではなく、そう考えておくべき面が、文芸作品というものにはやはりあります。


◆小中英之(こなか ひでゆき) 一九三七~二〇〇一◆

昼顔のかなた炎えつつ神神の領たりし日といづれかぐはし

氷片にふるるがごとくめざめたり患むこと神にえらばれたるや

月射せばすすきみみづく薄光りほほゑみのみとなりゆく世界

遠景をしぐれいくたび明暗の創(きず)のごとくに水うごきたり

花びらはくれなゐうすく咲き満ちてこずゑの重さはかりがたしも

身辺をととのへゆかな春なれば手紙ひとたば草上に燃す

螢田てふ駅に降りたち一分の間(かん)にみたざる虹とあひたり

鶏ねむる村の東西南北にぼあーんぼあーんと桃の花見ゆ

死ぬる日をこばまずこはず桃の花咲く朝ひとりすすぐ口はも

つはぶきの花は日ざしをかうむりて至福のごとき黄の時間あり

六月はうすずみの界ひと籠に盛られたる枇杷運ばれて行く

無花果のしづまりふかく蜜ありてダージリンまでゆきたき日ぐれ

春をくる風の荒びやうつし身の原初(はじめ)は耳より成りたるならむ

今しばし死までの時間あるごとくこの世にあはれ花の咲く駅

芹つむを夢にとどめて黙ふかく疾みつつ春の過客なるべし

みづからをいきどほりつつなだめつつ花の終りをとほく眺めつ

花馬酔木いく夜か白しうらがなしふくろふ星雲うるむ夜あらむ

座につきてあはれ箸とる行為さへあと幾年のやさしさならむ


◆荻原裕幸(おぎわら ひろゆき) 一九六二~◆

政治がまた知らないうちにみづいろに傾いてぼくの世界を齧る

▼▼▼▼▼ココガ戦場?▼▼▼▼▼抗議シテヤル▼▼▼▼▼BOMB!

恋人と棲むよろこびもかなしみもぽぽぽぽぽぽとしか思はれず

春の日はぶたぶたこぶたわれは今ぶたぶたこぶた睡るしかない

天王星に買つた避暑地のあさがほに夏が来たのを報せておかう

ほらあれさ何て言ふのか晴朗なあれだよパイナップルの彼方の

はつなつのあをを含んで真夜中のすかいらーくにゐる生活を

三越のライオンに手を触れるひとりふたりさんにん、何の力だ

ぼくはいま、以下につらなる鮮明な述語なくしてたつ夜の虹

ぎんいろの缶からきんの水あふれ光くるくるまはる、以下略

戦争が(どの戦争が?)終つたら紫陽花を見にゆくつもりです

しみじみとわれの孤独を照らしをり札幌麦酒のこの一つ星

顎つよき愛犬を街にときはなつ銀色の秋くはえてかへれ

伝言板のこの寂しさはどんな奴「千年タツタラドコカデ逢ハウ」

母か堕胎か決めかねてゐる恋人の火星の雪のやうな顔つき

(結婚+ナルシシズム)の解答を出されて犀の一日である

月曜日の朝かへりきてノブのQOQOQQOQQOQ

間違へてみどりに塗つたしまうまが夏のすべてを支配してゐる


◆大辻隆弘(おおつじ たかひろ) 一九六〇~◆

指からめあふとき風の谿は見ゆ ひざのちからを抜いてごらんよ

疾風にみどりみだるれ若き日はやすらかに過ぐ思ひゐしより

十代の吾に見えざりしものなべて優しからむか 闇洗ふ雨

山羊小屋に山羊の瞳のひそけきを我に見せしめし若き父はや

青嵐ゆふあらし過ぎ街路樹にわが歌ひ得ぬものらはさやぐ

やがてわが街をぬらさむ夜の雨を受話器の底の声は告げゐる

あぢさゐにさびしき紺をそそぎゐる直立の雨、そのかぐはしさ

青春はたとへば流れ解散のごときわびしさ杯をかかげて

星合といふバス停にバスを待つぼくたち、夏の風をみつめて

朝庭に空き瓶を積むひびきして陽ざし触れあふごときその音

ほのしろき夜明けにとほき梨咲いてこのあかるさに世界は滅ぶ

あけがたは耳さむく聴く雨だれのポル・ポトといふ名を持つをとこ

つまりつらい旅の終りだ 西日さす部屋にほのかに浮ぶ夕椅子

子を乗せて木馬しづかに沈むときこの子さへ死ぬのかと思ひき

ああ父はまどかに老いて盗みたる梅の若枝(わくえ)を挿し木してゐる

縁さむくかがやく壺ゆひとすぢの乳(ち)はよぢれつつ注がれてゐつ

紐育空爆之図の壮快よ、われらかく長くながく待ちゐき

突つ込んでゆくとき声に神の名を呼びしか呼びて神は見えしか

7 件のコメント:

  1. 炬燵です。
    新年ですが、年頭の挨拶は喪中につき差し控えます。
    2010年ですね。あっという間にゼロ年代終わっちゃいましたね。

    それでは10年代の短歌を読んでいきましょう。

    テクノロジーぼくらのさみしさテクノロジーうめてくれるのふさいでくれるの
    プログラムの愛に「それでも愛する」がプラスされてもなにがたりない
    タイミング次第でかみあう四次元の2ピースだけのパズルの名前

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  2. あけましておめでとうございます。
    2000年だ!って大騒ぎしたのが、もう10年も前だとは・・
    出来の良し悪しはわかりませんが、自分では好きな三首を投稿します。

    早咲きの梅はめじろに啄ばまれ まだまだ咲くよまだ咲くよう

    朝になる 喉がまたひび割れてゐる うすい粥をばのまねばならぬ

    あたしのがずっとあいしてるんだからやさしくしなさいのぶれすおぶりじゅ

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  3. 時間です。
    10首投稿します。よろしくお願いします。


    ○ 時ここに来てあらわに短く奪われたか長くも感じず流れ尽きてたゆたう

    ○ 小松菜の根が重ねるように力強く寒さが地から這い上がる喜びと呼ぶか皮肉を感じて

    ○ ブロッコリー日に日に大きくなるのは冬かそれと同時に身体も浮くようになる

    ○ 赤々と鮮やかな色に眼が冴えるずしりと重いトマトの色気よ

    ○ 毎日が繰り返すように立ち去りて今日と昨日と明後日が漂いながれる

    ○ 地に逆らうよう身体はずませ時の経過をおもんばからず前にだけ進めといった

    ○ 夜更けて継続的に実をかじる指が求める怠惰に任せて

    ○ 水を含む身体が洗われるが如く舞い上がりて中空へ放つ 

    ○ 何もせず何も成されず辿り着いたは魚屋の面影吊るされた籠が気になる

    ○ 目立つばかりを考えて朱色と銅像うなぎが二匹、只濃いだけでいいのか

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  4. 明けましておめでとうございます。毎日寒いですね、
    今年もどうぞよろしくお願いします。


    白熱光のごとく枝垂れよ冬蜃気紅白煙突銜えるきみへ

    靑印を捺した薬紙の幾重にも折られ縮れしノスタルジヤに、

    詰襟を緩めし隣の襟足が我が心軸へと鉄杭討ちて

    年毎にきみよ我が骨中埋むとも洞傷からは塵雪ばかり

    天吊らる少年屍体と為りて猶我がキリストはいなかのじけん

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  5. いそべです。
    授業も残り少ないですが、今年もよろしくお願いします。


    沈黙のエレベーターに乗る人の視線集める階数表示

    町はずれ閉店近いケーキ屋の前を過ぎれば目につく苺

    いつからか切符売り場の前に立ち運賃表を見上げなくなり

    今ここに私がいないこと示す宅配便の不在届けよ

    目の前でスポーツ新聞めくりだし男は読めと言わんばかりに

    替え歌を披露している通学路並んで帰る冬の夕暮れ

    片手にはのらない数の歳になる節分の日の豆を見ながら

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  6. あけましておめでとうございます。

    いつまでもタイミングばかり計ってる人生だったと最後の言葉
    部屋中にレモンタルトを焼く香り溢れさせたら幸せになる

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  7. おはようございます。
    昨年末、掃除をさぼって読んでいたフィガロジャポンにアナイス・ニンの特集があったのですが、その見出しには「元祖ブロガ―」…。21世紀にアナイスが生きていたとして、彼女はブログを書くタイプだろうか?そんなことを考えながらの年越しでした。
    今年もよろしくお願いいたします。

    ヘンリーが、~の、~は、アナイスの日記を満たすヘンリー・ミラー 恋っぽい熱で

    なに求めなに恐れて我をただすの?きみ年若いヘンリー・ミラーね

    なにひとつ望まぬ私のその横で日々立ち上がり消えていくもの

    その線に従うように分解す鏡開きの日の空は透明

    僕だって頑張ってると叫んでる黒南天の下でするキス

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